にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村

三月三日のひな祭り

今日は 3月3日の‘ひな祭り’

あちらこちらでの催しを始め、沢山の雛人形を観る機会を得ることができました。
人形の姿形も時代や社会を反映して、様相から素材地域性も含めて様々あるようです。

お内裏様、三人官女、右大臣・左大臣などが並ぶ雛壇、衣裳からみますと

「平安時代」を思わせるのですが、桃の節句に雛人形を飾るという行事は意外に
新しく、江戸時代に入ってからと考えられています。


     流し雛
     縦幅8センチ、横幅17センチ  鳥取の 流し雛

解説によりますと、「この流し雛は遠く足利時代より連綿として今日迄続いてゐる
もの。昔からの古い型を保存して作ってゐるのは当店のみで御座います」

とあります。   鳥取市茶町 柳屋本店 田中達之助 


雛人形の歴史は、災厄を祓うために人形(ひとがた)を身代にして川や海に流す習慣
から始まりました。

人形(ひとがた)あるいは形代(かたしろ)と呼ぶ人形を作って川に流し、不浄払いをする
ことで、無事育つことを願うものです。


この人形と、奈良・平安時代時代にもみられる‘ひいな遊び’の人形が後に結びつ
いたのが‘雛人形’と考えられています。

女の子が生まれたら無事大きく育つことを願って、人形を飾る「雛祭り」が主流と
なりましたが、今でも、各地に流し雛の風習は残っているようです。



平安時代の陰暦3月3日は、上巳(じょうし)の節供でした。
貴族はこの日、水辺に出て禊ぎの祓えを行ったあと、「曲水の宴」をはりました。

曲水の宴」とは酒の入った盃を庭の小川に浮かべ、盃が自分の前を通り過ぎる前
に詩歌を詠み、盃を取り、酒をいただくというもの。

王朝絵巻さながらと言われる優雅な「曲水の宴」、これもまた「祓え」の行事だった
のですね。



     7.jpg
初孫の節句に、祖父母が買い求めてくれた雛壇、36年前のものです。

埼玉の岩槻に出掛けていき、人形店を巡り歩いた街の様子が甦ります。


今朝の新聞の「地名 歌語り 岩槻」(朝日新聞 埼玉版)によりますと、

人形の街として知られている岩槻は、日光御成街道の宿場町であった。日光東照宮を
建立するとき、多くの匠たちが集められたが、この街道を行き交ううちに岩槻に住み
着いた人たちがいたらしい。桐の木が多く、箪笥や人形などの職人になっていった。


その岩槻は、近年 さいたま市となりました。この‘おひな様’も大きな荷物で
さいたま市に引っ越していたことから、奇しくも地元に戻ったことになったのです。


はてさて、これからはどうしたものか。孫ができたとしても贈る訳にもいかず、

第一、飾る場所に困ることだろう・・・と、今後の懸案 課題になりそう。でも、

「人形=ひとがた 流す=処分 でいいのかな、いつかは・・」と思えたことしの

ひな祭り’です。 
                          ニッチのおひな様








コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

お雛様

今の若い夫婦のお宅にはそんな大きなお飾りはプレゼントできないけれど、お孫さんは、おばあちゃんちに行ったら、私用の大きなお飾りがあって、お雛さんのときには飾ってもらうのよと、子供心に誇らしく思われることでしょう。 立派なお雛人形、私たちの代で できる限り、大切に飾ってあげましょう。 そのあとの処分は次の代の人が決めること。 ひょっとしたら、何代か後の人たちが、昭和の時代のお雛様だと言って喜んでくれるかも。
プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
私へのメールはこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
日本ブログ村 ランキング
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR