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早春賦

私の苦手だったものは、“歌を唄うこと”と“走ること”
大人になって加わった(分かった)ものに“お酒”がある。

苦手なものは、それなりに努力を重ねた結果まあまあ標準というか、平均的水準
ぐらいまでは達したと思うのだが、アルコールだけはどうも 遺伝子の問題らしい。

仕方がないので努力するのはやめて、極力避けることにした。


そんなこんなで、カラオケにも、徒競走類の競技にも、積極的に参加することは
これまでなかったけれど、どういう‘心境の変化’か、一枚の「お知らせ」を見て、


「コーラス」の体験教室に参加をし、挙げ句の果てに入会まで・・・。

     テキスト

「童謡コーラス」は住民による住民のための住民コーラスです。
「100才まで元気で歌おう!思い出の名曲をみんなで大合唱しよう!」
みんなの歌声が、地域住民の心温かいメッセージとなって、各地に童謡コーラス
歌仲間の輪が拡がります!
 とある。



「唄い継いでいきたい歌」は、歌っていくことで地域文化の発達向上に寄与するかも。
確かに、唄う人がいなくなれば歌は 消えてしまう。資料としてしか残らなくなる
ような「わたべうた」や「昔話唄」がこのテキストには沢山載っていた。


母が口ずさんでいるを聞いて覚えていた曲 早春賦
これまで、いまいちメロディーに不確かなところがあったのだが、一緒に歌えば
難なくこなせるから不思議!

一、春は名のみの 風の寒さや   谷のうぐいす 歌は思えど
  ときにあらずと 声もたてず   ときにあらずと 声もたてず


歌詞は文語であっても一番なら、子供にも理解できる範疇にあるようだけれど、
二番、三番はどうだろうか。

二、氷とけさり あしはつのぐむ   さては時ぞと 思うあやにく
  きょうもきのうも 雪の空    きょうもきのうも 雪の空

三、春ときかねば 知らでありしを  きけばせかるる 胸の思いを
  いかにせよと このごろか    いかにせよと このごろか   


「春ときかねば 知らでありしを  きけばせかるる」のところを、

「ね」は打ち消しの助動詞の已然形だから、接続助詞「ば」が続いて意味は「ので


「で」は否定の助詞、「あり」は存在の居る、「し」は過去の助動詞。だから
~ないでいた」。「るる」は自発の助動詞で受け身ではない、な~ん
て説明が高校生には必要だろうか。


いや、楽しんで歌えれば、早春の風景と感触が自ずと浮かんできて、歌詞の意味も
きっと自然に伝わっていくことだろう。


早春の今日、公園に河津桜が咲いていた。 河津桜

 




 

 

またも 大地震

22日、ニュージーランド南部のクライストチャーチ付近で強い地震が起きた
模様とのニュースが飛び込んできた。

間もなくリアルタイムで現地の映像も届いたが、倒壊した建物、救助される人、
泣きながら、崩壊した歴史ある建物を見上げる人々と、その様はまるで映画の
いちシーンでもあるかのようだ。

ニュージランドも又日本と同様に地震の多い国であり、今回地震が起きた場所
には約2800名以上の日本人が常住していると聞く。

この国には、語学研修による交流によって個人的に知る人が居ることもあって
外国のできごととは思われない。


日本の“ことわざ”に 「地震 雷 火事 親父」がある。

昔、人々が毎日の生活の中で恐れていたものをこわさの順に並べたもの。時代が
変わって、順に揚げる‘もの’については異議を唱える声もあろうが、「地震」
だけはハイテクの現代にあっても、その位置を譲ることはないのではないだろうか。

