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◇被災地となった 歌枕◇


歌枕(うたまくら)は、古くから人々に親しまれて歌に詠まれてきた土地や名所です。

歌枕を入れることで、決まったイメージを思い起こすことができるので、多くの歌に詠ま
れています。

『百人一首』の42番

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは    
                            清原元輔  [『後拾遺集』恋四(七七〇)]
約束しましたよね。おたがいに袖の涙をしぼりながら、あの末の松山を波が越すことの
 ないように、私達の仲も決して変わることのないようにと。



・契りきな →「契る」は約束をする。「き」は経験した過去を回想する助動詞。「な」は詠嘆。
・袖をしぼる→涙にぬれた袖をしぼることで、涙を流している様子をいう。
末の松山 →宮城県多賀城市の海岸近くにあった名所歌枕 どのような高波も決し
           て越すことがないといわれていたという。
波越さじ →どのような高波も決して越すことがないということを、「不可能なこと。
       起こり得ないこと」の比喩に用いて、二人が心変わりすることはあり得ない、
       という約束の内容を示している。


陸奥の歌枕「すゑのまつやま」は、陸前国、今の岩手県の浪打峠をいうとする説もあり
ますが、宮城郡、今の多賀城市にある末松山宝国寺にそびえる巨大な松を擬する方が古
来有名です。

芭蕉も『奥の細道』でここをたずねています。

matu.jpg



末松山宝国寺(まっしょうざんほうこくじ)という寺の裏には、大きな松が22本あり、
昔はその近くまで海だったそうです。

hi.jpg
    


この松、老木ではありますが 勿論平安の昔からのものではありません。
樹齢470年以上と推定されるそうです。

千年も昔から、松の佳景が称えられ歌に詠まれた「末の松山」は陸奥にありました。

このような歌枕は、当地に赴任した中央官人らによって都に伝えられ、生涯見ること
のなかった中央貴族にも歌枕として慕われたものです。


また、「陸奥の歌」として伝わる『古今集』の東歌(あずまうた)

君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ

『百人一首』にある元輔の歌は、この古歌を踏まえているわけで、こういった古歌が
遠い地方の景勝地を 歌枕として都人に伝えていったと考えられます。



そういった、陸奥の歌枕の地も、この度の大震災 被災地となりました。

多賀城市

多賀城市

被害状況、石油コンビナートなどが火災。186人死亡。1人行方不明。約800人避難 

「末の松山」だけについて言えば、海岸からかなり入ったところにあって、ここ
まで波が来て、これを越えるというのは「絶対にあり得ないこと」だったのです。

それ故に、「自分が心変わりすること」も「絶対にあり得ないこと」と誓う言葉
になったのですが・・・。

多賀城駅は、仙石線で仙台駅から9駅目、所要時間21分。「末の松山」を擁する
末松山宝寺は、多賀城駅から10分ほどのところにあります。



再び、ドリアン

先日の、「ドリアン」記事に こんなメールをいただきまして・・・

私もドリアンは一度は食べてみたい果物です。 デパートで売っているのを横目に見ながら、でも、臭いって言うしねぇ、もし嫌いな味だったら、もったいないし・・・と一度も買えずにいます。1000円では売っていません。 3000円くらい。 ?玉ねぎの腐ったような臭いってどんな?」「生ごみの腐ったような臭いとも聞いたことがある。」 ぜひぜひ、食べごろを食べたときの感想を、レポートしていただきたいです。

