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歴史散策  <なんて一石二鳥な散歩だろ♪>

今日のお散歩は、歴史散策と銘打って-東京 小石川から神楽坂界隈を巡り歩きました。

小石川後楽園

黄門様こと水戸光圀の上屋敷だったところ。本来の正門は、

  葵紋の門
黄色いビルの傍でした。六葉葵の紋は水戸家の裏家紋。 

その南側の小道に入ると、

  通路
塀の外側に沿って通路になっているのですが、実は左手の白い建物が展示室でした。
水戸徳川家、上屋敷発掘にまつわる歴史資料が展示されてます。


小石川後楽園 入り口 へはグルッと廻るかたちで暫く歩きます。
脇の御殿坂も秋の風情、紅葉がとても美しくて、まだ楽しめました。

  園内  渡月橋

江戸時代初期、寛永6年(1629)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の屋敷の後園として
造ったもの。二代目藩主の光圀の代に完成した庭園です。

回遊式築山泉水庭園。この中に、京都の嵐山の風景が--右側の写真は大堰川とそこに
架かる橋の渡月橋(土橋)を模して造られてます。

広い庭園の中には木曽の山あり海あり琵琶湖あり。古今和歌集の在原業平に見立てた
竜田川だってちゃんとあるのです。♪ 小町塚・・西行の名も・・・。


眼鏡橋  円月橋。丸い姿が水面に映る。通行不可。


「黄門」とは中国語で『中納言』のことです。この円月橋を設計した朱舜水は、その昔
明の国から亡命して、水戸家に招かれた中国の学者。

黄門さまは、ハイカラな中国趣味でもあったようです。


廷内に、山野草を中心にお花の苗を売っているお店が出てました。

そこで、ヤマユリの球根と、コレ! 見つけて 買いました。


食用菊  食用菊


先ほどの展示室に 水戸徳川家の家紋である三ツ葉葵
発掘調査で出土した際の写真が展示されてました。 発掘調査紋  


そういえば、 前の菊の紋の話題では、こんなメールをいただいてるんですよ。


私の叔母は結婚して小椋の性になり家紋は菊の御紋でした。一見、皇室の御紋と
同じようで立派でしたが花弁が15枚でした。

その理由は「先祖は京都の公家だったが身内で悪事を働いた者がいたため罰として
花弁を1枚とられた」という本当のような嘘のような話でした。

一般庶民でも家紋にすることが可能だったことを知り私なりに合点がいきました。

(Norahさんより)

ここでも
門の紋が、六葉葵の裏家紋 とあったのですが、菊家紋 については色々ありそうで、
それにまつわるお話は、考案時の歴史が感じられて、面白そうですね 



さてさて、小石川散策の後には 神楽坂界隈を 散策--

路地と坂に風情が薫る街。花町の風情あふれる 芸者小道 には石畳も。

ここはグルメの街でもありました。折角なので『鳥茶屋』でランチメニューの、
<うどんすきコース>を食べました。

別邸鳥茶屋  Pうどんすき うどんすき


関西風の上品な味のうどん会席のお店です。ものすごく太いうどんでびっくり、

でも、太うどん か 自家製そばがき を使っても良さそう♪家でも真似てやってみよう!
と思わせる なんか ほっとする 美味しさでしたよ。






「百人一首かるた」で遊ぶ

獨協大学・オープンカレッジでの はじめて学ぶ「百人一首」の世界 講座は
1回に十首の和歌を鑑賞してきて、丁度今、八十首までを終えたところです。

「せっかく百人一首を学んだのだから、かるた取りもやってみたいね」という声もあり
私の方も、講座の中で 遊技としての「かるた取り」が出来れば、と計画していたのですが・・・

百首の秀歌を学び、鑑賞するだけでも10回ですと十分な時間とは言えず、
伝統的文化である「かるた遊び」の方法やルールについて触れる時間がとれなくなってきました。


そこで、講座修了後 特別講座「かるた遊び」実践講座というものを計画することに・・・なりまして、

遊技かるた として 3種 を実践する 予定なのですが、

その① 坊主めくり
   坊主めくりならば、和歌はよまなくても、絵札を使ってみんなで楽しめるゲーム。
   もうすでに実践されて 大いに盛り上がって 楽しんだというお話を聞いてますが、
   ちょっとだけ 違うルールを入れてみましょう。

