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見沼の野菜で

一月も残り少なくなった頃、野菜を補給しようと農協直売所に行ってみると、
とっても太い大根が積まれていました。

秋には 沢庵漬け用 かと思われる大根が沢山並んでいましたが、最近置かれている大根は、
1本が2~3本分ほどの大大根で、しかも100円前後の値がついています。

以前、つくってみた‘切り干し大根’が 思いの外おいしかったのを思い出して、
そんな時間あるかな・・と思いながらも、もう一本余分に買い求めて帰りました。


        大根
        
これは70円でした。安さに惹かれたのかも・・・・


こうして、万能スライサーも出して準備はしたものの・・・あっちに置かれたまま、
そっちに移動されて、3日目になると艶のあった皮に張りがが失われ始めましたね。 


いけない、いくら干すものだとはいえ、いつまでもこのままではと思って

        スライサーで
切り干し大根用の太さの刃をセットして突いてみると、こんな量になりました。

広げて干すと天候に合わせて場所を移動するのも面倒で、ゴミが入ったりもするので、

こんなものに入れて、フックに掛けて物干し棹に提げます。

        吊して干します

100均で買った、干し物ネットです。底一面にとはいかず重なってしまう量なので、
一日一回は手を入れて、上下に返した方がよさそうですね。


乾燥して完成するまでには二週間ほどかかります。でも、今年の冬の気象条件ですと
もっと早く出来るかも・・・。何だか 眺めているだけで うれしくなってきました。

大根は、ビタミン豊富で鉄分 リン カリュウムも含む野菜です。

安価で カロリーは少なく、大根そのものに味がないので、工夫しだいで様々に
調理できる野菜として 冬の食卓の‘お助けマン’となっています。



大根はその昔「土大根(つちおおね)」と言われていたようです。

鎌倉時代の作品『徒然草』には

大根(おおね)を万能薬と心得て、毎朝二本ずつ焼いて食べることを続けていた男
の話があります。大根が薬用として供されたことは医学書にもありますが、二本もとはね。

あまりに大量なので、「二つづつ焼きて食ひける」は「二切れずつ」ではないかとも・・。

もっとも、大根を食べ続けたという話は「平安時代に筑紫の国の地方官を務める男」の伝承譚を
『徒然草』で兼好法師が 昔の話として取り上げているものです。

おまけに最後に「深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ」と結ぶその徳とは、

男が敵の来襲を受けたときに、大根(の精)が兵士になって現れて、その男を救ってくれた
のは男が毎日大根の滋養を信じて大根を食べたため 大根が男を助けたという報恩譚でした。

「体に良いと知って毎日二本を焼いて食べていた」としたほうが話は大げさで、その分
だけおもしろく、突然兵士となって現れて男を助けた大根との対応関係も「むかし話」と
しては納得しやすかったのではないかと思われます。


これが 本当の お助けマン になった大根 のお話でした




そんなことを考えながら、窓から見やると、乾燥した冬の空気の明るい陽射しに
昨日干した大根がこころなしか変色し始めています。ちょっとカールし始めた様子。

よーし、もう一本残っている大根も‘切り干し大根’にしちゃおうかな~~~。





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浦和レッズの‘エンブレム’と鳳翔閣

「見沼田んぼ」とその周辺の歴史資料を提供する博物館の一つに 市立浦和博物館 があります。

その入り口近くの展示説明を見て、初めて知りました。サッカー浦和レッズのエンブレムですが、

   レッズエンブレム

上部に、デザイン化された西洋風の建物があります。これは、明治11年に建てられた

埼玉県師範学校校舎 を描いているのだそうです。

   鳳翔閣P1260015(上と下、逆の展示でしたので解説も逆)


この建物は、もう現在はないのですが、これが 現埼玉大学 の前身でした。


西洋風の立派な建物で、鳳翔閣という別名がありました。

さらに驚いたのは、この鳳翔閣(ほうしょうかく)の命名者は、当時の太政大臣三条 某とか・・。

「太政大臣」の名が表だって登場するのは平安、鎌倉といった古典の世界のイメージです。
明治が大政奉還によって、近世(武士の江戸)との区切りになったことを改めて認識させ
られる説明です。