ありがとう、京子さん。

それで、その後も写真を撮ってました  


     一週間 買ってきてから、一週間。割れ始めた 

臭いが強烈・・・なんていわれたので、とりあえず二階へ移しました。

目につかない所に置いています。二階に来た人が「何の匂いかしら?」とか

「匂うね!!」とか、どんな反応するかな・・・と。


確かに、 果物が熟した時の甘い匂いがし始めて、タマネギの匂いも混じったような・・
匂いが漂い始めてますねぇ~。

でも、そんな強烈なとか、臭い~といったものではないです。

現に、誰も何も言わなかったし・・・。


     10日目

10日目です 5つの部屋に分かれてるよ。

食べてみたい・・・けれど、完熟でないと甘くなくて、タマネギ臭さが際だつとか、
ヘタの元の部分もまだ 黒くなってないし・・・まだまだ

2日、3日待って、

  一個を取り出して   食べてみました

おいしいヨ !  真ん中におおきな種があり、包むように淡黄色の果肉があります。

果肉は中心ほど甘味が強くて、ねっとりしてます。クリームの舌触りですね コレ

端の方は、甘味が少ないこともあって「こりゃ 安物のパンケーキの味だな」と言った人、

普段から、ケーキやクリームチーズが好きじゃないから 果物とは思えない味に失望したみたい。


残り  今、こんな状態。ヘタの元が黒くなっていて、
               持ち上げるたら取れちゃった。

残り、2つの部屋が割れ始めました。アボガドの感触にも似てますよ。

問題の臭いですが、食べる際にも、新鮮なタマネギか、葱のような臭いが、微かに
するけれど、腐ったような・・・というのではないですね。


多分、臭いにしても 果実の食感にしても あまり強烈ではない物が日本へ輸入されて
いるんじゃないでしょうかね、最近は。

「10年ほど前に食べたものと違っているワ、コレ」と言って、娘はこのドリアンの味

大変気に入ったようです 


私「シャカトーに、味 似てると思わない? どっちが すき?」

娘「こっち ドリアン」  デスッテ 



シャカトー この薄緑色の果物が「釈迦頭・シャカトー」

やはり、タイでも採れる「シャカトー」に、味が似てると思うけれど、こちらは、
臭いがなくて、もっとサッパリしてます。

私はこちらに軍配をあげようかと・・・、   はい。


デパートの、3000円で売られている物はもっと美味しいかもしれませんね。

メロンでも さくらんぼ でも、高級品は別物かと思うほど 味が違ったりします
からねぇ。


続きを読む

「百人一首」- 日本の伝統美「書」に和む



「百人一首」を題材にした書作品を出しているのでと、ご案内いただいていた書道展
会場は千葉県、3月末のことでした。

楽しみにしていたのですが、今回の東北関東大地震のために書道展は中止。又の機会
にと、諦めていたところ、「手許に戻ってきているので、よろしかったらどうぞ」と

ご本人からお声をかけていただきました。

この作品、 銀座での「藍筍会展」では 会場の関係もあって一部のみの開示だったとか、
全体を広げての展示は出来なかったということです。




今回、豪華な装幀の全体を図書室の机上に広げて心ゆくまで観賞させていただくことが
できました。

全体

藍筍会 理事 梨本佳世・作  「百人一首」帖(20首)




     つくばね・もじずり

折畳むと、豪華な表紙の大型本になります。屏風のように折り畳まれる形なので、
見開きで 2首ずつが対になるように、書かれています。




     夢の通い路

和歌が書かれている料紙がまた素晴らしい! これもまた日本の伝統美「手漉き和紙」

一枚、一枚に 独自の 色合い や 模様、材質の特質があります。同じものはない一品
もので、それぞれの和歌に合わせて色柄を撰んでいます。その形も考慮されています。




     円形

あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

山鳥の長く垂れた尾のように、この長い長い夜を私はひとりさびしく寝るのであろうか

山鳥に寄せる独り寝のわびしさが、身を丸くして寝ている鳥の姿を連想させる円形の
中で、悲壮感のない ほっこりとした独り寝を想わせます。



     扇形

花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに

美人の代表小野小町の歌は、あえて、女性が顔を隠すのにも使われた桧扇の形でしょうか。

多くの男性の求愛にも応じなかったという美女は伝説化され、謡曲、浄瑠璃などの題材と
‘なりました。


美男子であったと思われる 在原業平と同様に‘流浪の果てに亡くなった’との言い伝えが
各地に「終焉の場」の伝承をうみました。

小野小町の墓、業平の供養塔は、都を離れた各地に数多く、今も伝えられています。

多くの男性の心を迷わしたという小野小町、どのようなタイプの美女だったのでしょう。





「歴史」を歩く - 古河 続編

<獨大学オープンカレッジ講座に関連する「文学と歴史探訪」>

茨城県古河について書かれた エッセイを、
受講生のKさんからいただきました。

「歴史」を行く-古河・続編として、ここに紹介いたします。

*私が訪ねて写真に納めた場所を中心に、文章はそのままお借りしています。



<古河歴史博物館>

     古河歴史博物館文学館

関東地方の中心に位置し、室町時代以降城下町として栄え、江戸時代には数多くの
老中を輩出した出城も、明治7年廃城、大正末年渡良瀬川改修工事のために主要
城郭の土塁が崩される、といった経過を辿った。水底に沈んだ名城というわけである。
その出城跡に平成2年に開館した。



<頼政神社>

     頼政神社

源頼政は宇治で平家との戦いに敗れ自刃したが、その首を従者が携え逃れて、古河
に葬った。その後河川改修のため現在地の頼政神社に移された。




<日光街道の宿場町>

     古河城下本陣址

江戸時代、古河城は徳川将軍が日光東照宮参拝の折の宿泊場所になった。また奥羽
街道・日光街道の宿場町としても発展した。明治になって製糸業が興り、昭和前半まで
糸の町と呼ばれるほどの活況を呈した。



<永井路子旧宅>

     永井路子旧邸

永井路子旧宅もあり、上がらせてもらった。お茶の接待まであり、広い庭を眺めてし
ばらくは静けさを堪能した。外に出て名物甘露煮を土産に買って帰った。春は桃と桜
が見ものだそうである。


今回、夕暮れに紛れて見落とした万葉歌碑や少し足を延ばして古河総合公園を覗いて
見たい。

          

                        たびイラスト鳥居  と。





なに これ・・・


五日ほど前のことだが、こんな物を見つけた。

     ドリアン

スーパーの果物が並ぶコーナーの最前列。縦30センチほどありそうな大きさで、
はりねずみのように棘がある。キウイフルーツのお化けのような姿で並んでいた。

エ~っ なに これ 珍百景 みたいな・・・

そのまま素手で持ち運ぶと怪我をしそうなので、各自ケースになる箱の上に鎮座し
ているといった格好。

その箱に文字が-果物の王様  ドリアン 

やはり、コレ フルーツなんだ タイ産だって!!

果物が好きな娘の顔が浮かんだ。ドリアン、知ってるかな?

説明書きによると、「熟すほどに香りが強くなっていきます。棒で叩いて、ポコポコ
という音がするようになったら食べ頃」。980円也。

後学のためにも 買ってみることにする。


<娘との やりとり>

私「ねぇ ドリアンって、知ってる? スーパーで売ってたから買ったのよ」

娘「えー それ 買ったの! 独特の果物よソレ。好きな人は好きだけど、苦手な人
  も多いから・・・」

私「食べたこと あるの? どうだった」


娘「私は・・あまり・・・食べ頃じゃないものを食べたみたいで。そこが肝心よ」

私「果物独特の、強い香りがしてきたら 食べ頃だって」


娘「臭いよね~それ、本当に独特よ。好きな人は、その匂いも好きらしいけれど」

私「どういうこと、それ?」

娘「例えばね、そうそう‘くさや’もあの匂いがダメっていう人もいれば、好きな
  人はあの匂いで食欲が増すっていうじゃない」

えっ~ ‘くさや’ に例える・・・少なくとも 芳香 ダヨ・・





この調子だと、我が家では 歓迎されざる果物ってことになるのかなと思いながら
この姿を眺めてみた。

なにか、数日で愛嬌のあるような形に思えて 親しみさえ感じ始める。

私だけは、味方だからね。食べ頃を間違えないようにしてあげる 果物の王様




「フルーツの魔王」などともいわれているドリアン。あのタマネギが腐ったような
強烈なにおいと、一度食べたらやみつきになるというおいしさ(?)は、まさに
「魔王」の名にふさわしい。 


と書いている人もいた。(え~ 「魔王」 なの!



熟すのが恐いような、待ち遠しいような心境になってきたけれど、そのまま部屋に
置いて、時々クンクン鼻を利かしてみるけれど、

今のところ、まだ独特の臭いがそている風でもなくて、カウンターの上に鎮座している。










善導寺 と 法然

今年は法然上人の800年大遠忌にあたる年ということで、浄土宗のお寺さんの境内で

よく「法然上人八百年御忌」の旗を目にする。

法然上人御忌

法然とはご存じのように平安時代末期、人々を救済するために念仏信仰を広めた
浄土宗宗祖。この年に因んで 特別展覧会が京都国立博物館で開催された。

題して「法然 生涯と美術」、3月26日から5月8日までで、既に終了している。
が、秋には東京で「法然と親鸞展」が開催予定との案内があるので是非出掛けて
みたい。



法然が活躍した平安末から鎌倉期は日本の激動期だった。源平の争乱、安元の大
火、養和の日照り、台風に洪水が続く。元暦2(1185)年には大地震があり、民
衆は戦乱や天変地異に巻き込まれ、想像を絶するような苦難に直面する。

法然は苦しむ民衆が浄土へ行くことで救われるためにどうすべきかを考え続けた。


京都国立博物館の展覧会に 重要文化財 善導大師像(京都・知恩院蔵)が展示
されたことを新聞で知った。

善導とは中国唐時代の僧で、浄土教の大成者として知られるということだ。日本の
浄土宗の祖法然に大きな影響を与えた人物と思われる。


ここを読んでいて、思わず「あっ」と声を上げそうになった。
この時、初めて私の中で繋がったものがあったのだ。



昨年11月に訪れた 埼玉県・寄居町にある 善導寺

     藤田善導寺

この時には、本堂の天井に描かれた百枚の天井画「百人一首画格天井」が見事な彩色
で残されているというので出掛けたのだけれど、

行って初めて「善導寺」が浄土宗であることを知った次第。善導寺とは、「教えにより、
よい方にみちびく寺」の名なるべしと考えて手を合わせた。


そして12月、台湾に行ったときに再び「善導寺」の文字を目にした。


台北のMRT路線の駅名だった。そこにあるお寺の名がそのまま駅名になっている。

    台湾・善導寺

台湾なので、同じ漢字であるのは不思議ではないけれど、一ヶ月前に日本で見た同じ
名のお寺があるのはどういうことだろうと、気になっていた。善導は中国の人だから
だと納得できた。

つまり、法然の起こした浄土宗が、中国 善導の浄土教の流れを汲むものとすれば、
台湾にもまた善導の名を持つ寺があって不思議はない。こちらが元祖本元だろうと。



そこで、改めて台湾の 善導寺 について調べてみたのだが、然に非ず。法然との繋が
りについては間違いないと思われるけれど、

肝心の中国唐の善導との繋がりではないことが判明。

観光案内によれば、以下の事情だそうだ。


日本が台湾を統治していた50年間、数多くの宗派のお寺が建立され、僧侶が布教の
ため海を渡っていました。

しかし、道教などの民間信仰が強く、また言葉の通じない台湾での布教は苦労も多く、
日本の仏教がこの地に根付くことは難しかったようです。

それでも台北には東本願寺、西本願寺をはじめ10前後の大きなお寺が建立されました
が、現在でもその規模を維持し、活発に活動しているのは善導寺のみです。



台湾の 善導寺 は日本人のお寺ということだった。中国に善導を祖とする宗教が
伝わっていたわけではないようだ。

浄土宗は、浄土教を学んだ法然によって、日本で大成された宗派であるという
ことに辿り着いたのだった。





あら まぁ! そういうことね。

<獨協オープンカレッジ「百人一首の世界」>

春期講習では、春期の名にふさわしく「恋の歌」をピック アップして、歌の意味と
その背景について学び、観賞しています。(秋期講習に「四季の歌」「日々の思いの歌」を)

自らの体験に重ねて読むには、ちょっと平均年齢高めの私たちではありますが、
「淡い恋」「激しい恋心」や「忍ぶ恋」の歌を読んでいくのって、

ちょっと華やぐ気分も・・・ないわけではありません。


「え~、そういう気持ちが詠まれた歌だったんですね」

「そんな意味だとは知らずに読んでました」


ちょっとした歓声に近い声があがった歌もありまして、
その の二首 をご紹介しましょう。


百人一首の歌番号13、
筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

筑波嶺(つくばね)とは、ご存じ筑波山(876メートル)の峰。この山は古代、
男女交際の場として有名でした。

山頂が東西に別れていて、それぞれ「女体山」「男体山」といいます。

二つの峰の谷間から流れ出るので「男女川(みなのがわ)」と呼んだけれど、
普段は全く水がなく、雨が降って流れ出すところから「水無の川」とも。


峰の間でわずかに流れ出した水、下って流れて行くにしたがって水量を増し、
激しさを増して、ついには深い淵となる。

このように私の恋心も積もって深い「淵」となるという。


もっとも、コレ 作者が実際に見た風景ではありません。作者は陽成院、都在住の天皇。


     つくば山

筑波嶺は、伝承され流布されていた 歌枕(歌を詠むときの典拠とすべき名所)です。



後ろへ渡すプリントが机上に置かれているのに気づかないで、そのまま・・・
考え込んでいる風だったYさん。

終了後、少し残られてお話しました。

「そういう風に詠まれていた歌だったんですね。川の流れの成長する景色に、恋する
心がふくらんでゆく状態を託しているとは、今までそう思っていなかったので・・。
すご~い!と思い感動してしまっていたんです私、あの とき・・・」



Yさんのお話と表情に、今度は私の方が感動です。




そして、歌番号14でも・・・、
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに         河原左大臣  

歌意は、陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、誰のせいで私の心は乱れ
はじめてしまったのか、あなたのせいなのですよ。


しのぶもぢずり」とは、信夫の郡(こおり)(福島県)で産した草木染めのこと。

忍ぶ草の茎や葉の汁を摺りつけて染めた衣の乱れ模様。

複雑な乱れ模様のイメージと心の乱れとを重ね合わせ、どうしようもない恋慕の情
感じさせているのですが・・・。



Hさんが、
実はね、わたし『もじずり』って、花のことだと思っていたんですよ


そうそう、芝生の間から出てきて咲く可愛い花ですよね。ネジバナというピンクのね。

     ネジバナ(もじずり)

この花のねじれた様をイメージして読むと、この歌は初恋の心の乱れでしょうか。



え~、そういう気持ちが詠まれた歌だったんですね。そんな意味だとは
知らずに読んでました!



陸奥の
受講生のみなさん、こんな驚きや、発想を、今後も是非お伝え下さい。




わが街-歩いて、新発見

歩くことの少なかった日には、我が家 からだと自転車か車で行く距離にある
ショッピング・センターまで、散歩を兼ねて出掛けることが多くなった。

たった一人の 歩こうかい(会)の実践というわけだ。

すると、当たり前のことだけれど、今までとは違った風景が目に飛び込んできて、
我が街 新発見。ちょっとした探検気分で 脇道にも入ってみる。


    ニセアカシア

中尾の公園に、ニセアカシアの白い花が咲いているのを発見。コレ、天麩羅にすると
美味しいんだよね。



丁度よい季節なので、敢えて、ガーデニングの素敵な住宅街をゆっくり通り抜ける。



帰り道には、駅 方向にメイン通りを歩いてみると、車で通る時には気づかなかった
こんなお店達 を発見、写真におさめておいた。

     イタリアンレストラン

“サミット東浦和店”出たところにある、イタリアンレストラン風のお店。

 



東に2~3分歩いて、通りを左折し、駅方向へ向かう通りを歩くと、

     れすとらん

こちらのレストランもよさそうだった。

歩道は街路樹と、その下に咲くサツキで縁取られて広くとられている。




     ケーキ屋

車道を挟んで斜め向こう側にある、ケーキ屋さん。



     蕎麦屋

隣には、蕎麦屋が。日本酒が飲めそう。




さらに駅方面に進み、せせらぎ通りを越したところにあるケーキ屋さん。ケーキを焼く
教室も開いているとか。

     けーきや

‘さいたま新聞’に取り上げられた際の記事が店内に紹介されていた。そのパテシエの
女性が店長。創作ケーキが可愛い。


この日の歩行距離は900歩を越していた! 薔薇の季節。

     ロイアルサンセット ロイヤルサンセット








「歴史」を歩く - 古河

<獨大オープンカレッジ講座 に関連する 「文学と歴史探訪」 シリーズ>


東国一円の重要拠点だった古河

古くは万葉集の歌にも登場し、河川交通の要所として、江戸時代には日光街道の
宿場町として栄えてきました。


     古河市地図

◆交通  ・JR宇都宮線古河駅(上野から60分)下車 
     ・東武日光線新古河駅(浅草から70分)下車  ◇東北自動車道久喜ICから約30分

上の案内図にあるように、「歴史」に関わる見所は沢山ありますが、ここには
鎌倉時代」に結びつく長谷観音頼政神社それに、歴史作家永井路子旧宅
記しておくことにします。