その② ちらし取り
その③ 源平合戦

ここまでが 通称 お座敷かるた ですね。
学校で授業の一環として行うのは この になります。




本格的なものとなると、なんといっても 競技かるた 

今日は、兼ねてよりお話を伺いたいとお願いしていました、日本かるた協会 所属
埼玉支部 大宮さくら会 の練習場 にお邪魔してきました。

大宮さくら会練習風景

技 が 技 と 一字変わるだけで こんなにも違うのかと 驚きます。
すごい 迫力と緊張感!  奥の深いスポーツ いや 格闘技 でしょうか。
魅力的な風景でした。

さくら会のみなさん、貴重な練習時間のお邪魔をしてしまい申し訳ありません。
競技かるた についてのお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。 




文学と歴史を訪ねて - 鎌倉へ②

今回は、『とはずがたり』の時代の鎌倉では・・ということで、やってきたのでした。
鎌倉時代後期には政権が武家階級に移っていき、執権北条時宗の時です。 


その点から見れば、東慶寺も関係深い寺といえます。

円覚寺とは「北鎌倉駅」を挟んで反対側に建つ寺です。 北条時宗の妻 覚山尼が、
夫の菩提を弔うために弘安8年(1285)に建立した尼寺、‘通称駆け込み寺’です。

時宗は弘安7年没、34歳でした。

この頃、『とはずがたり』の作者二条は27歳。御所追放の身になった頃ですねえ~京の都で



さて、前回の続きで 食事のことを。
北鎌倉から鶴岡八幡宮裏口まで区間にお店は色々あって、入りたいところも幾つかありました。

例えばここです! (11:30)

  去来庵 去来庵

特製ビーフシチューを食べたかったのですが、入り口から行列の最後尾が見えていて・・・
入ってから上のお店まで・・こんなになってました  

シチューの店並ぶ ずっと続く人、いつになったら食事にありつけるのでしょう!


鎌倉はお食事を目的に訪れても良いところ、各所に洋食、和食、イタリアン、甘味所 
多いですが・・・。

小町通りのカレー店もこんなでした。(13:10)
カレー店 人混みの中、店の前には動かぬ列ができています。

店の人が出てきて「40分はお待ちいただかないと・・・」と告げているのに、まだ最後尾に
付く人がいるのだから、驚きです。 よほど美味しいんでしょうネ。



さて、鎌倉時代 の始まりである 源頼朝の鎌倉幕府開設は 建久3年(1192)。
その前年に由比ヶ浜の浜辺から 移築された 鶴岡八幡宮は源氏の氏神。

とはずがたり』の二条も、村上源氏の血筋であったので、鎌倉までやってきた時にはまず
ここに詣でています。1289年、二条 32歳の時でした。

 八幡宮から若宮大路を見る
本宮は小高い山の中腹に建っていて、その正面から若宮大路を見渡しています。手前の建物は
舞殿です。源義経を慕って舞を舞った静御前、その回廊跡に造られた舞殿(まいでん)です。

丁度今、ここで結婚式執り行い中です。外国の観光客がさかんにカメラのシャッターをきってます。

その屋根の向こうに、鳥居が見えています。真っ直ぐ続く若宮大路の向こうが由比ガ浜です。


721年前、二条は由比ヶ浜の方から、こちら側を見ていました。

由比の浜といふ所へ出でて見れば、大きなる鳥居あり。若宮の御社遙かに見えたまへば、(中略)
まづ御社へ参りぬ。
 (巻4)




八幡宮の大イチョウが倒れたあとは、

倒れた大銀杏

新芽から育てられたイチョウは葉を繁らせています。驚くことには、隣に植え直された古木にも
新たに枝が伸びてきています。

樹齢1000年を数え、根回り約7メートル、高さ約30メートルあった御神木です。



命を繋いだ 新イチョウ が2010年を始発として、これからの歴史を見つめていくことでしょう。






文学と歴史を訪ねてー 鎌倉へ① <とはずがたり編>

鎌倉にやってきました。

今回は、「北鎌倉」で降りて、
   鎌倉マップ

まずは円覚寺です。道沿いのお店をのぞきながら、建長寺へ、鎌倉街道をそのまま進み
巨福呂坂を下りていくと「八幡宮裏」バス停があります。

ここから、鶴岡八幡宮境内に入りました。


作品『とはずがたり』の舞台は朝廷のあった京都から始まります。後半(巻4から)になると、
主人公である二条が、女の身でありながら出家修行の旅にでます。西行に倣った諸国行脚の形
で、まず向かったのがここ鎌倉でした。

