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中世(鎌倉時代後期)の浅草寺は・・・

近年、再び浅草界隈が賑わいをみせているというニュースをよく耳にしますね。

浅草古来の祭りやら行事の人出に拍車をかけているのが、あの「東京スカイツリー」です。

浅草東京スカイツリー

子ども達がまだ幼かったころ、浅草の「はなやしき」へ連れて行きましたが、

もう、あの頃とも随分様子が変わってきました。

雷門この下で、待ち合わせる人、記念写真を撮る人が多いのは相変わらずです。

                     ほうずき市

                    「ほうずき市」では人混みの中を、下の子は父親が肩車して、
                     上の子は母親が手を引いて歩きました。


浅草寺の歴史を調べてみますと、創建は推古天皇の代と伝えられています。
『古事記』『日本書紀』に記された6世紀末・7世紀初の女帝です。

本尊は観世音菩薩、天台宗(聖観音宗)のお寺です。

古典文学作品の中には、まず、文明本『西行物語』に浅草寺のことが出てきます。

そして、日本の中世期、鎌倉時代後期の様子が『とはずがたり』の中に書かれていますので、
〈私訳〉で、ここに紹介したいと思います。

武蔵の国には浅草と申すお堂があります。十一面観音をご本尊としていらっしゃり、霊験あるみ仏だと人々が申し上げていると聞きますので、私も拝見したくて参詣することにしました。
 野の中をはるばると分けて行きますと、萩、女郎花、荻、薄以外には、交じるものもなくて生い茂っております。これらの草丈がどれほどかといえば、馬に乗った男が見えないほどだと言えばその高さが想像もできましょう。
 
 その中を三日ぐらいかけて分け入って行くけれども尽きることもありません。すこし脇に入った道には宿場などもあるのですが、はるばるとあたり一面が、やって来た方面もすべてが、そしてこれから行く先もただ野原ばかりです。
 
 浅草の観音堂だけはちょっと高くなっていまして、それも木などは生えていない原の中に鎮座しておられました。 折からの月の出は、本当に「草の原の中から大きな月は出てくるよ」という古歌を思い出すように、草原の向こうから出てきました。そういえばちょうど今宵は十五夜なのでした。



正応3(1290)年のことですから、720年前の浅草の様子です。

『浅草寺縁起』によりますと、

推古天皇36年(628年)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・武成(たけなり)兄弟が隅田川で漁をしていたところ、その網に人の形をした像がかかりました。

地元の長、土師仲知(はじのなかとも)の鑑定でその像はありがたい観音像であることが分かり、仲知はお堂を建てて観音像をまつりました。これが浅草観音金竜山浅草寺の起源
 とあるそうです。

                  金龍舞

            金竜山浅草寺の金竜舞の様子です。
            一度見てみたいよな・・・・うーん、これはちょっと無理ですねぇ、私には




                




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プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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