古河には、平安時代末の源頼政や源義経の愛妾 静御前を語る伝承が多く残って
います。

<頼政神社>

     頼政神社

今回の地震で、石の鳥居 上部が落下していて驚きました。

頼政標示
頼政神社は、江戸の元禄9年に、古河城主松平家の先祖である源頼政(みなもとのよりまさ
の廟所を修築してまつったもの。

もとは、立崎にあったものを、大正元年(1912)に現在地に移されています。
従って、社殿は新しいのですが、大灯籠と 狛犬一対 は江戸時代のもので、

江戸期の作風を今に伝える すぐれた石造品です。

大燈籠   

ところが、まぁ~ 大変なことに・・・右側の灯籠の上部が脇に落下しています!

灯籠の上部が落下


狛犬は、しっかり ふんばっていたようで、大丈夫でした。

狛犬2   狛犬1

源頼政は平安時代末に生きた人です。

『平家物語』にも登場していますが、後白河天皇の第3皇子である以仁王(もちひとおう

と謀り、諸国の源氏を誘って平家討伐を企てます。以仁王との挙兵は失敗しますが、

頼政は以仁王を逃すべく平等院に籠って抵抗しました。最期は、辞世の句を残し、

腹を切って自害、享年77でした。

埋木の 花咲く事もなかりしに 身のなる果は あはれなりけり

以仁王は討ち取られましたが、以仁王の令旨の効果は大きく、これを奉じて源頼朝、

源義仲をはじめとする諸国の源氏や大寺社が蜂起し、平氏は滅びることになったのです。

源 頼政」は、鎌倉時代 の始まりにかかわった重要人物の一人でした。


<長谷観音>

中世古河公方と鎌倉文化の移入。

とりわけ室町から戦国時代には足利成氏(しげうじ)をはじめ五代の古河公方が
120年間にわたり居城し、東国の拠点となっていました。

     長谷観音

日本三大観音の一つという 古河長谷観音 は、明応年間(1492~1500)

足利成氏により 建立されました。鎌倉の 長谷 から勧請したという木像十一面
観音菩薩像があり、通称 長谷観音 と呼ばれています。

当時の本堂は、赤塗の荘厳な伽藍でしたが、明治初年の廃仏き釈(仏教排撃運動)
により、まったくの廃寺となってしまったということです。

長谷観音様は、古くより安産、子育虫封じ、開運厄除、出世観音様と言われ、
霊験あらたかなると世に知られ「日本三大長谷観音」として親しまれています。

長谷観音といえば、『源氏物語』にも登場する、奈良・初瀬の長谷観音が有名。
鎌倉の長谷観音は、この奈良の長谷観音と同じ一本の霊木から彫り上げられたと
の言い伝えもあります。


日本三大長谷観音」、残りの一箇所は?というと、
実は、全国各地の「長谷観音」が、我こそは奈良・鎌倉と並ぶ三大長谷観音である!
と名乗りを上げているそうですよ。ここ、古河市・茨木の他には、

正法山 長谷寺(本荘市・秋田)  信濃長谷寺(長野市・長野)など。(あら まぁ~


<歴史小説作家・永井路子旧宅>

     永井路子旧邸

こちらにも、震災の爪痕が生々しく残っていました。

     地震による被害説明



他、神社各所の灯籠が倒れたままになっていたり、古くからの家屋には瓦屋根に
青いシートがかけられているのを見かけました。

茨木県の 古河市、この度の大地震に音をたてて倒れたり、崩れていく様子が想像
されて、改めて当日の怖さが甦ってきたものです。





プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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