久我雅忠の娘「二条の尼」が長期滞在した鎌倉時代後期の鎌倉については、また改めるとして

今回たずねるコースは、作品巻1に描かれた歴史事件「二月騒動(きさらぎそうどう)」にまつわる人物と歴史
に焦点を絞ることにしました。




   円覚寺入り口

鎌倉幕府八代執権 北条時宗の廟所がある円覚寺前です。10時15分頃ですが、満員御礼 の札でも下げたいような人混みでした。

円覚寺山門 山門。夏目漱石の小説「門」にでてきます。

この寺創建の趣旨は、国家を鎮護し仏法を紹隆すると共に、蒙古襲来で戦没した敵味方の霊を
なぐさめる為であったといいます。

『とはずがたり』の世界は、日本が二度の蒙古襲来にあっている時代に重なります。

また、北条時宗の異母兄である北条時輔(ときすけ)が南六波羅探題で討たれた事件は、
朝廷に近い京でのことでもあり、詳細に描かれています。

 <後嵯峨院発病、六波羅の変事>の私訳をご参照下さい。公開講座『とはずがたり
  





さねかずら 境内で見つけた「さねかづら
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな  三条右大臣(「百人一首」)





次に訪れたのは 建長寺 です。

建長寺



巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山。

今から約760年前建長5年(1253)に後深草天皇の勅命で建立したわが国最初の禅寺です。

後深草天皇 は 『とはずがたり』の中で 中心人物になっている人です。


尚、「建長汁(けんちんじる)」は建長寺発祥の料理なんだそうですよ。

ひょうたんを開ける 「ひょうたん御膳」蓋を全開して撮影。けんちん汁半分撮れてるワ。 


この、二つのお寺を巡ったら もう12時15分前になっていました。ここらあたりで昼食を
と思ったのですが、もう、どのお店も列が出来ていました。

鎌倉でゆっくり食事をするには、うんと早い時間にとる計画をたてた
ほうがいいみたい  です。



柿 は 「KAKI」 なんですって!

     柿 岐阜の名産「富有柿」


今朝、ポーランドのクラクフに住むS嬢から届いたメールで知ったのですが、
あちらでも、柿のことを「KAKI」と言うんだそうで、驚きました。


こちらは今日は10度くらいでしょうか。ずっと外にいると寒いです。
さきほど市場に買い物に行ってきました。歩いて7分くらいなので
とても便利です。新鮮な野菜とフルーツを買いました。

柿を買いました。「KAKI」と書いて売っています。ポーランド語名も
ありますが、「かき」で通じます。大きなザクロもありました。

前に食べてみたのですが、おいしかったですよ。旬のものといえば、洋なしでしょうか。
ラフランスという高価なものではなくて、単なる「洋なし」です。

フルーツはスペイン方面から来るらしく、暖かい国のフルーツも
売っています。夏はすいかもあります。



丁度、こちらでも 戴いた柿をおいしく食べている頃だったので、何だか
うれしいような、得意な気持ちになりました。

ヘェ~ そうなんだ。日本へは中国から伝わってきたんじゃないかな
位は思ってたけれど・・」

ということで、ちょっと調べてみました。


◆柿の木は東アジア温帯固有の果物で、長江流域に自生している。

◆日本に輸入されて古くから栽培。1789年にヨーロッパへ、1870年に北アメリカへ
 伝わったことから学名にも kaki の名が使われている。

◆英語で柿は「Persimmon」。「干し果物」を意味する名詞「ペッサミン」で実を干して保存食と
 していた事実に基づく。近年、欧米ではイスラエル産の柿(渋抜きした「Triumph」種)が
 「シャロンフルーツ(Sharon Fruit)」という名称で流通するようになったため柿は「Persimmon」
 よりも「Sharon Fruit」という名で知られている。



