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東京 散歩

一転して青空となった日曜日。今日の「お散歩」は・・・

見沼田んぼを横切って、南北線「浦和美園駅」から、東京まで足を伸ばすことにしました。


両国】で下車

JR両国駅の目の前が 国技館。すぐ隣の建物が、「江戸東京博物館」です。

     江戸博物館

連れ合いが、「そういえば、江戸東京博物館って入ったことないなぁ」と、


「あらっ、 そうなの?!」という事で、入ることになった所です。


駅には、今開催中の特別展 ご案内 スチール ポスターが貼られています。


「え~、そうか! コレなのか・・・」

     企画展
そうなのです。NHK大河ドラマ特別展 「~姫たちの戦国


特に近年の歴史ドラマを見ようとしない彼には、色んな点で 異議申し立てがあるようですが、


私は 事前に繰り返される宣伝から始まって、作為的と感じられようともブームを巻き起こす
‘歴史ドラマ’は歓迎です。

関連して出版物が多くなるばかりでなく、各誌で特集が組まれたり、関連する歴史資料や遺品までが
こうして、一堂に集められて公開される。地方まで出向かなくても、木像、絵巻、書簡等々 文化財
も集められているわけですから、これを見ない手はありません。


折角入館したのだからと、5階・6階の常設展も廻って 歩きました。コレ 散歩かな?




外に出ると、風は確かに冷たいけれど~青い空で 気持ちのいい日です。♪♪

来た方向とは丁度反対側に出ると、そこは清澄通り。隅田川と平行に北へ「本所1」交差点を

左折して、川に架かる「厩橋(うまやはし)」を渡ります。


     スカイツリー1
右手後方に、スカイツリーが見えました。

     
橋を渡って 浅草寺方面へ向かう 江戸通り をさらに北へと歩きました。

墨田川の対岸に移ったことになりますが、こちらの通りは より川に近いので、歩道から
川面を行く 観光船が見えてきました。 二階建ての、あれは隅田川水上バス でしょうか。


「隅田川ライン」ガイドには、

隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅。下を通る12の橋は色や形の個性的な橋ばかり。
名所・旧跡を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、変貌する東京港の姿を眺めれば、
江戸の情緒と、東京の「今」が発見できることでしょう。
 とありました。



さてさて、時計を見ると もう午後1時をまわっています。お目当てのお店「駒形どじょう

     駒形どじょう

お店の前に2列並べられた 床几は待つ人でうまって、立ち待ちの人まで・・・

これでは何時に 「どじょう鍋」 や「柳川鍋」にありつけることでしょう。


写真だけ撮って、素通りしました。 が、イヤ~ナ予感が当たりました。

次の「並木 藪蕎麦」も、「浅草むぎとろ」にも 待つ人多し。で、素通り。


浅草界隈には 江戸時代から続くうなぎ屋 てんぷら屋 などの老舗料理店が集まっている
のですが、日曜日の浅草はこの時間までどこもいっぱいのようです。


「ここならどうだろう?」と、入ったお店は 雷門通りの二階、居酒屋風ですが昼間は
ランチメニューとして、各種定食を出していました。  “魚やもへい

「鮟鱇鍋」をメインに、刺身やてんぷらも注文して、連れ合いはここでちょっと一杯。

2時過ぎると、「ラストオーダーとなります。何かありますか」。
そうか、ここは、やはり夜がメインの居酒屋なのかな。

お品書きを見ながら、「酒の肴として好まれる品はね・・・」と、 連れ合いからレクチャー
受けたほど、品数は豊富で、昔っからの肴を揃えているお店のようです。



浅草寺へお参りは、雷門をくぐって仲見世を通ります。両側のお店も来るたびに少しづつ
変わっているように思います。来る間隔が長いということかな。

スカイツリーによって、浅草も様変わりしつつあるようですね。

    浅草寺
スカイツリーもそうですが、この人混みを撮っている外人さんが目に付きました。


台湾の大龍寺に多くの参拝者が集まっていて、驚いたのは2ヶ月ほど前でした。
線香を掲げてお参りする大勢の人々を撮りながら「随分信仰の篤い国だな」と思ったものですが、

