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『問はず語り』との出会い

今日 メール便でこのような本が届きました。

     問はず語りとの出会い

    『問はず語り』との出会い  井澤宣子著 文芸社 2007年発行

届くのを待ち望んでいましたので、仕事を中断して読み始めたところです。


著者は、「源氏物語を読む会」に端を発した古典文学の勉強会を通して『問はず語り』
という作品に出会ったということです。

岩波文庫『問はず語り』をテキストとして約3年間、古語辞典を頼りに通訳しながらの
勉強会の中で、作者でもある主人公二条に魅せられます。また、中世の女房たちにも思
いが及び、その時代背景と共に研究した成果をこの一冊にまとめられました。

前書きには「もとより学問的裏付けは乏しく、一人の古典文学愛好家として、独りよが
りの感想となるとは思います」との謙辞がありますが、決して主観的読みに留まるもの
ではありません。

研究書の類ではありませんが、『とはずがたり』を中世という時代の世相を反映する作
品として捉えて同種同時代の作品との対照読みの章が設けられており、深い読みが期待
される本です。




先日、某大学院の会合に出席した折、私が獨協大学オープンカレッジの講座で『とはず
がたり』を読んでいるとお話しためにこの本を紹介いただけました。

著者とはお知り合いだということでした。この本をお送りいただいた方ご自身は今昔物
語集の研究者で、古典文学の魅力に取り憑かれ、年齢を重ねてから大学院に入学した方
です。


その後の宴席で『とはずがたり』の話で盛り上がっていたところ、隣の席に座っていた
大学院生が「私、学部生のときに先生の「とはずがたり」の講義 受講してました!」と
突然の発言。

大教室でマイクが必要な授業でしたので、学生の顔はほとんど覚えていないのが実情。

「あら、そうだったの!」と答えて、ちょっと汗をかきましたけれど・・・。


事程左様に

その日は、私にとって色々な面で “『とはずがたり』での出会い”があったのです。


     P1230014.jpg

寒空には上弦の月が、街のイルミネーション を尻目に崇高に輝いている夜でした。 






古典文学って 難解だから…

古典文学作品に精通し、その上 作家である方が、古典作品を現代語に訳して作品に
するのがベストだと、当然のことながら 常日頃思っています。

例えば古典文学の最高峰と言われる『源氏物語』も、谷崎潤一郎訳を始めとして多く
の現代語訳がこれまでに出版され、今も、今後も現代版『源氏物語』は出されていく
ことでしょう。

昔からこれまでの人々がそうであったように、まずは読み手が面白いと思うものであ
るべきです。日本語であるはずの言葉が古語という難解な言葉として立ちはだかって
しまう現代において、巧みに言葉の壁を取り払って物語の世界を生かしながらも再構
築する技術、手法がどうしても要求されるのではないでしょうか。


P1240001.jpg

謹訳 源氏物語

「謹訳」とは、‘つつしんで訳します’という気持ちが冠せられているのでしょう。

この表現に惹かれました。丁度、『とはずがたり』の私訳を始めたころにこの本の発
売予定案内を書店で目にしたからでした。

本の帯、推薦の言葉を借りれば「古い言葉の襞を探って現代に再現するのではなく、
逆に現代の言葉を古い王朝生活の空間に放ち、そこから聞こえる新しい響きに耳を
澄ます、新しい読み方」であり、「訳というよりこれはどう考えても小説なのです」
と。


古典文学の場合、忠実に解釈する逐語訳によって、現代に(古典に特に親しんでいな
い人にとって)真の姿を再現する難しさを感じるのは私だけではないはずです。
作品の魅力を伝えるためには工夫が必要なのはいうまでもありません。


