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古典文学講座『とはずがたり』   2010年5月6日

 『とはずがたり』について(1)            2010.5.6

Ⅰ『とはずがたり』が活字化されて一般に公開されたのは昭和25年のことです。鎌倉時代に書かれたものであるのにもかかわらず、古典文学として世に知られたのが遅いという意味では“新しい古典文学作品”といえます。

昭和13年、書誌学、文献学の研究者である山岸徳平博士が、当時の宮内省図書寮(現、宮内庁書陵部)にあった御文庫の目録に『とはずがたり』という書名があることを知り、その本を借り出し精読した。『とはずがたり』には一人の女性の半生が描かれているのと同時に、鎌倉期の皇室に関わる秘話が大量に含まれていると分かった。山岸氏は内容そのものを公開するのは時局がら遠慮されて、『とはずがたり』が南北朝時代成立の歴史物語『増鏡』の中に引用されていることを紹介する形をとり、昭和15年『国語と国文学』誌九月号に初めて「とはずがたり覚書」と題してこういう作品があることを発表した。しかし、その詳しい内容については触れられていない。
『とはずがたり』の全文が初めて活字翻刻されたのは終戦後しばらく過ぎた昭和25年のことである。

Ⅱ「とはずがたり」とは「誰に問われるでもなく自分から語ること」という意味です。

自伝形式の物語的日記文学で、これを誰よりも先に読むこととなった山岸徳平氏は、平安時代に書かれた『蜻蛉日記』にも対等すると直感したという。

作者=主人公は鎌倉時代中後期に、後深草院(天皇)にお仕えした女房(女官)です。

この女性「後深草院二条」の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの境遇、後深草院や恋人との関係、天皇の女性問題、宮中行事、出家して出かけた旅の記録などが綴られている。丁度その間に起こった元寇襲来については全く触れられていないが、その他の歴史上の事象が伺われる場面がみられることや一人称、自己言及形態である点から日記文学に分類される。

Ⅳ『とはずがたり』は、『源氏物語』が意識されて書かれており、『源氏物語』受容作品として古典文学研究の対象にもなっています。

平安時代、紫式部によって書かれた『源氏物語』(五四帖)は男性「光源氏」が主人公となって繰り広げられる恋愛物語でもあります。『とはずがたり』の場合は女性「後深草院二条」と関わった5人の男性との出来事が宮廷生活を中心に描かれて、中世の世相を描写する結果にもなっている。

Ⅴ『とはずがたり』という作品は現在のところ宮内庁書陵部本しか見つかっていないために、天下の孤本といわれています。

古典文学といわれるものは、当然作者の自筆本からはじまり、それを写すことによって広く後世に伝えられてきた。乱や大火や地震などの自然災害などで後々に伝わらなかった本も多くあったけれど、例えば『源氏物語』などは多くの伝本があり、写されたり語られ伝えられる途中で変わってしまった箇所もみられる。それぞれの伝本の傾向から、写本伝本を系統分けするほど多くの本が今日まで伝えられてきた。それを思えば、5巻からなるこの『とはずがたり』という作品が他からは全く発見されていないという事実もまた作品を読む上で何らかの解釈を付与するものと言えるのではないだろうか。例えば、宮廷秘話の漏洩を避けるといった類のようなものも含めてである。

 [本日の場面]新春の御所(ごしょ)  私訳(分かりやすくする為に、直訳ではないことをご了承ください)

一 新春の御所、父と後深草院の密約

一夜があけると新春です。御所ではこの立春の霞の空をだれもが待ちかねていたように、皆、いっせいに思い思いに着飾って、美しさを競って並んでいるので、それはそれは花を折って並べたような美しさです。そこへ(十四歳になった)私も人並みに(女房装束に身を包み)装って、御所さまのお前へ出ました。その時の私の衣裳は、蕾紅梅だったかの衣(きぬ)七枚重ねに、紅の打(うち)衣(ぎぬ)、萌黄(もえぎ)の表(うわ)着(ぎ)、赤色の唐(から)衣(ぎぬ)などだったと記憶しています。下には梅唐草を浮き織りにして、唐風の垣(かき)と梅の縫い取りのある、二枚重ねの小袖を着ていたのです。

今日の「お屠蘇の儀」にはわたくしの父である大納言久我雅忠(まさただ)がお給仕として奉仕されます。簾の外での儀式が終わると、今度はまた院が大納言を簾の内へお召し入れになります。台盤所の女房たちなどもお召しになって、ひどく念のいった酒盛りのなさりようです。先の簾の外の式でも三々九度を、といって九度の献杯だったので、父大納言は内輪のこの御祝のお酒でも、「その数でいたしましょう」と申されたけれども、後深草院は「こんどは九杯ずつの三度にしよう」とおっしゃられて、御所様も臣下もみなひどく度を過ごしてお酔いになってしまわれたのです。その後に院の杯を大納言に賜る際に「この春から『たのむの雁』をこちらの方へよこすのだよ」と耳打ちされたのでした。むろんその時のわたしは、そのようなお言葉があったなどとは知るよしもありません。父が格別かしこまって、九杯ずつ三度の杯を頂戴して退出するときに、何事かひそかに仰せ事をされたとは見えましたが、どういうことを仰せになったかは分かるはずもございませんでした。
               



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研究に従事しているものです。
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こちらには 自然と文化と歴史
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