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卯 から 辰 へ

     卯
                   卯 年

今年も、残り1日となりましたね。

何んとか お正月がくるかな、という程度にお掃除をすませ‘もちっこ’でお餅も
搗きました。

今年は大掃除には 断捨離 をと意気込んではいたのですが、年の瀬(せ)い
しょうか、徹底的に とはいきませんでしたね。そこで、

 断捨離を する体力も失せ 年の暮れ

なんて 思いながら歩いてたら こんな光景に 出会いました


     珍百景犬が通行人を見下ろす
分かりますか? 3メートルほどある塀の上の、柵のところから 道行く人を見下ろし
眺めている犬。

ず~と同じところから 吠えもしないで、通りの風景を 一日中楽しんでいるかのよう、
戻って行って、携帯で撮ってみました。

すると、他の人も犬に気づいて 見上げながら通っていくのでした。



掛け替えた 暦、来年は2月が29日まである 閏年 になります。太陽暦ですと4年
に一度の調節によって、一年を365日に平すことができるのですが、

明治5年まで、日本は太陰暦(旧暦)でしたので、閏日を設けるだけでは調節はでき
なくて、閏月までありました。

同じ年のうちに、ある月が2回繰り返されるという閏年があったのです。そんな年に
は 月の進行が遅れることによって 12月の内に「二十四節気のひとつである 立春 」
がきてしまうこともあったのです。

新年=春 というとらえ方の時代、暦の上とはいえ 年の瀬と新年(春)が同じ月とはね。
昔の人は、こんなときを「歳内春」と和歌に詠んでいます。


  ふる年に春たちける日よめる     在原元方(ありわらのもとかた)
  (12月中に立春を迎えた日に詠んだ歌)
年のうちに 春は来にけり ひととせを 去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ

(年内だというのにもう春が訪れた。春といえば新年だが、さてこの過ぎた年を去年と
 いったらよいのか、それとも今年と呼ぶべきだろうか)


これは、『新古今和歌集』巻第一の1、巻頭の和歌です。





太陽暦の現代、 もうすぐ 苦難の一年を終えようとしています。

暦の この節目に、新たな力を漲らせて新しい年を迎えたいもの、

     辰
       辰 年  の昇り龍  よい年となりますように。








映画 『源氏物語』

今日は、久しぶりに池袋駅で人と待ち合わせ 
 
26日のお昼、まだ年末の慌ただしさや人混みもなくて
駅中で時間までウインドショッピングを楽しみました。

     源氏千年

      書店に掛かっていた映画「源氏物語-千年の謎」の案内



獨大オープンカレッジの「天皇に愛された女の物語-『とはずがたり』-」講座で
時代考証の各種資料を駆使しましたけれど、この映画を見れば服装、調度など
一目瞭然です。

もっとも、場面の一時停止や解説はないので見落とさないよう目を凝らし、意識し
て確認することになりますと、映画の世界に入れなくって、内容が、訳分からなく
なってしまうかも知れませんね。

「物語 誕生の秘密」に焦点が合わせられています。「源氏物語」の世界と、物語が
生まれる 政治的背景の歴史的人物のお話とを混同して捉えないことが前提でした。

この映画について、事前に ここ(←) ちょっと知識を得たうえで鑑賞するのもいいか
も知れません。





雪こそ降りませんけれど、ぐんと寒くなってきましたね。

 エソラ池袋 の L’OCCITANE に寄ってシア ハンドクリームを買ったら

SHボディクリーム のサンプルがついてきました。

     ボディクリーム



今夜はお風呂でよく温まって快く眠りにつけそうです。  









冬至 -冬ごもりの前に

今日は二十四節気の一つ冬至ですね。(と、書いた瞬間に日が改まった )

今年は22日が冬至、一年中で夜が一番長い日です。ということは・・・

夜が明ける のが遅くて、いつまでも暗いということです。ちなみに、
12月22日の冬至の日は、 旧暦の11月28日 になっています。


‘夜が早くやってきて来て、夜が明けるのも遅い ’なんて 昔の恋 には最適、
一緒に居られる時間が、一年中で一番長い ということに なりますものね。


有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり 憂きものはなし  壬生忠岑
明け方の月が無情に残っていて、あなたが冷たく見えたあの別れ以来、
 夜明けほど私にとってつらいものはありません
)という「百人一首」の歌ですが、

