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『とはずがたり』 を旅する


かるた倶楽部 の集まりの時、宇治川の君からいただいた「御忌」その中にありました
「仏さまと生きた女性」とは、『とはずがたり』の作者 二条(にじょう)のことです。

あの時代には珍しく、長旅をした女性でもありました。

 二条の足跡は京・奈良の寺社はもちろん、関東は鶴岡八幡宮や浅草観音堂、
尾張の熱田神宮、信濃の善光寺、紀伊の熊野権現、摂津の四天王寺、西国は
吉備津神社や厳島神社、四国は足摺岬にまで及びます。



作品に書き留められた行き先は、広範囲に渡ります。上記には省略されている地名に、
武蔵の国があります。

ということは、この近くということで、鶴岡八幡宮(鎌倉)と浅草観音堂(浅草寺)は
既に何度か書いてきましたので、その他の場所ということで、訪ねてみましょう。


まずは、川越ですが・・・・、

師走になりて、川越の入道と申す者の跡なる尼の、「武蔵国に川口といふ所へ下る。
あれより年返らば、善光寺へ参るべし」といふも、便りうれしき心地して、(巻四)


     川越の町
現在の川越の町並み。「小江戸」ともいうこの風景は、二条が訪れた鎌倉時代とは
全く違いますけれど、このあたりということで。


行けば、必ず寄る「鰻の・いちのや」です。

いちのや面  鰻重  ひつまぶし

むろん、二条さんが行ったときにあるはずもないお店ですが 



鎌倉より二日にまかり着きぬ。かやうの物隔たりたる有様、前には入間川とかやながれ


     入間川
     川越に行く時に渡っている入間川


     橋
     車で行く時に渡る、入間川に架かる橋




向かへには岩淵の宿といひて、遊女どもの住みかあり。

現在もある 岩淵 の地名。

埼玉高速鉄道、南北線の「赤羽岩淵」。駅名にひかれて 途中下車 


     SR赤羽岩淵駅


     岩淵町

JR「赤羽」駅方面に向かって 歩いて行くと「岩淵町」と書かれたバスストップ 



1289年のことですので、今から723年前です。二条さんはどの辺りを通ったのかと
そんなことを想いながらの歴史散歩も楽しいものです  




浄土宗のお寺さんから出されていると思われる「御忌(ぎょき)」にある文章です。


おはなし
 仏さまと生きた女性
 「旅に生きて『とはずがたり』を書いた 後深草院二条」 

 後深草院二条は鎌倉時代の公卿・源雅忠の娘で、回想日記『とはずがたり』の作者と
して知られる女性ですが、実名は不明です。『とはずがたり』は、誰に聞かせるでもな
く書いたという回想録で、文永八年(一二七一)十四歳のときから四十九歳までのこと
が書かれています。

 さて、十四歳の少女だった二条は、その年、後深草上皇(一二四三~一三〇四)に仕
える女房(高位の女官)として院の御所に入りました。

後深草院は上皇といっても二十九の若さ、その後宮では中宮(皇后)の東二条院(西園寺
公子)を頂点として、きさきたちが上皇の寵愛を競っていました。

 二条も上皇の寵を受け、翌年、皇子を懐妊しますが、おりから父が病死。母も二歳の
ときに他界していましたから両親ともいなくなりました。

 しかし、二条には院の御所に入る前に言い交わした「雪の曙」という男性がいました。
あきらめていた仲でしたが、父の病気や葬儀のために実家に戻っていたときに恋が再燃
します。

二条が皇子を出産しても、その仲は続いたのでした。まるで『源氏物語』を思わせるよ
うな恋の話がつづられています。

 でも、それはつらく悲しいことの多い恋でした。文永十一年には雪の曙との間に女児
が生まれましたが、上皇には死産といつわり、子供は知らないところへ連れ去られ、そ
の翌月には上皇との間に生まれた皇子も、わずか二歳で夭折しました。

中宮の東二条院にはひどく疎まれ、御所への出入りを止められたこともありました。

 そんなことがいろいろあったので、二条は西行のように出家して漂白の旅に生きるこ
とを夢見るようになり、三十二歳の正応二年(一二八九)、関東への旅に出立しました。

以後、日記が途絶える四十九歳の徳治元年(一三〇六)まで、それまでの宮廷生活とは
打って変わってのびやかに旅で見聞したことがつづられています。


 その変化を二条は、「重ねしも昔になりぬ恋衣 今は涙に墨染の袖」と詠みました。
昔は恋衣を重ね着するように暮らしたけれど、今は墨染めの衣で涙をぬぐうようになり
ましたという意味です。

 二条の足跡は京・奈良の寺社はもちろん、関東は鶴岡八幡宮や浅草観音堂、尾張の熱
田神宮、信濃の善光寺、紀伊の熊野権現、摂津の四天王寺、西国は吉備津神社や厳島神社、
四国は足摺岬にまで及びます。

 四十九歳以後の二条のことは、まったくわかりません。没年も不明です。
しかし、波乱の生涯を生きた彼女は、晩年には静かにみ仏のもとで暮らしたでしょう。
そのことは間違いないと思われるのです。
      (作家・評論家 大角 修)

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Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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