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小田原城

8日、日曜日に 小田原城 へ行ってきました。

外環から首都高に入り、東名へ出ます。日曜の首都高は渋滞がないので、
約2時間程で小田原城址公園に到着です。


P1070012.jpg  P1070013.jpg






小田原城が初めて築かれたのは、15世紀中ごろ(大森氏)のことと考えられて
います。

戦国時代には北条氏の居城となり、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備されます。

ところが、豊臣秀吉21万余の大軍が小田原攻めに出陣した際には、一夜にして
直ぐ側の石垣山に城を築き本営としたといいます。

石垣山一夜城

天守閣から見える石垣山 正面の一番近い山です。

ここに突如 「城」 が現れたのだから ビックリ 

「恐そるべし 秀吉 ですねぇ」
「いや、ヤツのよくやる 手ですよ」

さらに四方を敵陣に包囲された北条氏直は、秀吉に降伏し小田原城を開城した
のです。


江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、家臣大久保氏
を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。

稲葉氏が城主となると、近世城郭として生まれ変わりましたが、  その後再び
大久保氏が城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制
を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきたのです。





小田原城は明治3年に廃城となり、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災
によりことごとく崩れ落ちてしまいました。



昭和35年(1960)に天守閣が復興(鉄筋コンクリ-ト)、

箱根

天守閣の全体像を撮るの 忘れた  外から一番よく見えてる城。

(その天守閣から撮った 箱根山 網かかっててもチョット恐いので、写真も
 ちょっと斜め)






次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)
には馬出門が復元されました。

常磐木門 常磐木門


銅門 銅門(あかがねもん)




 


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一昨年の2月

入間からこの石垣山山頂で折り返し、200キロを自転車で走りました。
その折、一夜城については調べたのですが、それこそ一夜漬けでしたので、今回の記事は改めて大変勉強になりました^^v
今年も宜しくお願い致します。

Re: 一昨年の2月

行ってみないと分からないことってあるものですね。石垣山がこんなに近くにあったとは!
また、すぐそばに「報徳二宮神社」があることも今回初めて知りました。薪を背負って本を
読む二宮金次郎の像は、小学校に必ずありました(これまた年が知れますね)が、長じては
農政家として小田原藩を救い関東600村で農業を指導した人だったんですね。
コメントありがとうございます。
今年もまた「知るを楽しむ」をテーマとしてアトランダムに展開していきたいと思います。
よろしくお願いします。



プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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