夜明け近く、有明の月がかかった空の下を、女性と別れて帰って行く 男性。。。

つれなかろうが、そうでなかろうが、男性は 夜が明けて明るくなる前に 女性と
別れて 帰るのが常識だった時代、短夜の夏(夏至)では 逢瀬の時も短いという
ことになりますね。



う~ん、でも 冬至の寒い時期では、ブルブルブル 熱い恋でも 凍えてしまいそう!


今日も一日寒かったですね。柚子を入れたお風呂に入るという冬至の習わしは
冷えた身体を温める という 理にかなったもの なんですねぇ。

昨年は、細い通路に植えた柚子の木に 実が 20個ほどなったのに、今年はゼロ
そこで、裏の農協直売所から 5個入り200円の大きな柚子を買ってきて柚子
風呂にしました。

他の木には、例年より結実優良なのもあったのですけれど。


たとえばこれは、

     いちごの木
イチゴの木」と言います。この赤い実、見たより堅めでそれほど甘くはなくて
スッキリと美味しい!


     かざぐるま
白い花が、まだいっぱい咲いているでしょ! 鳥よけの かざぐるま も頑張ってるし
まだ、まだ期待できそうデス。



そして、こちらは
     タラの実
黒い小さな実が、テン、テン、テンと成っているのが見えるでしょうか。


日陰の身だった「タラの木」を、ちょっと日当たりの良い場所へ移したところ、
白い花をつけました。実になっているのに気づかないでいたら、

鳥さんが啄んでいたらしく、残りも少なくてます。美味しい実で、ジャムにもする
そうですよ。広い場所に何本もの木があったら の話ですが。


そして、これこれ 見てください

     姫リンゴ
姫りんご の 飲料酢を作ることにしました。

先月 実野里 で買ってきた鉢植えのリンゴの木。
真っ赤な姫リンゴがとっても可愛くて、綺麗だったので求めてきたもの。

この寒さで、本当に‘リンゴのほっぺ’ってこんな感じだわぁ~と思う
色になってきました。  そこで、こうして‘冬ごもり’です。


岐阜名産の 富有柿、「ジャムにするといい」と教えてもらったので、今年は少し
残しておいて、柔らかくなった頃に ジャム変身させてあげました


さぁ~て、冬至 に食べる というカボチャですが、

「カボチャの煮物」が苦手という家人のために、まず、好物の小豆で餡をつくって、
カボチャと一緒に煮る「カボチャのいとこ煮」にすると、

     カボチャのいとこ煮
好評でした。 

冬至にかぼちゃを食べると、中風(脳卒中)にならない、風邪を引かないとか
栄養面の効能を説かれるのですが、私はどちらかというと

‘金運を祈願する意味がある’という伝承のほうに力が入ってしまいましたけれど。






奥州藤原氏と蝦夷の史跡を訪ねて -文・歴の旅-


※これは、オープンカレッジ受講生 S氏の作品です。

「歴史を訪ねる旅」のテーマに相応しいため、ここに掲載させていただきます。



昨年、奥州藤原氏と蝦夷の史跡を訪ねようと思い、岩手県の奥州市(江刺、水沢)
および平泉に行った時のことである。はじめに、江刺に行った。

歴史公園「えさし藤原の郷」というところで胆沢城(いざわじょう)の政庁、
清衡館などの建物や厨川の柵などの再現を見ることができた。
先ずはここで知識を得た上で、次に胆沢城跡を見る。