 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺   正岡子規

たとえば、この俳句をポーランド語で訳して説明する時は「KAKI」でいい訳ダーーー♪♪


 クラクフ この街のどこかで 柿を食べながら・・・。
ところで おいしい「富有柿」のことは、ご存じかな~  





菊の紋章 2

パスポートの有効期限が残り3ヶ月を切ったので、新たに申請するために「パスポートセンター」へ
行ってきました。

手続きは簡単で、申請書に必要事項を記入し、センター内にある写真撮影所で撮った写真を
持って受付カウンターに出すだけで済みます。

午前中の時間帯でもあり、空いていました。 新しいパスポートは後日受け取りに来るのですが、
無効穴あきパスポートは戻されます。

      パスポート

気になっていたこの 菊の紋 受付の方に ちょっと聞いてみました。

「この 菊の図は 皇室の紋ですよね。やはり日本を代表する印ということで皇室の紋が使われている
のでしょうか。いつから、このデザインなのでしょうか」というように聞いたのですが・・。

てっきり、即答が得られると思っていました。


若い女性(私から見ればですが)でしたが、「えっ 菊の紋?? そうですよね。皇室・・ですね」
「すみません、ちょっとお待ちいただけますか」と背後のドアーの向こうに。

3分ほどして、ちょっと顔が見えたので、(すいません、お仕事中 余計なことをお聞きして)と
言おう思い、腰を浮かせたのですが、再びドアの向こう消えてしまい 暫くたちました。


「お待たせして、申し訳ございません」

「いえいえ、こちらこそ。余計なことをお聞きしてしまって、ごめんなさい」


で、
パスポートが冊子の形になったのは大正からです。その時には
もうこのデザインになっていますね。ただ、これが皇室の紋であるとはどこにも書いてないので
分かりません。申し訳ないのですが、詳しくはこちらに問い合わせていただけますか。


と電話番号(fax番号みたいでしたよこれ)を書いたメモをいただきました。


ネットでも調べてみたのですが、

日本国発行の旅券の表紙には菊花紋章に似た「十六弁一重表菊紋」が描かれています。
旅券の表紙には、その国の紋章を入れることが国際慣行となっています。日本には正式の国章
が存在しませんが、昭和40年以降、伝統的に国を代表する花の一つである菊の花を図案化して、
旅券の紋章として使用しています。


との見方が適切ではないかな との結論に至りました。
が、諸説あるようで、はっきりしていないようですね。


もうひとつ、気になっていた 菊の御紋 は、

見沼散歩コースにある 国昌寺(こくしょうじ)の 門の紋  これです。

  国昌寺

日本の国章に準じた扱いの紋。この「十六八重表菊」は皇室の御紋となっているものです。

ですが、江戸時代は「菊の御紋」より徳川家の「葵の御紋」の方が重要視されてきたわけで、
「菊の御紋」は一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具なども
作られています。

ということは、この門の菊花紋が、天皇にかかわるような意味を持つとは限らないですね。


正月三が日はこのが開きます。また、こののこと質してこようかな。

なんか、気になるんですよね~ 菊の紋 もんもんとするほどではありませんが・・




食用菊 のことですが、

Nさん、菊の花の 茹で方、教えていただいて ありがとうございました。

確かに、水から茹でたら 花びらの始末もよくて、シャキとして良かったです。

だいたいは、以下の手順で使うと教えられるのですよね。

 ◆花びらをちぎり、水で洗います。

 ◆たっぷりの熱湯に酢を少々加え、その中に入れて、箸で2~3回かき混ぜたらザルにあげます。

 ◆ボールに水に放して2~3分、ザルにあげ水気をとります。

でも、これでやると洗ったり移したりしてる間に ちぎった花びらが勝手にあっちこっちに
くっついたりする。ちっちゃな花びらを洗うって、思ったより大変ですよね(私だけ?)