この目の前の光景は、変わらないというか、それ以上ですね。階段を上がって参拝をし、振り返って
見ると・・うわ~  すご~い  人    です。


でもね、ちょっと脇に入ると、うそのように静かで人も少ないのです。

     浅草の鐘

花の雲 鐘は上野か 浅草か」と芭蕉が詠んだ浅草の鐘、1692年(元禄5)改鋳されたもので
五代綱吉の家臣・牧野成貞が黄金200枚を寄進し、鐘の地金の中に鋳込ませたそうです。

昭和20年の戦災で鐘を残して鐘楼は焼失しましたが、翌年には再建され現在に至っています。
この鐘は1692年(元禄5)に鋳造されたものですが、現在でも午前6時の時報と大晦日の除夜の鐘に
使われているそうです。


ここから、次には「かっぱ橋道具街」へ歩く予定でしたが、「東京江戸博物館」で
時間を使いすぎたので、今日の 東京散歩はここまでとなりました。



『とはずがたり』の浅草

 八月の初めつ方にもなりぬれば、武蔵野の秋の気色(けしき)ゆかしさにこそ、今までこれらにも侍つれと思ひて、武蔵国へ帰りて、浅草と申す堂あり。

十一面観音のおはします、霊仏と申すもゆかしくて参るに、野の中をはるばると分けゆくに、萩、女郎花、荻、薄よりほかは、また混じる物もなく、これが高さは、馬に乗りたる男の見えぬほどなれば、推しはかるべし。

三日にや分けゆけども尽きもせず。ちとそばへ行く道にこそ宿などもあれ、はるばる一通りは、来し方行く末、野原なり。


 観音堂はちと引き上がりて、それも木などはなき原の中におはしますに、まめやかに、「草の原より出づる月影」と思ひ出づれば、今宵は十五夜なりけり。   (巻四)



〔口語訳〕
 八月の初めごろにもなったので、そう言えば私は武蔵野の秋の景色の見たさに今までまだここら辺りに居たのだったと思い、武蔵の国に帰った。

この国には浅草と申すお堂がある。十一面観音をご本尊としていらっしゃり、霊験あるみ仏だと人々が申し上げていると聞くので、私も拝見したくて参詣する。野の中をはるばると分けて行くと、萩、女郎花、荻、薄以外には、交じるものもなく、これらの草丈がどれほどかといえば、馬に乗った男が見えないほどだと言えばその高さが想像もできよう。

その中を三日ぐらいかけて分け入って行くけれども尽きることもない。すこし脇に入った道には宿場などもあるが、はるばるとあたり一面、やって来た方面もこれから行く先も、ただ野原である。


 浅草の観音堂はちょっと高くなっていて、それも木などは生えていない原の中に鎮座しておられた。折からの月の出は、本当に「草の原の中から大きな月は出てくるよ」という古歌を思い出すようだが、そういえば今宵は十五夜なのであった。


この時の鎌倉幕府は、二度の蒙古襲来をなんとか防いだ第八代執権北条時宗が病に
倒れて亡くなっている。

嫡男貞時が第九代執権。 元寇後にも薩摩沖に異国船が出現するなどの事件もあり、
永仁四年(一二九六年)には鎮西探題を新たに設置するとともに、西国の守護を主に
北条一族などで固めるなどして、西国支配と国防の強化を行なっており、元寇による
膨大な軍費の出費などで幕府は苦しい状況であったと考えられる。




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復元展示

歴史民俗博物館や江戸東京博物館の江戸時代の建築物の復元をされているのが、日本工業大学の波多野教授です。
建築学会トップの方で、次期学長とも言われています。
講義の聴講に行き出して2年目になりますが、しびれるような講義内容です。

Re: 復元展示

以前の「足利学校」の記事で初めて知りましたが・・・、

> 歴史民俗博物館や江戸東京博物館の江戸時代の建築物の復元をされているのが、日本工業大学の波多野教授です。

そうなんですね。驚きました! 日本文化と歴史を確かに広く伝承していくこと於いてもその功績は素晴らしいですね。
プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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