     担沢城跡

     
 城の規模は一辺が700m近くある広大なもので、周りは、築地で区画されてい
たという。発掘は進んではいたが、構築物はほとんど残っていない。

近くに奥州市埋蔵文化財調査センターがあり、展示室には、発掘された土器などが
展示されていた。



翌日は、平泉の駅から毛越寺(もうつじ)、中尊寺、そしていよいよ目的の衣川柵
に向かって歩く。

国道4号を北上、北上川(当時は日高見川)の支流である衣川を渡ったところを左折
して、しばらく歩いたところに「衣川柵」はあった。

     胆沢城説明板


石柱と説明の立て札があるだけで、他は見事に何もない。

やはり敗者の跡は何も残らないものなのかと妙に納得する。そういった所にもまた
歴史を感じたものであった。

もっとも、木造りであれば戦いで焼失してしまったわけであるから、意図的に再現
されなければ残っていないのは当然ではある。

いつか蝦夷の戦いの地を見てみたいものだと思っていたが、今回はほんの一部であり、
「後三年の役」までを追って行こうとするとかなり大変と思われる。




きっかけとなったのは、小説(『風の陣』、『火怨』、『炎立つ』)である。
岩手県生まれの作家・高橋克彦氏の陸奥三部作。伊冶の鮮麻呂の乱、坂上田村麻呂
による陸奥平定、それから300年近くの後の「前九年の役」、「後三年の役」。

奥州藤原氏の繁栄、そして滅亡までを蝦夷側から描いたものだ。都の人々は、蝦夷
を俘囚(ふしゅう)と呼び、自分たちとは別の人間と蔑んでいた。その蝦夷を主人
公にした一連の物語に非常に興味を持ち、奥六郡を安倍氏の城柵の跡をすべて訪ね
てみたいと思っている。

     奥州図

河崎柵、白鳥柵、衣川柵、鳥海柵、黒沢尻柵、厨川柵、嫗戸柵などである。


まあ訪ねてみても、今回のように標識だけしかないのだろうし、標識すらないかも
知れない。しかし、この先「城柵の跡」を訪ねようと思うだけで、なぜかワクワク
するのである。








胆沢城
胆沢城(いさわじょう、いさわのき)は、坂上田村麻呂が802年(延暦21年)に
胆沢(現在の岩手県奥州市)に造った城柵である。
後三年の役のあたりまで約150年にわたって鎮守府として機能したとされる


衣川柵
平安時代。安倍頼時(奥州藤原氏の初代藤原清衡の祖父)の本拠があった地帯。
長者が原遺跡など、平泉以前の「安倍」一族はこの「衣川」地区に拠点を置いて
いたと考えられる。
安倍貞任が源義家に屈して撤退するまでの18年間安倍氏の政庁であり、その後は
安倍氏に替わって奥六郡を支配した清原家の政庁もしくは居館の跡。清原氏支配
になってから柵が設けられた。








江の島へ -文・歴 の旅-

暖かい日と寒い日が交互にやって来るようでしたが、いよいよ明日はこの冬最低
気温になるとの予報ですね。

夕方4時近くに、暗雲が空を覆い、パラパラと窓ガラスを打つ音が続きました。
「あ、降ってきたのかな?」

外を見ると、強い風に乗って沢山の木の葉が風に舞い 物に当たって立てる音で、
その勢いはまるでコウモリか小鳥が飛んでいるかのようでした。


この13日火曜日はよく晴れて風もなくて、暖かく感じる日でした。こんな日
こそ いざ鎌倉へ。文化と歴史のプチたび へということで、まずは江ノ電で
「江の島」に行きました。


『とはずがたり(問わず語り)』の作者二条が、東下りをして鎌倉に入るまえに、
江の島で一泊しています。正応2(1289)年3月20日過ぎのことでした。

     エスカーで上がったところ
江ノ島エスカーに乗って、中腹から見えた江の島大橋と弁天橋

2011年12月13日の風景です。722年程前に橋は架かってなかったのでは
ないだろうか。舟で渡ったのであろうか。

作品に「漫々たる海の上に離れたる島に、岩屋どもいくらもあるに泊まる」とある。




     江島神社
快適、爽快! 左右 陽に輝く穏やかな海を見ながら、緑の江の島へ向かって弁天橋
を渡ります。土産物店や磯料理の食事処が並ぶ参道を登ると、朱塗りの鳥居と竜宮城
を連想させる瑞心門があります。


門をくぐって石段を上がると、辺津宮(へつみや)に到着します。が、江の島名物の
「エスカー」に乗ってみたかったので、そちらから楽々到着してしまいました。

     辺津宮

建永元(1206)年、三代将軍 源実朝 の創建。今の社殿は昭和51(1976)
年の築造ですが、二条が江の島で一泊した時には創建から既に80年ほど経過して
いたはずです。

源実朝は「百人一首」に次の和歌が採られています。

93世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも           

歌意
 世の中が永遠に変わらないでいてほしいことよ。海岸沿いを行く漁夫の小舟の、
 引き綱を引いている姿は、しみじみといとおしいものだなぁ。




江の島サムエル・コッキング苑を通過して現れる 展望灯台

     展望灯台

高所恐怖症の私には、これ登るの 無理かもと思ったけれど、江の島から360度の
風景を満喫できるこの天候を逃す手はないと、エスカレーターでは壁を見つめて上へ


     展望台から右側
        大橋右側と

     展望灯台左側
          左側、


うわぁ~ 素晴らしい景色

手すりを片手でしっかり掴みながら、何枚も写真を撮りましたが、言うまでもなく
実際にはもっとダイナミックで透明感のある美しい風景でした。




そして、こちらが 二条の言う「岩屋」かなと、島巡り。

     江の島岩屋

この「岩屋」に渡る通路で ロケ中。十数人のスタッフがいて、中程に女優さん。
車いすに座り帽子をかぶってショールに膝掛け、「誰だろう?」すれ違いざまに

横顔を見てみたけれど、誰だったかなぁ・・・「倍賞千恵子だね」「あ、そうか」


二条は夜も更けたころに
岩屋のあらはに立ち出でて見れば、雲の波煙の波も見え分かず」と、このあたりを
見ていたのでしょうか。

     稚児ヶ淵
岩屋の前の「稚児ヶ淵」。江の島の西南端にあたり、磯遊びや釣りを楽しめます。

この日も何人も下に降りていきました。やはり、風のない日は暖かく感じますね。









見沼田んぼ から 富士山

「都会のそばに豊かな緑」 と新聞にもとりあげられた 見沼田んぼですが、案外
埼玉県内での知名度は高くないようです。 埼玉県内の住民であれば、既に我が町
近隣が「緑豊か」、緑を求めて出かけるほど自然を渇望することもないというのも
その一因かも知れません。

最寄りの駅ならば東浦和、浦和美園ですが、東川口や大宮駅からですと2~3キロ
ほどのところに面積約1260ヘクタールの広大な緑地がひろがっています。

古代は海の入り江で、約6千年前に東京湾と分離し、多くの沼や湿地ができたという
ことです。江戸時代の中期、8代将軍、徳川吉宗の命によって新田開発がおこなわれ
ました。灌漑用水地を干拓して見沼代用水を堀り、利根川から水を引いて、「見沼
田んぼ」ができました。




その見沼田んぼから、今日も 富士山が 見えました!

     見沼から富士


     メタセコイア1
見沼代用水東縁 には この‘メタセコイア’が田園風景に高原のイメージを
添えているような・・・


     

     新都心・バスストップ
向こうに見えるのは さいたま新都心のビル。そして、手前に見えるのは 新しく
できた・・・


バスストップ バスストップの、囲い


東川口方面と浦和をつなぐ路線のようです。このバス亭は「総寺院」です。

緑だけでなく四季折々に咲く花の種類も豊富、見沼田んぼは憩いの場にも
なっています。






小倉百人一首かるた 実践教室 

     恋する百人一首阿刀田高
         恋する小倉百人一首」 より抜粋-

(子どものころ)

-小倉百人一首って、おもしろそうだな-
と興味を覚えた。

正月になると姉のところに晴着姿の友だちが集まって来て楽しそうに遊んでいる。
仲間に入れてもらおうとしても、
「あんた、できないでしょ」
と排除されてしまう。

ー落語にあったやつじゃないかー

゛ちはやぶる″と聞いたら゛からくれなゐに水くくるとは″と書いた札を取れば
いいらしい、と遊びのルールを理解し、そのほかの札の暗記に努めた。

いつしか百枚をそらんじて姉たちに負けない腕前となったはずである。ささやかな
体験だが、今になって思い返してみると、あれがどれほど日本の古典を理解し、こ
の国の文化を考えるために役立ったことだろう。