『謹訳 源氏物語』の著者 林望氏の講座が聴けるというので、立川に行ってきました。

朝日カルチャーセンター   平家物語に人情を読む

テーマは          平家物語に人情を読む

『平家物語』の中の、胸を打たれる「人情噺」を、人物説明、状況解説をした上で
「名場面」として ただ朗読されるだけでその世界にひき込まれるようでした。




『平家物語』の 忠度都落(ただのりみやこおち)の人情噺は

お能の『忠度』でおなじみですが、この平忠度の和歌を「読み人知らず」として
勅撰和歌集『千載集』に入れたのは、藤原俊成 でした。

俊成は、「小倉百人一首」の藤原定家 の父親で、「百人一首」の中には次の歌が
採られていますね。

83 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる                     
                            皇太后宮大夫俊成

歌意 この世の中というところは、逃れる道というものはないのだなぁ。考え込んで山に深く
 入ってきたが、山の奥にも、鹿が悲しい声で鳴いているようだ。






古典の世界、同じ人物を 他の作品の中で見つけて読む
のも又面白いものです








百人一首 カルタ取り大会 - 香取神社

旧暦(太陰暦)では、今日は1月1日、 今日がお正月だったんですね。

ということは、昨日の1月22日は 大晦日、旧暦では 年の暮れだったということです。



越谷大沢 香取神社「百人一首カルタ取り会」がありました。 正月(むつき)の行事。


     香取神社

東武伊勢崎線 「北越谷」東口から旧日光街道に出て右折、道沿いにある神社です。
神社の社務所にて、今年のカルタ取りは「ちらし取り」で行われました。

     かるた取り1
グループごとに、かるた を広げます。俗にいう「お座敷カルタ」ですね。人気漫画の
『ちはやふる』は、競技かるたを題材にしていますので、「百人一首かるた」でカルタ
取りというと、あの激しく戦う 競技かるたを連想されるようですが、


     かるた取り2
正月遊びの代表格である かるた遊び は、百枚の下の句が書かれた 札を、すべて
広げて取り合うものでした。


     集合写真
全日本かるた協会 東京吉野会副会長である プロの先生が読み手、ご指導もいただ
けるこの「カルタ取り会」は、「日本文化の継承」といった雰囲気があります。




戦い果てて、このまま解散では なんだか惜しいような気分ですね~。そこで、

北越谷駅近くで一休み、お茶をしながらの「百人一首かるた」談義です。


☆「百人一首」を覚え始めたのは50歳ぐらいからかな-脳の活性化を目指して。
 かるたは家族で楽しんだ経験しかなかったから・・・。今日のこと?思わず力が
 入ってしまいました!身内で楽しんでしまったわね(笑)。   (兼盛)

☆初めての体験。見学のつもりが夢中になってしまった!「百人一首」の講座も
 まだ半分受講しただけだし。でも、楽しさが分かってきたかな。 (しなの乙女)

☆一年前までは何も知らなかったのに、今日はプロの人の前でカルタ取りをした
 ということがとってもうれしかった。「まだまだだな」という気持ちも一方には
 あって、よい経験だった。                (なにわの式部)

☆「郷土かるた」を学校でやったというのが、私の「かるた」の基本になっている
 かな。賞状をもらったのよ私。母が「百人一首」の話をよくしてくれたんだけど、
 意味がよく解らないままに心に残っていたの。ある時「小倉山荘のおせんべい」
 を買ったらその包装紙に「百人一首」の歌が書いてあって、それが「かるた」に
 結びついたというわけよ。                  (遊戯三昧)

☆そうそう、「小倉山荘のおせんべい」のお店ではね、包装紙だけじゃなくってこ
 んな「百人一首」の本もサービスでくれるのよ。ほら、これなんだけど、ちょう
 ど持ち歩くにも良い大きさ。
 子供の頃は「坊主めくり」しかしたことなかったけど、お菓子屋さんで本をいた
 だいたのがきっかけで、歌の意味を知りたくなったのね。   (京なでしこ)