この校舎は、その後移築されて 女子師範学校、県立図書館として利用された後、昭和34年に
解体材を一部使い、胴部外観を復元して ここに浦和市立郷土博物館として開館しました。


   外観
   さいたま市立浦和博物館 の 正面玄関です。


  アカンサス   館内

二階バルコニー。アカンサスを意匠化した柱頭がみられます。    館内です。
(写真は昨年の12月の半ばに撮影したものです。)



埼玉スタジアム2002 で浦和レッズの試合がある日になりますと、浦和駅から
延々真っ赤な服装で揃えたサポーターを含む観戦者が埼玉スタジアムに向けて
帯のように連なって移動する姿を見ることがあります。

近隣の、サッカー少年の部屋からは、浦和レッズの旗が窓からさげられているのをよく目にして
いたのですが、レッズといえば‘赤い旗’くらいにしか思っていませんでした。



鳳翔閣の名付け親である太政大臣さまも、この建物が未来のサッカ-チームのエンブレムとして
図案伝承されていくとは想像だにできなかったことでしょうね。




お正月の「かるた取り大会」-香取神社-

越谷市大沢の 香取神社 で、毎年行われています「かるた取り大会」に行ってきました。

  香取神社

東武伊勢崎線北越谷駅東口より徒歩4分、325号線旧街道沿いです。


「かるた取り大会」への参加については、事前に電話で申し込みましたが、
当日の突然参加もできそうです。参加費は200円でした。

開始前には、お茶、お菓子をいただき、社殿に移動して 御祓い の神事も受けました。
お子さんの参加者もあって、年の初めの楽しい行事といった雰囲気があり 心もなごみます。


   ちらし取り

「ちらし取り」ではグループ別個人戦のかたちになります。「源平合戦」は二組のチームに
別れて行いますので、チーム別戦とでもいいましょうか。最後には賞品までいただきました。


さて、今回大変めずらしい かるた札 を使っての 遊びも体験させていただきました。
ここに紹介させていただきます。

一つは、木札 のかるたです。

いつでしたか、函館の義母から、北海道の 百人一首かるたの札 はで出来ているという話は
聞いたことがあります。

それには下の句だけが書かれているということで、いったいどんな風のものなのかと
興味津々、北海道に行ったときには是非見てみたいと思っていたものです。

木札   木札散らし

確かに下の句だけが、漢字仮名混じりのくずし字で書かれていました。今回は通常の
読み上げに従い 下の句札を探して取りましたが、この木札でのかるた取りは、下の句を
読み上げて、そのまま下の句の札を取るのだそうです。

どういったいきさつで、このようなカルタが生まれ、百人一首の下の句だけの「かるた
取り遊び」が行われるようになったのでしょうね。



もう一つは、光琳かるた での「かるた取り」です。

見るからに高価そうな装幀で、美術品の面持ちです。ある時、格安10万円の値がついている
「光琳かるた」を見つけ目を丸くして見入っていたところ、

「これは、遊ぶためのカルタではありません。美術品ですので・・・」と言われて納得しました。


セット光琳かるた   光琳かるた

広げられたカルタは、裏表キンピカです。 思わず「コレ、使って いいんですか?」
と、聞いてしまいました。

いやはや、見とれている場合じゃありません。これを読むのは至難の技ですよ!


