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おとな 歴旅 - 「とはずがたり」を歩く ・・京都編

鎌倉時代 の 中後期に、天皇にお仕えした女官によって書き残された
女流日記文学 『とはずがたり』。

その作品の舞台(巻一 ~ 巻三)を歩いてみよう という企画で、今回
は 京都 まで 講座のみなさんと御一緒に出掛けることになりました。

日本の歴史、古典文学史跡の宝庫である「京都」には、何重にも重なっ
て時代の資料を各箇所に確かめることができます。


さて、今回はとなると、訪ねたい所がたくさんあって選択に苦戦しました
が、この (歴史探訪の旅)・京都 を次回にも繋げていこ
うということで なんとか折り合いを付けてみました(笑) ツアー


古典文学作品『とはずがたり』の舞台 の 現在ということになります。


その① - 『とはずがたり』の作者であり主人公でもある 久我雅忠の娘
        「後深草院 二条」がお仕えしていた「後深草天皇の皇居 址





富小路御所址

4歳のときから後深草院のもとにいて、父の邸がある河崎に里帰りする
生活でした。14歳の新春から院御所にお仕えする女房としてデビュー
します。 その夜父雅忠に、二条を後深草院の後宮に入れる(妻の1人
になる)ようにと 院から耳打ちされたのでした。

これが、この物語の主人公 二条の、波瀾な人生の始まりだったのです。


この皇居址は、鎌倉中期に西園寺実氏の邸宅の1つでした。物語では
二条の恋人「雪の曙」こと西園寺実兼の祖父にあたります。

里内裏(さとだいり)として用いられていた閑院内裏が消失した後、ここ
が後深草天皇の皇居となりました。


さて、この「富小路二条内裏址」が京都市街のどの位置にあるかということ
ですが、「京都御苑」の南にあたります。その名の通り、南北に走る「富小路
通り」と、東西に走る「二条通り」が交差するところに石碑が建っています。


そして、それより1つ北の通りで「御所南小学校」の裏手あたりには、「大炊
御門(おおいみかど)万里小路址」の石碑があります。

      大炊御門石碑

  万里の小路址通り (1)

  こんな小さい石碑ですから、よ~く探さないと見逃します。

ここは、白河天皇の内裏跡です。源高房の邸宅跡でしたが、その後源
能俊の所有となり、後に白河天皇の仮御所となりました。

二条が居た 「二條富小路御所」 と重なりそうな位置ですが、「万里之小路
御所」は、約150年ほど遡った平安中期から院政期にかけての時代になる
ので、隣同士だったということはありません。





        

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プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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