☆子供が学校で「百人一首」を勉強しているのを知って、自分も覚えようと頑張っ
 てみました。それから20年ほど過ぎて、せっかく覚えたのだから「かるた取り」
 を始めてみることにしたの。香取神社のカルタ取り参加は2回目。(宇治川の君)

☆ 私の子供の頃は、冬に家族でこたつに入って「百人一首かるた」をやってた。
 他に娯楽がなかったから。で、云十年たって、ボケ防止に今また始めたってわけ。
 今日のカルタ取りは、やっとでした。だって強い人がいたんですもの。(南天)

☆ 光琳カルタに手を触れることが出来て感激!絵札の素晴らしいこと、あれはもう
 美術品ね。
 北海道のかるたという「木札のかるた」は読みとるのが難しかったけれど、慣れて
 くると「な~るほどそう書いてるのか」と分かって面白かった。なぜ木なのかしら、
 開拓と関係あるのかな。(柳式部)






 話は尽きないのですが、そろそろ夕暮れ時です。それぞれ別れて帰途に着きました。

電車の窓から、富士山がシルエットになって赤みがかった空に浮かび上がって見えました。

「明日は晴れるのかな?」

「晴れるといいな、明日ね 岡山に行くの!」

「旅行なの?」「そうなの」「大原美術館 いいわよね」



・・・南天さん、たのしんでますか・・・

   



続きを読む

「カルタ会に参加しま~す!」 <かるた倶楽部>

今日は、予報通り 雪になりました。

早朝の雨が霙まじりになったかと思ったら、
間もなく 真っ白な雪、
盛んに落ちて来ては、溶けるように消えていきました。

お昼ごろ、再び雨に変身

午後も夕方に近づくころ
ビルの二階から外に目をやると、紛れもなく盛んに降る雪

雨 雪 雨 雪  積もることは なかったけれど

明朝は

31 朝ぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 

夜がほのかに明けるころ、明け方の月が光っているのかと思うほどに、この吉野
 の里に降り積もっている白雪よ


なんていうふうに「見沼の里」が、ならないかなぁ~。 

              かるた




19日(木)の「かるた倶楽部」練習会
越谷大沢香取神社で毎年催される「カルタ取り会」に参加しようということで、
力の入った(?だよね)練習を楽しみました。


なにわの式部>より一言

かるた倶楽部の
「写真を見て、昔のお姉さんお兄さんの集まりだと思われたかもしれませが、
皆気持ちはすごく若いのですよ。この頃接戦続きで、すごく盛り上がっています。

新年会で百人一首を通して、日本語がどんなにすばらしく奥深いものかを改めて
確認し会いました。日本人に生まれてよかったぁと言う声も!