昔の人々が、その発生を予測できなかった地震を最初にあげているところにも、いかに
自然の災害を恐れていたかがよくわかる。



鎌倉初期の随筆『方丈記』に、作者( 鴨 長明)自身が体験した「元暦の大地震」につ
いて、次のように記している。




<元暦の大地震>

また、同じころ(1185年のころ)であったか、例をみないようなすさまじい大地震が起こるようなことがあった。その様は並大抵のものではない。

山は崩れて河を埋め、海は傾いて陸地を水びたしにした。地面は裂け水が湧き出し、岩石は割れて谷にころげ落ちた。渚をこぐ舟は波に漂い、道を行く馬は足元が定まらない。

 都の内外では、寺の堂も塔も、あらゆる建物は一つ所として被害を受けなかったところはなくまともなものがない。地面からは塵が舞い上がって煙のようだ。

大地が揺れ動く音、家が壊れる音はまさに雷のようである。家の中にいればたちまち押しつぶされそうになる。外に走って飛び出せばまた地面が割れ、裂ける。人は羽をもたず空を飛ぶことはできない。

また龍ならば雲にも乗れるだろうが、上るわけにもいかない。何であれ恐ろしいもののなかでとりわけ恐るべきものは地震なのだと実感したことだ。





既に、中学校の「国語」教科書に「古典に親しもう」として『方丈記』の冒頭文
をみることもあろう。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖と、
またかくのごとし。



『方丈記』とは、作者が隠遁して日野山の方丈の庵に閑居するさまを記したことに
由来する。そして、その方丈の庵が復元されて 見ること可能であることを知った。

     方丈

京都、下鴨神社の入口からすぐのところに標識が出ている、摂社 河合神社

ここに鴨長明(1155年(久寿2)~1216年(建保4))が住んだ「方丈」が復元されている。


説明板上写真では白く反射してしまった説明書き。

これによると、鴨長明は、五十歳のとき大原に隠遁した。その後 世の無常と
人生のはかなさを随筆として著したのが『方丈記』である。

大原からほうぼう転々とし、移動しているあいだに「栖」として仕上げたのがこの
方丈の家、移動に便利なようにすべて組立式となっているということだ。



     境内

河合神社 に入ったところ。右側に方丈の庵の一部が見えている。その大きさの
見当がつこうというものだ。


方丈の復元については、『方丈記』から読み取れる資料をもとにして河合神社の
斎庭[ゆにわ]に、790年の時を経て再現がかなった。

復元にあたっては、京都工芸繊維大学名誉教授中村晶生先生の監修のもと 株式会
社安井杢工務店の多大の協力を得て実現したということだ。この方丈、組み立て式
で簡単に移動ができ、組み立て直せるという。  大いに驚かされたものだ。


ところで、なぜ下賀茂神社の摂社に鴨長明(かものちょうめい)かということであるが、

長明は、久寿二年(1155)、下賀茂神社の禰宜(ねぎ)、長継(ながつぐ)
の次男として泉の禰宜の館(現在の京都大学北方一帯)で生まれた。下賀茂神社の
禰宜の嫡子は6才あるいは9才で神職の道にはいるのが習わしであった。

長明が7歳のとき、第六回式年遷宮が行われ、それを機会に神職の修行についたと
されている。ただし、そのころは、福原へ遷都、乱につぐ乱と激動の時代を経てお
り、長明の神職の道についてその後は明かになっていない。


私は、河合神社へは先ず下賀茂神社に参拝、見学したあと神社をとりまく糺(ただ
す)の森をぬけて行く順路をとった。

いまこうして思い返してみても、やはり、この道の方をおすすめしたい。





続きを読む

月見れば・・・



       18日の月

2月18日の 月 です。澄んだ明るい光を放って下界を照らしていました。神々しいまでの

姿に魅せられて 撮ってみたのですが 写ったのは・・その形だけ、真珠みたいですね。


その日は 集中豪雨のような雨が上がったと思ったら、その後、鉄道が運休するなどの
影響がでる程の強風に見舞われました。そんな気象条件によって、

久々に す~っごい
“お月様”に出逢うことが ー デキマシタ 


あの“お月様”って、望月だったのかな

あまりの光で、完璧 まん丸だったのか、しっかりと確認できなかった。


翌日の夜にも、同じ時間、同じ場所に その姿を探して歩いてみたのですが・・どこにも
見あたらず、そして、今夜も顔を出してはくれませんでした。


(もっとも、今時 こんな寒い時期に月を探して夜道を歩くなんていうのも物好きな話です。)


新聞引っ張り出して見てみると、2月18日旧暦1月16日 月齢は・・15.0! 