花を先にザッと洗い、水を入れたお鍋の中へ直接「花びら」をちぎりながら入れました。

   

こんなに手間がかからないのなら これからは、いろいろな料理に使ってあげましょう 






「百人一首画格天井」の善導寺

荒川の中流域、長瀞の下流に位置する 寄居 に行ってきました。
戦国大名である 後北条氏と密接な関係を持つ城下町として栄えた所です。

今回訪ねたのは、鎌倉後期創建の古刹 善導寺

   善導寺


本堂の天井には、狩野派の絵師・金竜斎宗信が描いたとされる100枚の天井画
「百人一首画格天井」が残されています。

天上1

町の文化財に指定されているのですが・・ 天上2

撮影上の注意書きもなく、本堂への出入りも自由な状態でした。

ご本尊に失礼のないように(そちらに足を向けないだけなんですけれど)、
床に寝っ転がって、回転しては 何枚も写真を撮らせていただきました。

100首の絵札に残る見事な色彩に魅了されました。 



興奮醒めやらぬ翌日の 見沼東縁散歩道 では・・

  龍田の川の紅葉

 代用水を流れる 黄葉 にも

ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは  在原業平朝臣

これを 竜田川に 見立ててみたりして  


紅葉と鴨 黄葉と鴨

                 エルも歩く  歩き犬のエルマーは今日もよく歩きました。





エルも一緒にハイキング

大平山 (標高178.9m)へ

      大平山案内図

歴史探訪のために大里郡寄居町を訪ねたのですが、
ここは 武蔵嵐山にある 小高い山です。途中寄り道をしたところです。

戦国時代 この地には 遠山右衛門光景を城主とする 小倉城があり、
この大平山の山頂に物見櫓があったと伝えられています。

以前 何度か来ている所ですが、あるテレビ番組で「この山はもみじの名所でもある」と
ナレーターが言うのを聞き、それなら丁度よい時期でもあるし、頂上まで登ることにしました。



以前行った時の登り口は、なぜか標識もなくなって 厳重に鎖が掛けられていました。
途中まで、道路が整備されている道だったと記憶しているのですが・・・。


「通行止め」 の標識もあったので 地図で確かめながら、反対側の入り口から登ることに・・

山のぼり入り口

急な登りで、鬱蒼とした木々の下には、落ち葉は確かに足許にあるのですが・・・・
どこが 紅葉の名所なの??

途中に 小さな祠がありました。

      PB140004.jpg

人の気配もなく・・・来るわけないわ~ 薄暗くて 怖いくらい・・。
ここまで来たからには山頂までいくしかないかと、足許に気をつけながら 

急な坂道を登ると ・・・やっと 視界が開けて 遙か頭上に 広葉樹も・・・  

              PB140006.jpg


山頂 近く、なだらかな道に入ったところで 人声も聞こえてきました。

どうやら いくつかある中で、秋にはふさわしくないコースを選んだようです。

ここでやっと以前(15年も前だったワ~)来た道の方向と、頭の中の記憶とが一致、
そして納得。  その道は途中まで舗装されていて、一番なだらかなコースでした。

もう古くなった「バイク乗り入れ禁止」の札が並んでいます。 






前を行くエル  前を行く エルマー

「大丈夫?」と気遣うように、時々後ろを振り返える余裕が・・・。

登りは勿論、下りも、歩くのは エルくん 得意です。

だって、安定してて、滑ることないもんね。それに 身軽だしネ  




大平山のおみやげは、
    幣もとりあえずPB140044  拾い集めたもみじ葉


このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに  菅家(菅原道真)
<この度の旅は、お供えする幣を用意することができませんでした。そこで、さしあたってこの山の美しい錦織りのような紅葉をお供えいたしますので、神様のお心のままにお受けとりください。>


ぬさ(幣)→神にささげるもので、布や紙を小さく切って作る。旅行者が安全を祈るため
      道祖神に供えた。幣帛。   





里のもみじ葉 心あらば・・・

ここは、久しぶりのスーパーマーケット第二駐車場です。

    駐車場
せんげん台 第4公園沿いなので周辺の紅葉が 格別きれいです。

区画整理の段階から計画的に整備し植樹もされて出来た公園だからでしょうか、
以前住んでいた草加市よりも、公園の多い今の住居周辺よりも赤黄緑の配色がいいですね。

山や高原でなくとも充分に味わえる紅葉、「もみじの錦」「からくれない」の形容に匹敵するわ~
と、満足して帰ってきました。来週も 寄ってみようかな。「こころあらば今ひとたびの・・」と
いったところです。