百人一首に興味のある方、あまり難しく考えないで気軽に遊びに来ませんか?
お一人でも、気兼ねなく遊びに来てくださいね。

そうそう独協大の姫君も早く遊びに来てくださいね。
もちろん若君もどうぞ!」



          02STO11A.jpg





―お知らせ―
百人一首 カルタ取り会
★1月22日(日)午後1時30分~3時30分
★参 加 費   200円

22日は、13時に東武伊勢崎線の 北越谷駅、改札口で待ち合わせて「香取神社」に
向かいます。駅より徒歩3分ほどです。興味をお持ちの方、ご一緒しませんか。


                     百人一首①


東京上野 ちょこっと 散策

今年も義母が、東京での‘初釜’出席の為に上京しました。こちらに滞在中 空いて
いる日にちょこっとお出かけ。

16日は、おなじみの上野を散策 をしてみることにしました。


上野駅の一つ手前、鶯谷で下車。寛永寺方面へ陸橋を渡ります。

上野公園のほとんどがかつての境内だったという東叡山寛永寺。

     寛永寺


本堂にあたる根本中堂です。

山号は東の比叡山という意味で東叡山とされました。寺号も比叡山延暦寺と同様に、
創建時の元号を使用して「寛永寺」と命名されています。

そして、最澄上人(さいちょうしょうにん)が開いた延暦寺が朝廷の安穏を祈り京都
御所の鬼門に位置した鎮護国家の道場であったことにならい、

こちら東叡山寛永寺は天海大僧正(てんかいだいそうじょう)によって徳川幕府の安泰
と万民の平安を祈願するために、江戸城の鬼門にあたる上野に建立されました。



根本中堂を後にして通りを左折すると、
「国際子ども図書館」の建物が通り沿い右手にあります。

     国際こども図書館

ネオ・ルネッサンス調の風格のある建築です。



次に、東京国立博物館とは反対側へ右折、「東京芸術大学」通りに出ました。
往時の建築のまま残されているとみえる建築物もあって歴史の重みを感じさせられま
すね。


P1150018.jpg



     東京芸術大学





陽射しの薄い冬日、ゆっくり、ぶらりの散策では身体は冷えるばかり。ちょっとお休み
したい素敵な日本茶屋が見えてきました。

     桃林堂
          和菓子の「桃林堂」


ここで、ちょっと一休み。茶菓子のお話などを義母から聞きながら、お抹茶をいただき
ました。

P1150020.jpg







この付近も古い民家が散見される静かな通りです。



次に「護国院」をお参りします。

     護国院


寛永寺の子院で、谷中七福神大黒天の札所でもあります。財福を祈願しまして、
「都立上野高校」に沿って左折しながら坂を降りていきますと、




森鴎外住居跡に建つ「水月ホテル鴎外荘」の看板が目に飛び込んできました。

     森鴎外旧居跡

一隅に旧居を伝える石碑が建ち、鴎外はこの地で『舞姫』を執筆したとの説明があり
ましたが、森鴎外にはそぐわない施設が そこには建ってしまっているようです。


続いて不忍池の畔に建つ弁天堂、引き返して上野公園に入って上野の東照宮、上野大仏、
清水観音堂を巡り、お食事処「韻松亭」に入りました。



ランチメニューでの予約でしたが、落ち着いた個室に通されました。
月曜日は比較的空くのかもしれませんね。

     韻松亭部屋

茶室特有の出入り口である躙り口があります。


日本文化と和膳を味わえるお食事処、時々外国の方を見かけるのは日本の文化を知って
もらうのにも丁度良いからなのでしょう。








「かるた倶楽部」 初練習

2010年度の秋期講座、2011年度の春期、秋期講習「百人一首の世界」を
受講された方々を中心に 「百人一首かるた倶楽部」ができました。

百人一首の和歌を学び、さらに“かるたゲームを楽しむことで、和歌を覚えよう”
という仲間の活動です。競技かるた には程遠い状況ではありますけれど、、、、

かるたで脳のトレーニング、仲間の交流をたのしむ かるた倶楽部 なのです。


     獨協クラブ
     12月「百人一首かるた実践講座」に参加した仲間達です


そして、1月12日(木)は、今年の 初 練習日でした。

「お正月に、皆さん かるた取り出来ましたか?」「・・・・・」なかなか お家で
実践は、できないものですよね。

こんなメール、いただきました

「明けましておめでとうございます。-中略-今年も坊主めくり大盛況でした
嵐の後の静けさ  目下静養中です。本年もよろしくお願いします。」

後日、裏話をうかがいましたところ、

お孫さんたちと一緒にかるたを楽しまれたのですが、まだ2歳のお孫さんが参加して
いるので「坊主めくり」。その子が お昼寝タイムに入ったところで「かるた取り」に
移ろう という予定だったのですが、全然寝なかったんですよ

とのことでした。  (ほっこり 幸せ気分の お裾分けをいただきました )