満月だったことが確認出来て、「やっぱり、そうだったんだ ♪♪」正解をだったんだ
と、満足でした。  

でも、旧暦って月をもとにした「太陰暦」のはず、・・・又も、うん?

1月の15日じゃないの 



そんな時に 便利なのが コレです。

思い出して、出してみたのは、
     暦

旧暦と同時に、月の図までついているカレンダー。これで見てみると、

毎月15日がぴったり月齢15とは限らずに、小数点以下で微妙に左右しています。


ちなみに、旧暦の8月15日、十五夜の月はぴったり、月齢15 で納得です。


古典作品読む場合、こんなグッズが手元にあると、とっても便利ですよ。
                 -NHKeikoの「まちかど情報室」でした-






雪が熔けたら?・・春 になる!

日中の陽射しが暖かく感じられた 今日の 見沼田んぼ です。

    メタセコイア

雪はまだあちこちに残っていますが、足許には・・・

   蓬     いぬふぐり

      蓬 が葉を広げ始め、        “いぬふぐり”の花も咲き出しています。


    東縁見沼泥用水 見沼代用水 東縁 


用水の水、今はまだ、少なくて流れが止まっているかのように見えますが、やがて、春の農作業に

向けて、滔々と流れ始めることでしょう。


代用水沿いに、ず~と遡っていくと、何カ所かの分水箇所を経て やがて 利根川へ、

埼玉と群馬の堺にもなっている大川です。埼玉県側は 行田市 になるのですが、そこは

去年の 春 からちょっとした 歴史イベントによって 注目を集めています。




のぼうの城 昨年の7月6日のことです。

行田市小針の公園「古代蓮の里」に隣接する水田に3色の稲を使って描かれたもの。
展望台から撮った「のぼう様」と忍城(おしじょう)です。

歴史小説「のぼうの城」がベストセラーになって、歴史博物館で作家の講演がある 位は
耳にしていたのですが、眼下に広がるこのダイナッミックなアートには驚かされたものです。

で、さっそくそのまま 忍城(「行田市郷土博物館」として再建された御三階櫓)まで
足を伸ばしました。

城博物館


小説「のぼうの城」は直木賞ノミネートに留まったようですが、映画化が進んでいます。
秋に公開予定、今後益々あちこちで耳にし、目にすることが多くなることでしょう。


1590年、天下統一を目前にした豊臣秀吉の命を受け、約2万の大軍を率いた石田三成が
利根川の水を引いて忍城を水攻めにすること7日間。わずか500の手勢で抗戦し落ちなっか

たという「難攻不落の城」。 今年は 合格祈願のお守り も出たとかいうことです。


「見沼田んぼ」をつくりあげた用水は、埼玉県行田市付近の利根川より取水されていることを
より意識させられる歴史物語でもあります。



東京 散歩

一転して青空となった日曜日。今日の「お散歩」は・・・

見沼田んぼを横切って、南北線「浦和美園駅」から、東京まで足を伸ばすことにしました。


両国】で下車

JR両国駅の目の前が 国技館。すぐ隣の建物が、「江戸東京博物館」です。

     江戸博物館

連れ合いが、「そういえば、江戸東京博物館って入ったことないなぁ」と、


「あらっ、 そうなの?!」という事で、入ることになった所です。


駅には、今開催中の特別展 ご案内 スチール ポスターが貼られています。


「え~、そうか! コレなのか・・・」

     企画展
そうなのです。NHK大河ドラマ特別展 「~姫たちの戦国


特に近年の歴史ドラマを見ようとしない彼には、色んな点で 異議申し立てがあるようですが、


私は 事前に繰り返される宣伝から始まって、作為的と感じられようともブームを巻き起こす
‘歴史ドラマ’は歓迎です。

関連して出版物が多くなるばかりでなく、各誌で特集が組まれたり、関連する歴史資料や遺品までが
こうして、一堂に集められて公開される。地方まで出向かなくても、木像、絵巻、書簡等々 文化財
も集められているわけですから、これを見ない手はありません。


折角入館したのだからと、5階・6階の常設展も廻って 歩きました。コレ 散歩かな?




