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武蔵の国 みよしのの里

この暑~い中を

川越城の本丸御殿および家老詰所の修復工事が終わって、見学出来るということ
ですので、でかけました。

     本丸御殿


川越城は明治4年(1871年)の廃藩置県を機に解体されています。この本丸御殿は
武徳殿ともいい、嘉永元年(1848年)に藩主松平斉典(なりつね)が造営、家老詰
所は昭和62年(1987年)に上福岡の星野家から移築されたものということでした。


見学を終えて外に出ると「三芳野神社」の案内板が目に飛び込んできて、へえっ~、そう!
     三芳野神社看板



童謡「とうりゃんせ」発祥の地 とあるので、これは是非にと お参りに


     社殿


三芳野神社(みよしのじんじゃ)は、川越城築城以前から当地にあったのですが、
川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになったもの。

それから「お城の天神さま」と呼ばれたということです。そうなると、こんどは

この天神さまにお参りするのに、川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士
見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直
進する道をとおってお参りしなければならなくなりました。

また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客
は警護の者によって厳しく調べられることになりました。そのことから「行きはよい
よい、帰りは怖い……
」と唄われたということです。


なお、参道は江戸時代より若干変化しているそう。

     天神様の細道 猫ちゃんがイイデスネ。見えますか



この参道を通って 正面に廻ってみて、大変なことに気づき驚きました。


     石碑



この石碑に書かれている文字、強い太陽の光でよく写ってませんね。

実は、ここ 『伊勢物語』にある「入間の郡(こほり)、みよしの里」だったのです。

碑の文面は

入間の郡
三芳野神社

我が方によると鳴くなる
三芳野の田面の雁を
いつかわすれむ
     伊勢物語



『伊勢物語』十段 たのむの雁
むかし、男(在原業平らしき)が武蔵の国までさまよい歩き、
入間の郡の三芳野の里でその国に住む女に求婚した。女の母親が花婿候補として
是非にこの高貴な人をと思って歌をよこしたのに対しての返歌がこの歌。

私を頼みにしてこちらに心を寄せると鳴いて(おっしゃって)おいでという
みよしのの雁(娘さん)を、決して忘れたりはいたしません
>という。


そして、この「田の面(たのも)」に「頼む」の意を掛けた「たのむの雁」という言葉は

『伊勢物語』のこのお話を下敷きにしながら特定の意味をもって伝わっていったと
思われます。

『とはずがたり』では、後深草院が二条を後宮に入れたいとの意向を伝えるのに、

親である大納言雅忠の耳元へ「たのむの雁をわが方によ」とささやいたとあるのがこれ これ、

コレ
なのです。



この暑さに負けず 熱くなってました、ここがその場所ときづいた時には。。。






『とはずがたり』を読む 公開講座

解説と私訳 表示の順序を変更しました。巻1の冒頭から下に送りながら続きを
読む形に戻しました。(2011/7/18)

最新の私訳は最後になりますので、続きは 左のサイドバー 「最新記事」の題名を
クリックしてその場面にお入りいただけます。

『とはずがたり』 の口語訳へは ここ(←クリック)から、どうぞ。

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Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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