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今朝は もう3時ごろから 激しい雨音がしていました。

夏の 早朝散歩

もうエルマーは玄関で散歩に出ようと待機しているけれど、
5時になっても この降り方では 中止にせざるを得ませんね。


先日の台風の後から、気温がぐーんと下がったので、早朝の散歩道に こんなものが
見られるようになりました。

     露

葉の上には たくさんの   風が吹いてくると 葉がゆれて 露は

ころころ ぱらぱら   日ざしが 強くなるまでの です。


秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ  天智天皇
(秋の田の仮小屋の、屋根を葺く草の編み目が粗くて粗末だから、私の袖は夜露に
濡れるばかりである)


白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける    文屋 朝康
(白露に、風がしきりに吹きつける秋の野は、その白露が まるで糸に通していない真珠
が 散りこぼれているように見えることだ)


『百人一首』の歌です。二首とも  

そうですよね、あの頃 2日間は長袖で 散歩に出ましたもの。




     鴨

鴨も 水から上がって 置物のように 柵の上にとまったまま

時間帯を1時間ほど 繰り上げたサマータイムの 散歩やジョギング
人通り、犬通りも結構多いのですけれど。 ワンちゃんの方が気になる様子です。


散歩から帰って さてこれからが 一日の始まりです。
この暑い中、ウオーキングを兼ねて買い物というわけにもいかず、意識して歩くの
早朝散歩だけですが、

なんだかんだと動くことがあれば、一日の終わりに 歩数をみてみると

万歩計  一万歩は超えてマス     旅がえるさんスタンプ






クリーム あんみつ

甘味処に入って食べたいものは‐‐‐あ・ん・み・つ デス。

でも、若い人は ケーキセットの方を好むのではないかと思ってお誘いしないのですが、

     シナモンクリームあんみつ

先日、若い友達といっしょに食べた「シナモン くりーむあんみつ」。寒天の食感がと
ても よくて、美味しかったです。

ポーランドの大学に勤務しているSさんと池袋で待ち合わせて、用事を済ませたあとに
一緒に入った甘味処。東武デパートの4階、婦人服売り場のコーナーに入り口がありま
した。

‘くりーむあんみつ’ シリーズが何種類も揃っていて、これには ちょっと びっくり! 

Sさんがよく寄るお店だそうです。わたしはこのデパートのプラザ館B2Fにある
あんみつみはしに寄ることが多いのですが、

ゆっくり休みたい時やお話したい場合は、こちらがいいですね。


     園山さん




実はね、上のスプーンの 矢印の先に描かれているものがあったんですよ。
私は、全く気づきませんでした。


スプーン
S先生が、突然「あ~いやだわ。Keikoさん、これ取り替えて下さい!」と自分の所
のスプーンをこちらに渡して、こちらに置かれてあったスプーンと交換したものです。


私には眼鏡をかけて見ないと何が描かれているのか分からない程なんですけれど・・・

可愛い かえると小さな水連のデザイン。  ああそうか、S先生
これ、苦手だったんだヮ。 それにしても よく気づいたものだと。。。感心しました。



そういえば、他の若い友達も一緒に私の家に来ていただいた際にも部屋に入るまで
なにか・・ちょっと、様子が 変かな

「どうして、お宅にはこんなにあちこちに、かえるが置かれてるん
ですか?」と聞かれたのを思い出しました。

かえる これ、見せたら逃げ出しちゃいそうです。
               カワイイノニネ。





で、クリームみつまめ のお話に戻しますと・・・、ポーランドにあんみつは勿論ない
のですが、 アイスクリームをよく食べるそうです。

それが、何個も重ねて、すごいボリュームとか。

          パフェパフェも 器から特大
コーンでボリューム増しなんてしないし




私の地元でお気に入りの‘クリームあんみつ’は、コレです!

PAあんみつ 片手に乗る湯飲み茶碗大



          和懐石高砂 東浦和<和懐石高砂>

午後3時~5時のティータイムのみ、単品で注文できます。さっぱりとして美味しいですよ。








メタセコイア

大形の台風6号

ゆっくり ゆっくりと 通過して行った のカナ?

夕方から、翌 未明にかけて 大量の 雨 との予報 だったけれど・・・

日付の変わろうという この時刻に 外は 不気味なほど 静か です。
このまま 何事もなく 去って くれれば いい ナア


夕方から、断続的に降りはじめた 篠突くような雨  

その 間 を くぐって 見沼の 入り口 まで 出かけました。
ふ~っと 深呼吸がしたくなって・・・ 


     今日の木
メタセコイアの並木が シャワーを浴びているようです。


見沼田んぼを横断する一本の道路 その街路樹として植えられている メタセコイア

この木が 生きた化石 といわれる木なんだと知ってから
余計に 愛着をもって 眺めるように なりました。

NHK歌壇 で こんな短歌が入選していたのは 今月二週目だったでしょうか。


何万年 変わらぬ姿 石にあり メタセコイアの 葉はやはらかし
                            鳥取県鳥取市 林 美奈子


植物図鑑 には、こんな説明があります。

◆特徴◆
中国産で、化石のみの樹木とされていたものが生木として発見され、その後100本の
苗が日本に渡来し、全国に配られました。落葉高木で、高さ20~30mです。葉は長さ
2~3cm、幅約1mmの線形で、秋には黄葉して弱い側枝ごとに落ちます。


     葉先
幹の下の方に出ていた葉です。さわってみると、意外な程 柔らかいのです。


四季折々にその姿を変えて、色も変えながら 楽しませてくれる メタセコイア です。

     メタセコイア5
5月のメタセコイア 朝7時ごろで 東側に向いて撮っているので緑が濃くみえますけれど、
まだ枝が伸びる途中ですね。


     ヘルシーロード7
東縁ヘルシーロード沿いのメタセコイヤ。苗木として植えられていたものが大きくなった
ような感じで、小さな森のようです。


     メタセコイア10
10月のメタセコイア。 そろそろ黄葉が始まるころです。


     メタセコイア11
早朝で、よく色は分からないのですが、11月にはもう黄葉しています。

こんなふうに、

     紅葉


12月には、葉を落として 姿を変えますよ。

     メタセコイア12

夕方に見せるシルエットが とっても 素敵です。

     夕方



そして、これが 2月のメタセコイア。

     メタセコイア2
雪の降った翌日です。芽吹きの前のメタセコイアはとってもスマートです!








 



武蔵の国 みよしのの里

この暑~い中を

川越城の本丸御殿および家老詰所の修復工事が終わって、見学出来るということ
ですので、でかけました。

     本丸御殿


川越城は明治4年(1871年)の廃藩置県を機に解体されています。この本丸御殿は
武徳殿ともいい、嘉永元年(1848年)に藩主松平斉典(なりつね)が造営、家老詰
所は昭和62年(1987年)に上福岡の星野家から移築されたものということでした。


見学を終えて外に出ると「三芳野神社」の案内板が目に飛び込んできて、へえっ~、そう!
     三芳野神社看板



童謡「とうりゃんせ」発祥の地 とあるので、これは是非にと お参りに


     社殿


三芳野神社(みよしのじんじゃ)は、川越城築城以前から当地にあったのですが、
川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになったもの。

それから「お城の天神さま」と呼ばれたということです。そうなると、こんどは

この天神さまにお参りするのに、川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士
見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直
進する道をとおってお参りしなければならなくなりました。

また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客
は警護の者によって厳しく調べられることになりました。そのことから「行きはよい
よい、帰りは怖い……
」と唄われたということです。


なお、参道は江戸時代より若干変化しているそう。

     天神様の細道 猫ちゃんがイイデスネ。見えますか



この参道を通って 正面に廻ってみて、大変なことに気づき驚きました。


     石碑



この石碑に書かれている文字、強い太陽の光でよく写ってませんね。

実は、ここ 『伊勢物語』にある「入間の郡(こほり)、みよしの里」だったのです。

碑の文面は

入間の郡
三芳野神社

我が方によると鳴くなる
三芳野の田面の雁を
いつかわすれむ
     伊勢物語



『伊勢物語』十段 たのむの雁
むかし、男(在原業平らしき)が武蔵の国までさまよい歩き、
入間の郡の三芳野の里でその国に住む女に求婚した。女の母親が花婿候補として
是非にこの高貴な人をと思って歌をよこしたのに対しての返歌がこの歌。

私を頼みにしてこちらに心を寄せると鳴いて(おっしゃって)おいでという
みよしのの雁(娘さん)を、決して忘れたりはいたしません
>という。


そして、この「田の面(たのも)」に「頼む」の意を掛けた「たのむの雁」という言葉は

『伊勢物語』のこのお話を下敷きにしながら特定の意味をもって伝わっていったと
思われます。

『とはずがたり』では、後深草院が二条を後宮に入れたいとの意向を伝えるのに、

親である大納言雅忠の耳元へ「たのむの雁をわが方によ」とささやいたとあるのがこれ これ、

コレ
なのです。



この暑さに負けず 熱くなってました、ここがその場所ときづいた時には。。。






続きを読む

☆百人一首 かるた倶楽部☆

懸案の かるた倶楽部 が 獨協大学オープンカレッジの受講生を中心に

本日 発足しました


世話役を引き受けていただいたHasizumeさん、Kosibaさんを中心に
ようやく「かるた倶楽部」として集まることができたのです。

今のところは「百人一首講座」の自主的学習という形で、獨協大学の教室を借りています。

     かるた倶楽部

お昼は、食堂で食事をしながら「かるた」についてのおしゃべりを楽しみました。

昨日の夕刊の記事だという「競技かるたに恋をした」も話題にのぼったのですが、

今、マイナーな印象の強い文化系部活動が高校生の人気を集めているそうデス。
競技かるたへの関心の高まりは、人気漫画がきっかけとか、

     P7150002.jpg
         「ちはやふる」(講談社)

10月にはテレビアニメ化される予定で、「初心者層の裾野がどんどん広がっている」とか。。。


練習に励む春日部女子高の競技かるた部の写真が大きく載っているのを前にして

「なんだか、知ってることが新聞に載ると うれしくなっちゃって  」

「まずは、百首の歌を 覚えなくっちゃね。覚えるさきから 忘れるんだけれど(笑)」

「上の句に続く下の句、全然別の歌がスムーズに出てきてしまうんだけど・・・」
「そうそう、あるある・・・違和感なく別の歌がつながってしまうのよね(笑)」


体力勝負という「競技かるた」に辿り着くまでの道のりは遠そうだけれど、

勝負に挑む際の、あの緊張感はたまりませんね。

脳の活性化も期待して、練習に励んでいきま~ス。 いえ、いきましょう



          獨協マウス 獨協 mouse











** さるとり茨 **

獨協大学オープンカレッジ 講座

天皇に愛された女の物語日記文学「とはずがたり」と鎌倉時代ー」

「古典文学の中に サルトリイバラ の名を見たのは初めて」
「この場面ではサルトリイバラの描写が妙に際立っている」との指摘がありました。


とはずがたり』の「恋の通い路」の場面です。

四条大宮にある乳母の家に滞在中の二条のもとへ、「雪の曙」が通おうというので、
その「使いの者」が昼間の明るいうちに、ここへ下見に来ています。

屋敷を囲んでいる築地(土塀)が、ひどく崩れて人が出入りできるようになっている
所に、さるとり茨を植えてあったので、この使いが茨の根元を刀で切って行きました。



サルトリイバラ って、猿がひっかかる茨と いう名で知られているのだそうです。

「蔓草の総称としての八重葎とか、おどろ(棘・荊棘・藪)とあるのが多い中で、作者
は、この奇妙な名前に惹かれて、サルトリイバラの名を記したのか」とも。



確かに、ひっかかります? ン? よね、この さるとり茨


     さるとりいばら

日本全国の山地に分布する、つる性の落葉低木です。茎は節ごとに折れ曲がり、長い
ひげを出して、近くのものに絡みます。

猿がトゲだらけのつるに絡まって、とらえられるほど密生することに由来する名です。


     赤い実

10~11月に、果実が赤く熟して枝先を飾り、生け花や茶花としてよく利用されます。


うん? 『とはずがたり』のこの場面、旧暦の10月10日のことです

とすれば、この さるとり茨 、こんな赤い実がいっぱいついていたのかな。



『伊勢物語』の五段 関守 を踏まえて、

人しれぬ わが通ひ路の 関守は よひよひごとに うちも寝ななむ
の歌も引いて書かれる『とはずがたり』のこの「恋の通い路」の場面、ますます
物語的な構成になっていると思われますね。



※この場面のストーリーは、『とはずがたり』公開講座 をご覧いただければ お分かり
いただけます。<二一 乳母の家で逢瀬>(←ここからお入り下さい)








◇小倉百人一首◇

獨協大学オープンカレッジ 春期講習「百人一首の世界恋の歌を中心に-」の
最終日は   “小倉百人一首 かるたで遊ぼう 実践講座”  でした。

     かるた実践講座


和歌としての鑑賞とは別に、「百人一首かるた取り」の遊び方やルールを知って、
伝えていくことを目的としています。

○坊主めくり  ○ちらし取り  ○源平合戦 を行いました。


「ちらし取り」は、「お座敷かるた」ともよばれています。百枚の取り札を散らし
て置くので、人数は多いほうが楽しいでしょう。



読む人が読み始めたとたんに、もう下の句の札をいち早く探し出し、札を取るのが
とても速い方がいらっしゃいました。

お聞きしますと、子供の頃にお母さんが5人の子供を集めてよく「かるた取り」をな
さっていたそうです。

きっと懐かしくも楽しい思い出 をお持ちなのだろうなと素敵なご家庭が想像されます。



今回、

読み手として、絵札を手に歌を読み上げていて ハッと 気づいたことがありました。


それは、講義の時でしたが、

憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを  源俊頼朝臣

の歌意と鑑賞をしていますと、

「あれ?‘山おろしよ’ですか。字が1つ多くないですか?」との質問が出たのです。


「そうですね、三句目が6文字で‘字あまり’になってますね。一旦ここで呼びかける
言葉として重みが出ますので、この呼びかけは効果的ですよね」と私は答えました。

でも、その方は納得できない様子で、
「母は、そう読んでいなかったものですから・・・」と、腑に落ちない様子でした。






そうなんですね


「かるた」には二種類ありました。

     うかりける・・





藤原定家選と伝えられる『小倉百人一首』は百人の歌人の作品を、それぞれ一首ずつ
撰んで一まとめにしたものです。

この歌の出典は、勅撰集である『千載和歌集』で、詞書は「権中納言俊忠の家に恋十
首の歌よみ侍りける時、いのれどもあはざる恋といへる心をよめる 源俊頼朝臣」と
なっています。

『新編国歌大観』によると、同じこの歌が載る歌集は18件あります。そしてその中
では『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)』が「山おろし」の5文字でした。

ちなみにこの『 散木奇歌集」は源俊頼の自選歌集です。でも、伝本の系統による異同
もあるやも知れません。



Kさんのお母さんがお持ちになっていた 「かるた」は‘山おろし’のほうだったのですね!

Kさん、今はお孫さんを相手に「百人一首かるた」を楽しんでおられるそうですよ。

こうして、日本文化が伝えられていくのは喜ばしいことだと私は考えています。




今期初めて受講されたYさん、講義の時は「なんせ、年ですからね、遅くて」と
言いながらメモしたり書き取ったりなさっていたのに、「かるた取り」の実践で
はものすごく速く手が出るので、みんなビックリしました。

聞けば
5歳のころから‘かるた取り’に加わっていたとのことです。

「もう、ずっと長くやってないんですよ」とおっしゃっていましたけれど、きっと
身体が覚えているものなのですね。

活き活きとして輝いてましたねYさん 






≒ 秩父巡り ≒

かつて武蔵国と呼ばれたのは現在の東京都、埼玉県、神奈川の一部になりますが、

さいたま市大宮にある氷川神社は武蔵国の「三大大宮」の一つ、武蔵一宮ですね。

また、秩父神社が「三大大宮」に入っていると知って、秩父に出掛けてきました。


秩父といえば毎年冬に行われる火祭りが有名です。この秩父夜祭りも「日本三大曳山祭
の一つで、秩父神社の隣には「秩父まつり会館」が建てられています。

中には絢爛豪華な屋台、笠鉾と、夜祭関係資料などが展示されていました。夜祭のクライ
マックスが堪能できるワイドな映写には迫力がありました。





秩父神社の社殿

     秩父神社


社殿の彫刻。左甚五郎作と伝えられている「つなぎの龍」

     繋ぎの龍




秩父霊場発祥の地「秩父今宮神社」

     今宮神社



今宮神社の 竜神木(千年欅)