外に出ると、風は確かに冷たいけれど~青い空で 気持ちのいい日です。♪♪

来た方向とは丁度反対側に出ると、そこは清澄通り。隅田川と平行に北へ「本所1」交差点を

左折して、川に架かる「厩橋(うまやはし)」を渡ります。


     スカイツリー1
右手後方に、スカイツリーが見えました。

     
橋を渡って 浅草寺方面へ向かう 江戸通り をさらに北へと歩きました。

墨田川の対岸に移ったことになりますが、こちらの通りは より川に近いので、歩道から
川面を行く 観光船が見えてきました。 二階建ての、あれは隅田川水上バス でしょうか。


「隅田川ライン」ガイドには、

隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅。下を通る12の橋は色や形の個性的な橋ばかり。
名所・旧跡を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、変貌する東京港の姿を眺めれば、
江戸の情緒と、東京の「今」が発見できることでしょう。
 とありました。



さてさて、時計を見ると もう午後1時をまわっています。お目当てのお店「駒形どじょう

     駒形どじょう

お店の前に2列並べられた 床几は待つ人でうまって、立ち待ちの人まで・・・

これでは何時に 「どじょう鍋」 や「柳川鍋」にありつけることでしょう。


写真だけ撮って、素通りしました。 が、イヤ~ナ予感が当たりました。

次の「並木 藪蕎麦」も、「浅草むぎとろ」にも 待つ人多し。で、素通り。


浅草界隈には 江戸時代から続くうなぎ屋 てんぷら屋 などの老舗料理店が集まっている
のですが、日曜日の浅草はこの時間までどこもいっぱいのようです。


「ここならどうだろう?」と、入ったお店は 雷門通りの二階、居酒屋風ですが昼間は
ランチメニューとして、各種定食を出していました。  “魚やもへい

「鮟鱇鍋」をメインに、刺身やてんぷらも注文して、連れ合いはここでちょっと一杯。

2時過ぎると、「ラストオーダーとなります。何かありますか」。
そうか、ここは、やはり夜がメインの居酒屋なのかな。

お品書きを見ながら、「酒の肴として好まれる品はね・・・」と、 連れ合いからレクチャー
受けたほど、品数は豊富で、昔っからの肴を揃えているお店のようです。



浅草寺へお参りは、雷門をくぐって仲見世を通ります。両側のお店も来るたびに少しづつ
変わっているように思います。来る間隔が長いということかな。

スカイツリーによって、浅草も様変わりしつつあるようですね。

    浅草寺
スカイツリーもそうですが、この人混みを撮っている外人さんが目に付きました。


台湾の大龍寺に多くの参拝者が集まっていて、驚いたのは2ヶ月ほど前でした。
線香を掲げてお参りする大勢の人々を撮りながら「随分信仰の篤い国だな」と思ったものですが、

この目の前の光景は、変わらないというか、それ以上ですね。階段を上がって参拝をし、振り返って
見ると・・うわ~  すご~い  人    です。


でもね、ちょっと脇に入ると、うそのように静かで人も少ないのです。

     浅草の鐘

花の雲 鐘は上野か 浅草か」と芭蕉が詠んだ浅草の鐘、1692年(元禄5)改鋳されたもので
五代綱吉の家臣・牧野成貞が黄金200枚を寄進し、鐘の地金の中に鋳込ませたそうです。

昭和20年の戦災で鐘を残して鐘楼は焼失しましたが、翌年には再建され現在に至っています。
この鐘は1692年(元禄5)に鋳造されたものですが、現在でも午前6時の時報と大晦日の除夜の鐘に
使われているそうです。


ここから、次には「かっぱ橋道具街」へ歩く予定でしたが、「東京江戸博物館」で
時間を使いすぎたので、今日の 東京散歩はここまでとなりました。



続きを読む

休館日に ご注意を !