   光琳1組

“小野小町”の文字で想像つくとは思いますが、取るのは左の「下の句」の札ですからね・・・。
「はなの色はうつりにけりないたつらに」  「我みよにふるなかめせしまに


貴重な、楽しい時間を過ごさせていただきました。

こんな形で日本の伝統文化が伝えられていくのはとても素晴らしいことだと感じました。


 ※香取神社のホームページは こちら からご覧いただけます。











ブックカフェで 英語版「とはずがたり」を読んだ日

東京での初釜 茶事を終えた義母が函館に帰る日です。

新青森から大宮までは新幹線に乗って、一週間前にこちらへやって来ました。
ところが今年は、函館や東北地方に雪が多くて予定時間より遅れての到着でした。


こちらは今日も晴天、比較的暖かな日なので 浦和の駅まで送ることにしたのですが、

ちょっとお買い物をして、早めの昼食を一緒にしようと、街を歩いていると

「いいわね、こちらは一月でもこんなに暖かいものね。おじいちゃんは毎日雪かきしてるわ」と
義母が何度も言いました。

夕方には 雪の中の駅まで義父が迎えに来ていることでしょう。




お見送りのあと私は「中央図書館」で過ごそうと、東口駅前のパルコ8階へ向かったのですが、

なぜか 今日は休館日の札が立ってます。「えーっ、うそ~月曜日じゃないのに 


さいたま市立中央図書館は、資料の特別整理のために休館になっていました。


そこで、今日は 浦和パルコ7階にあるカフェ「SloucCafe(スルークカフェ)」に入ることに
しました。


  ブックカフェ


 1階下の6Fが映画館「ユナイテッド シネマ」の入り口になっています。だから、映画の
待ち時間に来る客も多いようです。

 
 天井が高く開放感があり、周りに書籍の並ぶ書棚もあり、おまけに椅子はシネマチェア。


   座席


入り口で飲み物を買って(マフィンやケーキもあります!)入れば、後は何時間いようと
自由で、図書館と違いお話も出来るのがいいですね。仕事など、はかどりますよ。



かつて、このカフエ開店時間の朝10時に このフロアーで待ち合わせをして、スタンフォード
大学院の研究員であるモリーさんと2人「 週1の学習会」をしたことがありました。


モリーさんは日本古典文学の中で この時は研究発表のために 夢窓疎石の『夢中問答集』
を読破しようとしていました。

わたしは、モリーさんの紹介で手に入れた英語版『とはずがたり』で、和歌がどのような
英語訳されているか 比較研究を試みてみたかったのです。

とはずテキスト英語版



同じ「日本学研究所特別研究員」であった私達は、夏の鎌倉ゼミ合宿で意気投合し、
研究室とは別に、英語と日本語それぞれのニュアンスの違いを教え合うことで、より確かな
理解をしたいと考えたのです。


彼女は一旦アメリカの大学に戻って博士論文を書くということで帰国しました。
再び日本に来た時には連絡するということでしたが、

聞くところによるとフィールドワークで各国を回り忙しくしているようです。
「今ギリシャにいるよ」とも聞いたのですが・・・。

モリーさん ここに来ると決まって彼女との日々を思い出すのです。



※ 『とはずがたり』を読む(公開講座)を更新しました。

  ここから入れます。








徳川秀忠の子を育てた女性が眠る寺-清泰寺

今年のNHK大河ドラマ「江」が始まりました。織田信長の妹である お市 の方
の三女「お江」は徳川二代将軍 徳川秀忠に嫁ぎます。

ところで、今回のドラマでは 秀忠に「お江」の子ではない男児がいたという事実を
取り上げているだろうか。或いは 見性院(けんしょういん)という女性を登場させは
しないかと、そんなことを期待しているのですが・・・さてどうでしょうか。

といいますのは、 東浦和には 徳川秀忠の子を養育した見性院の墓があるからです。

清泰寺門 清泰寺

清泰寺

石門を入り、左手の墓地へゆくと一番奥に葵の紋のついた門が見えます。

見性院墓 門の向こう、石柵の中に見性院の墓があります。



見性院は、武田信玄の娘です。夫の死後、徳川家康に養われることとなり、ここ大牧村を
領地として与えられました。

二代将軍秀忠の頃はまだ大奥というものもなく、六歳年上であったという正室「お江」との
間は大変仲睦まじかったと伝わります。

ところが、たった一人秀忠に愛された「お静の方」に子が宿ると、正室「お江」の嫉妬深さ
を考えて、「お静」を大牧村にかくまいました。そして、当地で幸松丸が無事誕生したのです。