     新春百人
      戦い 終えて、記念撮影で~す。「新春 百人一首」


     草加せんべい 草加せんべい で、

   お正月の 独楽 そして、福の神 よい年でありますように。

   (しっかりと、お腹の中に 入りました 


そして、松原団地駅店の「すし屋 銀蔵」で 新年会 で~す。

     新年会

みんな ランチメニュー から選びました。リーズナブルで、とっても美味しかった
ですよ。




かるた倶楽部 は 「百人一首」を共通項にして 交流を楽しむ会です。ただ今参加の
部員は10名です。 「百人一首講座」の自習として獨協大学で活動しています。

日程は下記の通りです。

6号棟 308教室  10時45分~12時15分

1月 19日(木)、2月9日(木)・16日(木)、3月8日(木)・22日(木)


参加費は 当然 無料です







続きを読む

小田原城

8日、日曜日に 小田原城 へ行ってきました。

外環から首都高に入り、東名へ出ます。日曜の首都高は渋滞がないので、
約2時間程で小田原城址公園に到着です。


P1070012.jpg  P1070013.jpg






小田原城が初めて築かれたのは、15世紀中ごろ(大森氏)のことと考えられて
います。

戦国時代には北条氏の居城となり、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備されます。

ところが、豊臣秀吉21万余の大軍が小田原攻めに出陣した際には、一夜にして
直ぐ側の石垣山に城を築き本営としたといいます。

石垣山一夜城

天守閣から見える石垣山 正面の一番近い山です。

ここに突如 「城」 が現れたのだから ビックリ 

「恐そるべし 秀吉 ですねぇ」
「いや、ヤツのよくやる 手ですよ」

さらに四方を敵陣に包囲された北条氏直は、秀吉に降伏し小田原城を開城した
のです。


江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、家臣大久保氏
を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。

稲葉氏が城主となると、近世城郭として生まれ変わりましたが、  その後再び
大久保氏が城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制
を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきたのです。





小田原城は明治3年に廃城となり、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災
によりことごとく崩れ落ちてしまいました。



昭和35年(1960)に天守閣が復興(鉄筋コンクリ-ト)、

箱根

天守閣の全体像を撮るの 忘れた  外から一番よく見えてる城。

(その天守閣から撮った 箱根山 網かかっててもチョット恐いので、写真も
 ちょっと斜め)






次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)
には馬出門が復元されました。

常磐木門 常磐木門


銅門 銅門(あかがねもん)




 


初・「文化と歴史を訪ねて」-群馬県甘楽・富岡へ-

1月6日は二十四節気の「小寒」、いよいよ本格的な寒さが始まりますね。

今年初の「文化と歴史を訪ねて」は、3日に群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町方面へ、
そして上州一ノ宮「貫前(ぬきさし)神社」に初詣。後は富岡製糸場を訪ねました。


この日は 上州の空っ風 が と~ても冷たくて、群馬は既に「小寒」デシタ



【甘楽町 小幡】


鎌倉時代から戦国時代にかけて、豪族・小幡氏の根拠地として栄えた甘楽郡甘楽町。
1615(元和2)年に織田信長の次男、織田信雄(のぶかつ)から、8代にわたり
織田家が支配、その後を松平氏が入封し明治維新を迎えました。

1959(昭和34)年に小幡町・福島町(一部富岡市に合併)・新屋村が合併し、
現在の甘楽町が誕生したということです。 


<甘楽町 小幡>

赤レンガの歴史資料館(大正時代の繭倉庫を改築したもの)

     甘楽歴史資料館

3日まで正月、休館でした。

<城下町小幡・武家屋敷>
織田信長の次男がここに城下町を築いた時に造られた。

     武家屋敷

大名が通ったといわれる道はなんと幅が14m。


「喰い違い郭」     くいちがい郭


戦いの時の防衛上のために造られたものとも。



【楽山園】

武家屋敷をさらに進むと小幡藩邸楽山園があります。

     楽山園門 入り口


京都の桂の離宮を模したものと言われ、その名は「知者楽水、仁者楽山」という論語の
語句から名付けられました。

     楽山園の池

広い昆明池にイロハ48 の銘石を配しています。

この池、実は凍っているんです

氷に覆われた池の底に、錦鯉の姿が透けて見えました
写真でははっきり見えませんね。赤や黄色の大きな鯉、

巨大な「寒天寄せ」(料理)のようだとみていると・・・
かすかに 動いたので、なぜかホッとしました。
氷の下は きっと温かくて、まどろんでいるのでしょう。


もちつき わ~い 餅つきだ!武士が搗いている!