今日は、獨協高校で森永卓郎氏の講演があるとの情報を得たので、保護者に紛れて潜入し
拝聴してきました。

低迷の続く日本経済問題と長引く不況ですが、どうも社会問題や社会情勢について、
今一、見えないといいますか、よく理解できていない私の頭でも、
高校1年生対象のお話ならば 分かるかも知れないという期待を持って 

これまでも人前で喋る仕事をしてきた関係上、聴く側に居て「話し方」「伝え方」の勉強になる
と思って、講演や講習にはよく出掛けました。

というか、まぁ好きですね昔から。興味ある内容とか人であれば多少遠くであってもかまわず
行ってマス。



で、今日は折角なので、文化祭以来の オカワカメ に逢ってきました。


「ここまで長く伸びて成長したのも珍しい」とか「冬越し、新芽につなげる方策は・・」とか、
「花と緑の振興センター」からも注目され、来年度の更なる期待を受けているというその姿は


  おかわかめ縦  オカワカ下ろす
   そのままになっている状態      ワイヤーに絡んで伸びた蔓を下ろしたもの

根株についている大きな「むかご」を取って幾つかに切り分け、土や藁をかぶせて寒さから
守り、冬越しさせます。ここから出る芽が確実に丈夫な苗となって育っていきます。

蔓に付く、葉の脇のちいさな「むかご」からも芽を出させることが出来れば来年度は沢山の株が
育つ計算になります。今年は120本の苗でしたが、エコ効果の高い緑のカーテンにするには
150本の苗は欲しいところだそうです。

無数に出来る小さな「むかご」からも沢山 苗が出来たら 希望者にその苗を分けるのが
イインジャナ~イ と 密かに思っているダケ の 私です。  



むかご がんばれ、がんばれ ム・カ・ゴ 







百人一首 の 「八重むぐら」とは

前回の「初めて学ぶ 百人一首 の世界」講座で次の和歌を鑑賞しましたが、

八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり   恵慶法師(えぎょうほうし)
<葎が生い茂って雑草がはびこっているこの寂しい家には、
      人はだれひとりとして訪れてこないけれども、秋だけはやってきたことだなぁ>

「この葎(ムグラ)ってご存じですか? 丁度、今秋ですので よく見ますよね!」

「ああ、分かりますよ! 蔓草で あの茎のところに小さな棘、棘があるアレですよね 

(さすがです。生徒や学生相手の場合はこうはいかないいんですよ )

何人か うなずく方もいらっしゃいました。
この歌の場合は、ヤエ<八重>、いくつも重なって生えているつる性の雑草をいうものです。


<ムグラ>という植物名にこだわると、コレかと思うんですよね。
ムグラ 茎に小さな棘が生えているムグラです。


私も、かつて「ああ、この雑草が庭に生い茂っている風景なんだ」と想像していた時がありました。
でも、このムグラは 春 なんです。


そこで、今日は近所にある - 沢山生えている コレを朝採りで持参しました。
  近所のカナムグラ    見沼のカナムグラ
近所の倉庫の塀を這うカナムグラ     見沼田んぼで撮った雑草カナムグラ


秋におどろおどろしく茂っているのは<カナムグラ>というコレなんです。
荒れ果てて人の訪れもなくなった家はひっそりと静まりかえって、秋だけがやってきたというのですから。


やはり、前の<ムグラ>の方だと思っていた方もいらっしゃって、
「なるほど・・」ということになり、  スッキリ です 

47番のこの和歌は『拾遺和歌集』にあり、その詞書(ことばがき)には
「河原院にて荒れたる宿に秋来るといふこころを人々よみ侍りけるに」とあります。

河原の院というのは河原左大臣、源融(みなもとのとおる)の別荘でした。
この人は嵯峨天皇の皇子でしたが、臣籍(皇族以外の身分)にくだって源になっています。

8世紀のことですが、鴨川の西につくられたこの「河原院」は豪奢な庭で有名でした。
陸奥の歌枕、塩釜(宮城県)の景色をそのままうつし、毎月大阪の海から海水を運ばせ、
塩焼きをまねてたのしんだということです。