この幸松丸の養育に当たったのが見性院であり、後に その子は会津藩祖(保科正之)となります。


見性院は八十歳近い高齢で江戸にて亡くなり、この清泰寺に葬られました。

現在でも 毎年母の日に「見性院忌」が行われ、会津松平家ゆかりある方々がお参りされています。


映像ライブラリー
平成22年12月5日 SKIPシティ彩の国ライブラリーでの上映会です。
「会津藩祖と見性院 -浦和- 」(’83年制作)

会津松平家十四代、松平保久氏のトークショーも合わせて行われました。

春の清泰寺の様子は-こちらから。


見性院という女性、武田信玄の娘ということです。山梨に行った折に「見性院」との
表記を目にしました。





それは、信玄の正室である三条殿が眠る「円光院」でのことでした。

円光院
瑞巌山円光院(臨済宗妙心寺派)は甲府市の北東に位置し、春花秋月の美しさと展望に恵まれた
躑躅ヶ崎(つつじがさき)の東にあります



三条墓
「円光院」にある三条夫人の墓所です。武田信玄公正室。京都の公家、三条公頼の次女。
十六歳で結婚、二人の間には三男二女があり、次女に見性院(穴山梅雪の妻)とありました。

見性院は 夫の死後、徳川家康の知遇を得て大牧村を采地として与えられていました。

女性は院号で書かれているのみです。名は何といったのでしょう。若い頃の呼び名も分かり
ません。この時代、 正室ですら その実名は伝わっていないのです。

浅井三姉妹のように近世初頭くらいになって女性の実名も伝わっています。
このあたり中世と近世の境といえるのかもしれません。



高台から街を望む


「円光院」は高台、山の中腹ともいうような場所にあります。下に甲府市街、遠くに山並みを
眺めて、戦国から江戸を生きた女性達に思いをはせてみました。

与えられた運命の中で精一杯生きた人たちの姿が、供養する人々によって このように後々の世
まで伝えられていました。
歴史という大きな流れの中に自分も存在するのだということを自覚させられたひとときです。











「小倉百人一首かるた」でお正月

獨協大学 秋期講座 「初めて学ぶ百人一首の世界」では、かるた遊びのやり方も行いましたが、


お正月にお孫さんと一緒に楽しむことが出来たとのご報告をいただきました。 

   CIMG1934.jpg 坊主めくり ですね 


昨年11月だったでしょうか、その折にはこんなお話も伺っていました。

土日のお休みに、5歳のお孫さんと そのご両親がいらしたので、みんなで初めて 
「坊主めくり」をやってみたんだそうです。

そうしたら、お孫さんだけではなくて 皆大いに盛り上がって2日間一緒に楽しんだ
とのことです。

お孫さんは 帰るまでに二首の和歌を覚え、その歌に振り付けをして
詠み上げていたと・・・その仕草が目に浮かぶようで、思わず目を細めてお聞きした
ものです。




かるた取りとなりますと、「あの百首の歌を覚えてないから・・」と、腰があがらない
のですが、こういった  に触れて

楽しかった経験をしておくことは 伝承の糸口 となるという意味でも大切だと
思っています。

又、祖父母と孫が一緒になって 楽しく遊べる遊びって少ない中で、これなら三世代一緒に
夢中になれる 遊び にもなるのではないでしょうか。

絵札や、難しい日本語についてお子さんの問いかけに答えてあげれば 「ヘーッすごい!」
ということにもなるでしょうね。






<かるた遊び>

① 坊主めくり

絵札100枚を裏にしてかきまわしてバラします。裏にした状態のまま札を重ねて、
3つの山をつくります。

みっつの山


ジャンケンで勝った人から、時計回りで札を一枚ずつ取ります。3つの山のどれ
から取るかはその人が決めます。


男性     坊主

男性の絵札が出たら、自分の前に置く。  坊主(僧)札が出たら、場(山のある側)に置き、
                          手持ちの札があればそれも全部、場に出す。



