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鎌倉紀行 - 江ノ島駅から 常立寺(じょうりゅうじ) へ


正応二年(1289)の3月20余日、『とはずがたり』の主人公である作者
後深草院二条尼 は江の島に着き、岩屋で一夜を過ごして、翌日鎌倉
に入っています。

そこで、今回は 二条尼が鎌倉入りをしたコースを辿るかたちで 鶴岡
八幡宮に向かいます。その間 鎌倉時代の歴史を伝える寺社も訪ね
ます。


滝口寺輪番八ヵ寺の1つ 常立寺 には

元使五人塚


1275年に処刑された杜世忠らの供養塔といわれる元使塚があります。
元 は モンゴル帝国。モンゴルの力士もお参りに来たという話もガイド
ブックにありました。青のマントは英雄に与えられるものだそうです。


以下、内容が重なりますが、2014年 の 記事をここに転載いたします。


3月12日(水)のことですが、

鎌倉から江ノ電に乗って  常立寺(じょうりゅうじ)に 行ってきました。
   
          江ノ島駅 から徒歩3分のところです。


 
    P1020836.jpg



    P1020839.jpg



垂れ梅の名所として知られ、初春には多くの花見客が訪れますが、この日はもう
梅も終わるころで、静かな佇まいを見せていました。



    P1020842.jpg


     境内には元からの使者の霊を弔うための五輪塔があり

         「元使五人塚」とよばれています。



歴史

鎌倉時代のことです。1274年、元の軍約3万が九州北部に襲来。元軍が
火器(てつはう)を持ち集団戦法で攻めてくるのに対して日本軍は一騎打ち
戦法でしたので到底太刀打ちできません。

しかし、丁度その時に暴風雨が襲来したため元軍は退却を余儀なくされました。
これが文永の役(ぶんえいのえき)と歴史に残る一度目の蒙古襲来です。



翌年、元の国(大モンゴル帝国)から日本に対して服属を促す使者がやってき
ました。当時 鎌倉幕府の執権は八代目 北条時宗(ときむね)でした。

時宗は元(げん)の勧告を強硬に断り、使者5人を瀧ノ口刑場で斬首にしてしま
いました。



この時代の天皇は後深草院の弟である亀山天皇でしたが、丁度1274年1月に
亀山天皇の皇子が後宇多天皇として天皇の位を承け継いでいます。



とはずがたり』によりますと、二条が仕えた後深草院は皇位継承の不満から出家
をすると騒ぎ、幕府のとりなし-後深草院の皇子が皇太子に立つ-で出家はとり
やめにしたという出来事があったとか。

日本の国が存亡の危機に直面している時に、朝廷の方では何やっているのかと
いうところですよね。



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プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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