     今宮神社の千年欅

古来より脈々と伝えられ、厳かに執り行われる数々の神事が今宮神社と秩父神社の
間で斎行されます。




一方で、秩父の自然を生かした広大な公園がこちら「秩父ミューズパーク」

     秩父ミューズパーク案内図


     園内ロード

今年初の蝉の声を聞いたと思ったら、同時に鶯も鳴いていました。



一日花だという「ヘメロカリス」の咲く丘

     ヘメロカリスの丘


丘から仰ぐ武甲山

     武甲山


公園内にあるプール開きは7月中旬からということでしたが、各種スポーツ施設、
催し会場もあり、ほたるの鑑賞、森林散策、植物園、など自然に触れる場所も提供
しています。








◆美術館で見たものは◆

サントリー美術館50周年「不滅のシンボル鳳凰と獅子」展に行ってきました。

     サントリー美術館


国宝「文殊渡海図」が展示される最終日の27日です。

180px-Monju_crossing_the_sea[1](Wikipedia「醍醐寺」より)

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)らが雲に乗って大海原を渡る絵。守護獣 獅子がここでは
従者の一員として文殊菩薩を背に乗せて海を渡る恭順な存在として描かれています。

渡海という文字に、私は、補陀洛(補陀洛浄土)へ向けて舟に乗り、渡海したと
いう「補陀洛渡海」という言葉が浮かび・・・
それに、鎌倉時代の作品ということで、実物を見てみたいと思いました。



「補陀洛渡海(ふだらくとかい)」の「渡海」は生きた人間の方が、海の向こうにあ
ると信じられていた「補陀洛浄土」に向けて海を渡ったという「渡海」です。

当然ながら命を捨てたわけですが、途中助かることのないようにと舟の外から釘付け
にした場合もあったといいます。死出の旅ですね。




中世には、熊野灘や足摺岬から実際に海の彼方に向けての「渡海」が試みられていま
した。

和歌山県の那智勝浦町にある補陀洛山寺(ふだらくさんじ)の本堂。

     補陀洛寺・本堂



熊野灘に面したところに建つこの寺には、海の彼方へ去っていった人々の痕跡が今
も残されていまして、かつて、ここを訪れた時には、大きな衝撃を受けたものです。


記録に明らかなだけでも日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超え
る補陀洛渡海が行われています。

とはずがたり』(14世紀)にも、作者が修行の旅で足摺岬に赴いた際に聞いたという
「足摺岬の補陀洛渡海伝説」の話があるのです。その繋がりで気になりました。


すでにもう、平安時代後半には、釈迦の教えが及ばなくなる末法の時代がくるという
「末法思想」が広がり。。。

人々は阿弥陀如来の力によって極楽浄土へと迎えられたいと願いました。阿弥陀堂を
建てて念仏を唱え、死後は「極楽浄土」に行くことを願ったのです。


平等院も阿弥陀堂

     平等院鳳凰堂「九品来迎図」
平等院鳳凰堂の扉に描かれた「九品来迎図」復元(書籍『平安と王朝びと』より)


阿弥陀と聖衆が、極楽浄土から死者の魂を迎えにくる姿を表しています。こちらは渡海
ではないのですが、やはり、雲に乗っていますよね。


世界遺産登録が決まった岩手県の「平泉」。
―平安時代末期以降に奥州藤原氏が建立した中尊寺の金色堂もまた阿弥陀堂の代表です。

浄土庭園がある毛(もう)越寺(つうじ)などは、浄土の世界を現世に表現したもので、この
度の登録は浄土思想と日本固有の自然崇拝が融合している点が評価されたということです。


いずれも、
仏教が、多くの人々の心の中に深くはいり込んでいた時代の死生観を窺わせます。


ちょっと、テーマから外れた視点に注目してしまったようですね。



高貴な鳳凰と威厳あふれる獅子の姿が絵画や工芸の意匠として受け継がれてきた、
そのイメージの変遷をたどることのできる美術展。

それぞれの作品が素晴らしく、描かれた形や表情を楽しむことができました。








プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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