 【『一之宮貫前神社』(いちのみや ぬきさきじんじゃ)】

     貫前神社
上野国(こうずけのくに) 一ノ宮 貫前神社



群馬県富岡市一ノ宮に鎮座する、1400年の歴史を持つお社です。

貫前神社は渓間を切り開いて建造され、しかも南向きに建っているために社殿へは、
正面参道からいったん石段を上がり、総門を潜ったところから石段を下ることにな
ります。

     階段を上る石段を上り

     下の風景鳥居の所から下を見る 



     下り参道

総門をくぐって、拝殿へは 石階段を下ります。



いわゆる「下り参道」となっていて「下り参りの宮」の通称で呼ばれています。

この様に「1度のぼってからくだる」参道は珍しく貫前神社の特徴のひとつです。



この後、世界遺産登録へ名乗りをあげている「富岡製糸場」を見学してきました。




続きを読む

あたらしき年に

2012年の 年明けです。

     第一調節池
<芝川第一調節池> 
「通船堀公園」とともに緑区の代表的な地域資産である「見沼代用水」と関係が深く、
現在もまだ整備が進められてます。


今年も、初詣はまず 見沼に隣接の、武蔵国一宮 氷川女体神社へ参拝にいきました。

ただ今 拝殿が修復修理中にて、右側横に仮拝殿が設けられています。

見沼は本来「御沼」で、神の棲む神聖な沼でした。見沼には龍の伝説が多く伝わって
いますが、これらは見沼に対して畏敬の念をいだかせるためのものでもありました。
今年の干支である 、龍は水に関係するもの。

氷川女体神社は、見沼周辺で農業を営む人々がこの地を神聖な場所と考えて、水の神
である女神を祀ったことから始まると考えられます。

歴史は古く由緒書によれば、崇神天皇(記紀伝承上の天皇)の時代に、出雲の神を
この地に勧請したとされています。





女体神社の下になる「見沼氷川公園」には、案山子の碑が、

     案山子


山田のな~ぁか(中)の 一本足の 案山子 天気のよいのに 蓑笠つけて・・・♪♪

尋常小学校唱歌 「案山子」の一節ですが、どうして氷川に? 「見沼田んぼ」だから?

一節として、次のようなことに因るようです。

この頃の唱歌の作詞者は文部省の役人であったので、作者不詳としてその名は表に
出さないのですが、「案山子」は 武笠 三(むかさ さん)という人が作詞しました。

武笠三は、幕末から明治維新に遭遇した女体神社最後の神主武笠幸美の長男として
育てられました。明治4年生まれ。東京帝国大学卒業後、埼玉県第一中学校(県立
浦和高校)などで教鞭をとりました。その後、文部省に呼ばれて国文学の専門を生
かし、国定教科書の編纂や文部省唱歌の作詞にとりかかっています。

見沼田んぼをイメージして「案山子」が、女体神社の池の鯉から 唱歌「池の鯉」が、
いずれも武笠 三氏によって作詞されたものと思われます。

               -「さいたま市立浦和博物館」の冊子 から-






ろうばい ロウ梅 が よく咲いていますね。

うれしくも としのはじめの けふ(今日)の日の 名におひ(イ)いでて さくやこの花 
                                         大隈言道

和歌の「この花」は梅の花ですが、梅の花の蕾も膨らんでいます。旧暦の正月ころ
にはきっと「さくやこの花」が確認できることでしょう。



今年こそは、昇り龍の一年であってほしいものですね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。







プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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