新聞で「遺物が語る中世の館と城」と題した企画展があることを知りました。
場所は嵐山町の「県立嵐山史跡の博物館」。

この博物館は、源頼朝の家臣畠山重忠が住んだとされる「菅谷館跡」にあります。


年に何度か訪れる武蔵嵐山ですが、企画展となると今までバラバラに知った事象が
ここで、繋がることもあるかも・・・新しく知ることも出てくるかもと考えて、

出掛けることにしました。7日の月曜日のことです。時間の都合もあって、休日割引のない
高速を使って行ったのに・・・・駐車場に鎖が架かっていても、

「うん?? なんで~ 27日までの企画展なんでしょ!」もう10時過ぎてるのに
何やってるんだろうと、女性会館方面に廻ってみたけれど・・・・・

「何やってんだろう」は私の方だった  公共施設は月曜日がお休みでした 


な~んてバカやってるんでしょう。それも、月曜休館日だってことは予想つくことなのに

とほ ほ ほ ほ  さて、じゃどこ行こうかな。風があって、寒いし・・・・ウオーキングする気にもならず、
お腹が空いたから、まずは腹ごしらえをすることにしました。


ここから少し車を走らせると小川町になります。そこで「女郎うなぎ」か「忠七飯」を食べることに、



比企郡小川町は、嵐山町と同じく「小京都」に認定され、観光客
が訪れる所ですが・・・この季節はどうですかね。

鎌倉時代の学僧・仙覚律師がこの町で万葉集研究を行ったことにちなんで、万葉集の歌を記した
プレートが並んでいます。


「女郎うなぎ」のお店は これまた月曜が休店日でした。





      二葉
     「忠七飯(ちゅうしちめし)」の二葉です。もう15年程前に一度きたことあるのですが、
違うお店だったのかな・・・と思ったのですが、その店構えはお隣に、


      旧二葉

風情のあるこちらは、入り口に鍵がかかってました。月曜日で、客が少ないからなのかどうかは
わかりませんが、新館の方へ案内されました。

新館ではこのように、テーブル椅子が置かれています。(以前はお座敷で座ってだったなぁ)

     座敷


忠七飯 ランチメニュー椿 御飯には薬味とともに土瓶の出し汁をかけていただきます。お茶漬けならぬ、汁掛け御飯ですね。うん、確かにお味は以前と変わっていませんでした。

日本酒をいただきながら御膳をいただき、酒の後にこの「忠七飯」というのが良さそうです。





帰り道の254号線から右手の小高い山の中腹に、大聖寺の観音堂が見えました。

ここには、国指定の重要文化財である石造法華経供養塔(六面幢)板碑があるということでしたので

行ってみることにしました。


     大聖寺
     南北朝時代の暦応3(1340)年に創建されたという大聖寺です。

山門の側まで、急勾配ですが車で行くことも出来ます。お堂からの眺めはとてもいい!

     小川町を眺める


重要文化財である石造法華経供養塔(六面幢)板碑が納められている

収納庫には・・・・鍵がかかっています。見学は「大人200円・子供100円」とある下に小さく
こんな注意書きがありました。


日によっては、見学出来ない日がごさいますのでご注意下さいですって! ウーッ









今日は立春 - 春 立つ 日 -

今日は立春つ日です。文字通りの暖かい一日となりましたね。
気温は三月下旬並みで、桜の咲く頃の気温だったということです。

うぅ~ん こんな日に家の中ばかりじゃもったいないので、見沼田んぼで
‘春さがし’ 梅の花を撮りました。

     立春の梅

                見沼大崎公園の梅です


「春の花」といえば ですが、「初花(はつはな)」となるとやはり「梅の花」

今日は立春ですから、旧暦の1月1日元旦で~ス。 




立春は「春立つ日」、ことば通り「春」なのですが、が明治6年まで太陰暦であったことを
考えないと 何か 感覚的にも少しずれる といいますか ピンとはこないものですね。



教科書によく出てくる和歌に、

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ  紀 貫之
(暑かった夏の日に、袖の濡れるのもいとわず、手にすくって楽しんだ山の清水
それが寒さで凍りついているのを、春立つ今日の暖かい風が、たぶん今ごろ溶か
していることだろう)  
                                 『古今和歌集

