花 さそふ(う) 嵐の 庭の 「百人一首」96

桜の花びらが 微かな風に乗って はらはら 舞い散って います
もしも 嵐ほどでなくても ちょっと強い風が吹いたとしたら
それはもう きっと 雪かと見まがうほどの 花吹雪 となることでしょう
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
(桜の花をさそい散らす嵐の吹く庭のようすは、まるで花吹雪のようだが、本当にふ
りゆくものは桜の花ではなくて、しだいに(古り)老いこんで行く私自身であるよ。)
この歌の作者は 入道前太政大臣(にゅうどう さきのだいじょうだいじん)
藤原 公経(きんつね) です。
出典 は 『新勅撰集』(巻十六)雑一 その詞書(ことばがき) には
「落花をよみ侍りける」 と あります。
作者の目には とどまることなく 風に舞い散る桜の花のようすが 人の
命のはかなさ に重なって わが身の老い悲哀を予測した嘆きを呼び起
こしたようです。
藤原 公経(きんつね) は 当時、政治の実権が 鎌倉幕府 にあった中で
太政大臣 にまでのぼり、朝廷で絶大な権力を誇った人物です。
幕府とも朝廷とも積極的に姻戚関係を結んでいます。まず公経(きんつね)
自身が源頼朝の姪を妻にして、鎌倉幕府と強い関係を築きます。後に鎌倉
幕府の力が朝廷にまで及ぶようになると、高い地位まで上り詰めました。
出家した後にも 権力への関心は収まることはなく、公経(きんつね)の家
から次々と皇室へ入内(嫁入り) させて、朝廷でも絶対的な権力を手にし
ているのです。
桜の花 のような華やかな人生を誇る者にも、「老い」は必ずやってくる。
栄華をきわめた人だけに、避けられない老残の悲哀を恐れた一瞬だった
のかも知れません。
余談になりますが、この藤原 公経(きんつね) は、京都の北山に豪邸と
西園寺(さいおんじ) を建立しました。 よって 公経(きんつね)の家系は
その後、西園寺家 と呼ばれるようになったのです。
作品 『とは(わ)ずがたり』 (講座 「天皇に愛された女の物語」) に 登場
する「雪の曙」 こと 西園寺実兼 は 公経(きんつね)の曾孫になるのです。
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