ー子どものころに百人一首になじんでおいてよかったー

 これは本当だ。しみじみと思う。小倉百人一首は充分に深い世界を内蔵している。
ただの遊びにしては余るものがある。古くさいなんて言わないで、

「ちょっと覗いてみませんか」





      小倉百人一首かるた 実践教室 の お知らせ


        ポスター

獨協大学の構内 6棟 を中心に ポスター を掲示していただきました。
 も ちょっと 大きくて目立つようにすればよかったかな・・


【内容】

小倉百人一首  かるたで遊ぼう  机上(テーブル)ゲームで行います

日時:  平成23年12月15日(木)   10:45~12:15

場所:   6棟  308教室  にて 
     参加・見学 自由


○坊主めくり  ○ちらし取り   〇源平合戦
         


※百人一首かるたの遊び方や、ルールを知っていただき
  伝えていくことを目的としています。




キャンバスマップ 一番上(西側)、左が 6棟です。




上記時間に教室においで下さい。お待ちしております。









 むべなるかな

きょうは、大雪ですね。 いえ、雪が降ったのではなくて二十四節気の一つ、
た い せ つ」に当たるとのことです。それにしては、今日の さいたま市は、
日中の気温が13度ありました。

雪は降りそうにありませんが、木の葉が降るように散って、掃いても掃いても切りのない状態です。


先月の後半、群馬がこのような状態で、紅葉ももう終わりの頃でした。


     こもち直売所

「こもち直売所」 品数も多く、他ではないもの、珍しいものが置かれていて、
訪れるのが楽しい 農産物直売所なのです。


そこで、見つけたのが これです。

     むべ

大きく 「むべ」と書かれていて、食べ方の説明もありました。

面白い名前だと、その時は思ったのでしたが、名の由来を尋ねてこなかったので、
ちょっと 調べてみましたところ・・・なんと、あの古語の「宜(むべ)」だと分
かって驚きです。


晩秋、ほのかに甘い赤紫の実のなるアケビ科の低木「ムベ」。この語源は、天智
天皇が発せられた一言だったということです。

滋賀県近江八幡市に伝わるお話では、狩りに出かけた天智天皇が健康な老夫婦に
出会った。その長寿の原因はこの地で取れる珍しい果物であるという。その無病
長寿の霊果を、毎年秋にこれを食するためというので、それを賞味した天皇は
むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。

 
その時からこの果実をムベと呼ぶようになった というのです。

ムベは、ウベとも。「宜・諾」肯定の意を表し、「もっともなことに、」とか
「なるほど」「いかにも」


そうなんです。辞書に引かれている 語例が 百人一首 の和歌なんですよね。


22吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ        文屋康秀 

(吹きおろすとすぐに、秋の草木がしおれてしまうので、なるほど、それで
 山から吹きおろす風を、荒々しい山風、すなわち「嵐」というのであろう。)


「山風」という漢字二字を、一つに合わせると「嵐」という一字になるという漢字遊び
にもとづいた歌。「山風」「嵐」という言葉が続き、また掛詞で「荒らし」が連想され
ていくうちに、荒々しい山風に吹かれ草木がしおれていく情景が想い起こされてくる。



秋は、荒々しくも、ものみな枯れ衰える時節でもあるのですね。

そして、今日は大雪(たいせつ)、もう冬です。


    


百聞は一見に如かず

獨協大学オープンカレッジ 講座

天皇に愛された女の物語日記文学「とはずがたり」と鎌倉時代ー」


平安から鎌倉時代にかけての装束(しょうぞく)について知ることは、なかなか難しくて
諸資料集の解説などを駆使してイメージし、理解して分かりやすくお伝えしたいと思っていました。

受講生のNさんがまとめられたレポート(時代別・服装の変遷から貴族の衣裳を見る)では、インター
ネットからのカラー写真や図説をメインに使われていて、とても分かりやすく構成されていました。