姫札     場に出す


姫札が出たら、場に出されている札すべて自分のものとすることが出来る。場に札が
ない時は、もう一枚引くことができる。

 
<勝敗>
 
最後に自分が取った札の枚数を数える。多い人が勝ち。


続きを読む

初富士

     富士山

初夢に「富士」を見ると、良いことがある(吉兆だ)と教えられませんでしたか。

子供の頃はナントカ良い初夢を見たいものだと、いろいろ試みたような記憶があります。

いち富士、に鷹、さん茄子・・・なんで茄子が三番目に出てくるのかよく分からないままに

「まぁ、お茄子でもいいわ」とか、本当に考えてましたね私。



お正月中に予定していたことも終わって、高速道渋滞も一段落した様子なので、
5日は 「よっし!富士山を見に行こう」ということになりました。



見沼の散歩コースからも、小さく富士山は見えるのですが、やはり ドーンと富士山を前に、


日帰り温泉からの富士 鳴沢にある日帰り温泉「ゆらり」から見た富士



河口湖では、湖畔から 天上山ロープウェイに乗ってみることにしました。

日本昔話『カチカチ山』のお話に惹かれたこともあるのですが、太宰治の作品
『富嶽百景』『お伽草紙』などにもこの地に関係した場面が出てきます。


  かちかちやまの像   ロープウエイ


天上山公園(てんじょうやまこうえん) カチカチ山ロープウェイは、太宰治 の名作
「かちかち山」の舞台です。物語にちなんで、ロープウェイのゴンドラの上や、展
望台のあちらこちらに、たぬきやウサギの人形が飾られ、お客様をお迎えしています。


山頂から河口湖

上からは、河口湖が一望できます。そして、正面が

山頂からの富士

富士山で~す。




よく「山があるのに、山ナシ県」と駄洒落で皮肉られる山梨県へは、圏央道から
八王子junctionへ、中央道に入ったころから、山また山で、山間を走り抜けていく道路です。


大月から入る高速道路は最終地点須走まで無料(高速無料化実験区間)になりました。

                         ドライブイン
                          サービスエリア谷村(ヤムラ)は地名



外環から圏央道に入り、中央道に出ることができます。首都高を通らなくてもよくなったこと で、
渋滞に巻き込まれることもありません。

料金と時間の問題の両方で「富士山」が より近づいたという訳です。




あけましておめでとうございます!

            黄色い梅

山陰、北国でも日本海側は記録的な大雪となったお正月です。
太平洋側では比較的穏やかな天候で、関東地方では暖かな一日となりました。


当地では、年末には既に開花していた蝋梅の花が 青空に映えて綺麗に咲いています。


初詣は、例年 氷川女体神社に先ずは詣でることにしているのですが・・・、


今年はちょっと気になっていた 開かずの門  

国昌寺(こくしょうじ)の 開いた門 を見たくて、先に行ってきました。


開いた門 菊の御紋 のある門

「開かずの門」と呼ばれています。いつも閉じられたままです。それが、正月の三箇日だけ
門の扉が開けられるというのです。

これまで、見沼散策で幾度か前を通っていますが、このように本当に門が開けられた状態を
実際に この目で見たのは初めてです。なので、開いていることにやたら感激してしまいました。

この門は薬医門に属し、間口約3メートル 奥行約2メートルで、切妻屋根となっています。



欄間には左甚五郎作と伝えられる 龍の彫刻がありました。

            龍
             釘づけにして門におさめているといいます。


※門の伝説については、「見沼の民話・伝説」(みぬま通信)←上をクリックしてご覧下さい。



国昌寺は、東縁「見沼田んぼ」を見下ろす高台にあります。

お寺からは「見沼田んぼ」を挟んで「さいたま新都心」が近くに見えていました。

   さいたま新都心


参拝のあと、見沼代用水東縁を歩いていますと カワセミ に出逢いました。

   かわせみ シィ-、二度目で、うまく撮れました 


          


         氷川女体

見沼代用水西縁の高台に立つ古社 氷川女体神社。現社殿は寛文7年(1667)に造営されたもの。
見沼の信仰を知る上で重要な社であり、多くの文化財があるということです。


今年も良い年でありますように!






プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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