という歌がありまして、この和歌の詞書(ことばがき)には「春たちける日よめる」とあります。
平安時代の「立春の日詠んだ」という歌です。



旧暦では今日が正月だったということは、昨日は大晦日

大晦日の行事には「追儺(ついな)」というものがありました。

鬼やらい」ともいい、宮中および寺社、民間で行われた、疫病の鬼を追い払う儀式でした。




宮中での儀式の様子が‘絵巻’に伺われます。

追な
                                『公事十二ヶ月絵巻』

一年間の邪鬼の象徴である鬼を、桃の弓、蘆の矢で追い払う おにやらい。鬼払いの役は
大舎人(おおとねり)がつとめました。近世以降、これが民間の節分の行事となったとい
うことです。




昨日の節分には、弓矢に代わる「鬼のきらいな豆」を用意したのですが・・・

エルが拾って食べ廻ることのないよう 小袋入りの豆にしたのですが・・・


「ねぇ、まめ 撒く?」 「いや いいんじゃない。食べておけば」 「そおねぇ・・」


ということで、大舎人の役割を引き受ける者もナシで、静かな節分の夜でした。

その昔、鬼の面つけて子供たちが撒く豆避けて逃げ回り、時々逆に追いかけて
子供を怖がらせた あの鬼 は どこへ行ってしまったのでしょうねぇ  









埼玉 花紀行

二月になりました。初春の花を訪ねてちょっとドライブ・・・というのもいいかなと、

行き場所を探してみました。埼玉県では「今埼玉は花なんです!」のキャッチフレーズで
月々の花の名所を、季節ごとに新聞埼玉版、広報、ホームページ等から紹介する取り組み
に力を入れてます。


初春

宝登山のロウバイ(長瀞町)、武蔵野丘陵森林公園のフクジュソウとウメ はもう行ったし、

ということで、今回は、権現堂堤(幸手市)の水仙の花を撮りに行ってき
ました。


権現堂の水仙まつり

今「水仙まつり」期間中ということでしたので、敢えて平日を選んで、ウォーキングを兼ね
ました。冷え込みの厳しい日、風も吹いていて、でも、日本水仙 はこんな日が似合います。


水仙の花
 別名 雪中花。 いつか見た下田の海岸、岩肌に処々群生して咲く姿にはかないません
けれど、このような可憐な装いを愛でるならば、一、二輪を挿して楽しみたい花です。



お正月のお花にも合う水仙の名は中国でつけられたもの。原産地は地中海沿岸で、園芸作家の
柳宗民はニホンズイセンは中国から球根が海流にのって漂着したものが、本州以南の比較的暖
かい海岸近くで野生化していったのではないかとの説をとっているそうです。


 平安時代に、中国を経由して日本に入ったと考えられています。広く普及したのは室町時代
頃からで、別名「雪中花」とも呼ばれていたということです。

が、今だ、日本古典文学の中世以前の作品に「水仙」の名も「雪中花」の語も見つけたことあ
りません。和歌にも詠まれていないのは、それほど注目される花でもなかったということでしょうか。


あるいは、特殊な地域のみで、文化の花開く都まではまだ広がってはいなかったのでしょうか。

近世(江戸時代)になりますと、俳諧にみえてきます。
「水仙」は冬の季語。

松尾芭蕉の句に、

 其(そ)のにほひ 桃より白し 水仙花

 初雪や 水仙の葉の たはむまで

 水仙や 白き障子の とも映り
そして、 与謝蕪村 の、

 水仙や 寒き都の ここかしこ
寒い京の町で見た水仙の花を詠んだ句です。どこ、かしこ、と、水仙を見た場所を
思い出して数えあげていますので、あちこちに咲いていたことが分かります。




見上げると、

桜花芽  桜の花芽 サクラサクまで、あと少し!




花見のあとは、それにふさわしい「お食事」が出来るところに寄りました。

ほりた蕎麦店   さらそば

春日部「蕎麦匠ほりた」の店内    天麩羅さらそば(ザルではなくおで、の意味かな)


おいしかったですよ。


更新を楽しみにしているブログ(←ここ)で知ったお店です。
バイタリティーあふれる日常に圧倒されながら、よく情報をいただいてます 





  


プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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