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冷泉家の始祖 母子が眠る 鎌倉

   鎌倉の大仏

鎌倉の大仏さまです。何度も行っているので、入館せずに撮らせていただきました。

世界遺産にならなかった 鎌倉 ですが、ここは史跡の宝庫、何度も通っています。


鎌倉時代に京から鎌倉へ旅をして、紀行文を残した二人の女性。『とはずがたり』
の作者後深草院二条と、もう一人は『十六夜日記(いざよいにっき)』を書き残した
阿仏尼(あぶつに)です。在俗名は不明でこのように出家後の名で呼ばれています。

今回は「小倉百人一首」関連で、歌道の名門冷泉家の始祖為相(ためすけ)の母の
足跡をもう一度確かめてきました。

   阿仏尼供養塔
                 伝 阿仏尼 供養塔

鶴ヶ丘八幡宮から線路を挟んで 西側になります。「寿福寺踏切」を越えて、2~3分
ほど線路沿いに 上っていくと、左側にあります。お稲荷さんの隣ですが、見逃してし
まいそう。


   浄光明寺
     踏切を渡って東へ5分ほどのところにある 浄光明寺 

浄光明寺の裏山に、藤原為家と阿仏尼との子である為相の墓があるのですが、山の方
には入ることができません。

阿仏尼は藤原定家の息子である為家の妻、年の離れた後妻でした。従って 為相は、
定家の孫です。



嘉禎元年(1235)のことだったといいます。七十四歳の藤原定家が、その息子為家の
妻(阿仏尼ではない)の父である 宇都宮入道蓮生に、「別荘のふすまへ和歌の色紙
をはりたいので、あなたが選んだ歌を書いてくださいませんか」とたのまれました。

宇都宮入道蓮生はもともと、関東の豪族でしたが、出家して京の嵯峨、小倉山の中院
山荘といった別荘に住んでいたのです。定家の小倉山荘も、その近くでした。

蓮生のたっての頼みで、定家はひきうけて選び出した和歌を色紙に書いていきます。
そのことが、定家の日記『明月記』に書かれています。

百首だった、とは書かれていませんが、それが恐らく「百人一首」の原型だろうと言
われているのです。


「百人一首」の93番に採られた歌は、鎌倉幕府三代将軍 源 実朝 の歌

93 世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも
                      鎌倉右大臣

この世の中が永遠に変わらないでいてほしいものだ。この海岸沿いを行く漁夫
 の小舟の引き綱を引いている姿は、しみじみといとおしく感じられることだよ。


でした。

相模湾に面して、三方を山に囲まれた鎌倉、“しらす丼”がおいしい季節です。





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Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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