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奥州藤原氏と蝦夷の史跡を訪ねて -文・歴の旅-


※これは、オープンカレッジ受講生 S氏の作品です。

「歴史を訪ねる旅」のテーマに相応しいため、ここに掲載させていただきます。



昨年、奥州藤原氏と蝦夷の史跡を訪ねようと思い、岩手県の奥州市(江刺、水沢)
および平泉に行った時のことである。はじめに、江刺に行った。

歴史公園「えさし藤原の郷」というところで胆沢城(いざわじょう)の政庁、
清衡館などの建物や厨川の柵などの再現を見ることができた。
先ずはここで知識を得た上で、次に胆沢城跡を見る。

     担沢城跡

     
 城の規模は一辺が700m近くある広大なもので、周りは、築地で区画されてい
たという。発掘は進んではいたが、構築物はほとんど残っていない。

近くに奥州市埋蔵文化財調査センターがあり、展示室には、発掘された土器などが
展示されていた。



翌日は、平泉の駅から毛越寺(もうつじ)、中尊寺、そしていよいよ目的の衣川柵
に向かって歩く。

国道4号を北上、北上川(当時は日高見川)の支流である衣川を渡ったところを左折
して、しばらく歩いたところに「衣川柵」はあった。

     胆沢城説明板


石柱と説明の立て札があるだけで、他は見事に何もない。

やはり敗者の跡は何も残らないものなのかと妙に納得する。そういった所にもまた
歴史を感じたものであった。

もっとも、木造りであれば戦いで焼失してしまったわけであるから、意図的に再現
されなければ残っていないのは当然ではある。

いつか蝦夷の戦いの地を見てみたいものだと思っていたが、今回はほんの一部であり、
「後三年の役」までを追って行こうとするとかなり大変と思われる。




きっかけとなったのは、小説(『風の陣』、『火怨』、『炎立つ』)である。
岩手県生まれの作家・高橋克彦氏の陸奥三部作。伊冶の鮮麻呂の乱、坂上田村麻呂
による陸奥平定、それから300年近くの後の「前九年の役」、「後三年の役」。

奥州藤原氏の繁栄、そして滅亡までを蝦夷側から描いたものだ。都の人々は、蝦夷
を俘囚(ふしゅう)と呼び、自分たちとは別の人間と蔑んでいた。その蝦夷を主人
公にした一連の物語に非常に興味を持ち、奥六郡を安倍氏の城柵の跡をすべて訪ね
てみたいと思っている。

     奥州図

河崎柵、白鳥柵、衣川柵、鳥海柵、黒沢尻柵、厨川柵、嫗戸柵などである。


まあ訪ねてみても、今回のように標識だけしかないのだろうし、標識すらないかも
知れない。しかし、この先「城柵の跡」を訪ねようと思うだけで、なぜかワクワク
するのである。








胆沢城
胆沢城(いさわじょう、いさわのき)は、坂上田村麻呂が802年(延暦21年)に
胆沢(現在の岩手県奥州市)に造った城柵である。
後三年の役のあたりまで約150年にわたって鎮守府として機能したとされる


衣川柵
平安時代。安倍頼時(奥州藤原氏の初代藤原清衡の祖父)の本拠があった地帯。
長者が原遺跡など、平泉以前の「安倍」一族はこの「衣川」地区に拠点を置いて
いたと考えられる。
安倍貞任が源義家に屈して撤退するまでの18年間安倍氏の政庁であり、その後は
安倍氏に替わって奥六郡を支配した清原家の政庁もしくは居館の跡。清原氏支配
になってから柵が設けられた。








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プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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