な~るほどね、目から鱗 でしたね。百聞は一見に如かず 解説ではなくて、実際に見ていただくのが
一番。で、教材を探してみました。


プロジェクターを使っての 講座風景です。

プロジェクター

女房装束  単衣(ひとえ) 五衣(いつつぎぬ) 打衣(うちぎぬ) 表着(うわぎ) 裳(も)
唐衣(からぎぬ)が着せられていく 実演 。



古来 日本の衣服の色目は、染料となる草木の名で呼ぶことが多かったので当時と現在では
呼称に違いがあるのですが、それがまた現代のわたしたちから見ると非常に魅力的ですね。

               色目

萌黄(もえぎ)色は、植物が萌え出る色を連想させます。

周芳(すおう)色は、庭木でも見る 花周芳(はなすおう)の、あの色かな ?

             花周防
咲いた時より、蕾の色が近いような・・・
でも、よく見るハナスオウは日本へは江戸時代に入ってきたとの説明があるから、原種?

こんな目で、まわりの自然や植物を見るのも 楽しい ものです。


     襲ね色目・住吉物語絵巻
◇いろどりも鮮やかな襲ね色目 「住吉物語絵巻」  (教材「新訂国語図説」京都書房 より)


四季の襲ね色目もまたとっても素敵です。ちょっと、色のコーディネートの参考に
してみてはいかがでしょう。


四季の襲 襲ね色目(かさねいろめ)には
年齢や季節によるきまりがありました。 

この際、年齢は問題にしないで楽しむことに

しませんか。堅苦しくないファッションの時代に生まれ合わせたんですから。





 私訳版 『問わず語りの物語』 は こちら) から お読みいただけます。




法然と親鸞 ゆかりの名宝・特別展

師走になると同時に気温も下がり、真冬の寒さになりました。

それに比べて昨日、霜月晦日のなんと暖かかったことか、

明日からはまた気温の低い悪天候が続くとの予報ですが、なるほど昨日の特別展の、
あの混み具合のものすごさは、この天候に一因があったとも考えられますねぇ。

11月30日「東京国立博物館」に行ってきました。

     法然展パンフ


念のために用意したショールも 終始余計な持ち物となる暖かさでした。


     入り口





10時頃に入館。スゥーと入場できたのですけれど、第一会場の入り口に足を踏み
入れるやいなや ご案内のアナウンス。


「どうぞ立ち止まらないよう、お進みください」

「第2会場に余裕がございます。先に第2会場をからご覧下さい」


でも、多くの方が「音声ガイド」を入り口で受け取っての入場ですよ!
説明を聞きながら、ゆっくり、じっくり見るための 
あの 牛歩になるのも無理ありません。

背の決して高いとは言えない私、伸び上がろうが飛び上がろうが、離れていては
何も 見えません。
潜って近づき、少しでも間のある箇所へ先に移動したりして回るのですが・・、
ふう~  疲れる~ というより、周りが気になって集中できないばかりか、見る
意欲が削がれていくような・・・。


耳元で、「なんか、人見に来たようなもんだな」 と言う人の声。。

もう、義務のように、ただ一通り回って 出口まできたら、

   列1

まだ 続いて・・・

   列2



えっ~ これから入場しようとして並ぶ列が、門まで続いているのです。
もうすぐ12時、お昼時。


予定していた「韻松亭」でのお食事は・・・・

いんしょうてい


昼間は、前もっての予約 はないはず。入り口で名前を書いての順番待ちですね。


「もう、これ以上待つよりは・・・」と、今回は他のお店を探すことにしました。



アメ横入り口近くの「元祖 釜めし 春」の「鯛釜めし」

釜飯



注文を受けての釜炊きでちょっと待ちますが、いいお味です。


「今日のような混雑甚だしい場合はね、見たいものを絞るのよ」とMさん。
  

「図録を先に買い、休憩のための椅子に座って本をみて、後の説明を読む。で、
これ 実物見たいと思う所を番号で探してね、直進したのよ。

図録

やはりね、図録見るだけじゃダメ、本物から受ける感覚、これが大事だから」



出口で待ち合わせした時Mさんが一番後から出てきたけれど、
一番満足した顔つき、疲れ方も私たちほどじゃなかったしね。


な~るほどね、これは まさしく特別展だわ!










プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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