とんでもないぜいたくだと世間の評判になりましたが、融の死後、河原の院はあれはて、
鬼が出たり幽霊が出るといううわさがたったところです。


この和歌の作者である恵慶法師は、融の子孫である僧の友人でした。
しかし、この歌自体は、寂しくも美しく悲哀の季節としての秋が歌われています。



続きを読む

菊の花 と 紋

見沼田んぼの西縁代用水沿いの桜並木です。

桜並木紅葉 

道沿いに、野菊(カントウヨメナ)が雑草の間に咲いているのを見つけたのは、もう随分前から
ですが、今日は、園芸種と思われる「菊の花」が咲いていました。

菊の花

「菊の花」を愛でる節句といえば「重陽の節句」がありますが、
9月9日は、旧暦であってもまだ菊の花は咲いてはいなかったのではないでしょうか。

「菊の花」は中国の「重陽の節供」とともに、平安時代の初期に伝来したといいます。
宮中行事として「観菊の宴」を開き詩歌など読み、長寿を祈りました。

菊の花の観賞ですので、花の咲いた時に合わせたのではないかと・・・、でなければ
野菊(ヨメナ)のように早く咲く種類の菊の花だったのでしょうか。


当初は貴族社会のみの行事だったものが、やがて武士社会から庶民へと徐々に広がって
いき、今では、節句とは切り離した「菊まつり」の形で菊の花を愛でる催しが各地に残っ
て伝わっています。


「重陽の節供」として定着しなかったのは、菊の見頃の時期が合わないことに起因するとか
『百人一首』にとられた和歌も平安時代の菊ですが、

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
<あて推量で、もし折るというのならば手折ってみようか。初霜が一面におりて、(白菊なの
か霜なのか)見分けがつかないように、人目をまどわせている白菊の花を>

コレ、晩秋に咲く白菊ですね。



鎌倉時代、後鳥羽上皇が菊を好み、紋として使ったそうで、その後、後深草天皇・亀山天皇・
後宇多天皇(亀山天皇の子)
が自らの印として継承したということです。

明治2年に、菊花紋が皇室だけの紋と決まり、皇室以外の使用を禁じられました。
菊の花が図案化された「皇室の紋」となったのは 意外に新しかったのですね。
天皇家は十六花弁の八重菊、皇族は十四花弁の裏菊と定められたのです。菊の紋




ところで、これは
     食用菊  食用菊の花

菊の葉を天ぷらにして食べてはいましたが、菊の花そのものを‘お浸し’や‘酢の物’にして
食べるという食文化はなかったですねェ・・・私の育った地方には。

「菊の花」といえば供花のイメージがあるではありませんか。初めて知った時には ーーー

え~ッ こんな綺麗な花を食べるなんて~~~ もってのほか  だと思いましたが、
それで 名付けられた のでしょうか この食用菊は。

 





「嵐山 時代まつり」 の やぶさめ

東武東上線の武蔵嵐山駅から徒歩10分のところに、鎌倉時代の豪族畠山重忠の
館跡と考えられている城郭があります。

この菅谷館(すがややかた)跡地に建つ埼玉県立歴史資料館ではここ嵐山町を中心
とする武蔵ノ国の歴史と共に、「いざ鎌倉」へと活躍した武蔵武士の歴史もまた、
今に伝えています。

菅谷館歴史館

7日(日)の今日、ここで 嵐山時代祭り がありました。旗

お昼過ぎに丁度ここを通りかかったのですが、何と今から 流鏑馬神事 が始まるというではありませんか!

実は、隣に建つ 国立女性会館(ヌエック)の 秋まつり ということでこの地を訪れたのですが、
思わぬ場面に遭遇して、ここに釘付けになって見物、いや、見学してきました。

全くの偶然で、すご~い幸運でした!!!

やぶさめ開始前 今年は7回目になるそうです。

  女性陣    男性陣

鏑矢が飛ぶ音を、初めて 耳にしました。“ヒューウー”と、思ったより大きな音でした。

射るのは、女性(2名)先行でした 射る女性


神聖な神事として行われた甲冑流鏑馬の姿は、勇壮で中世絵巻のように美しいものでした。
射手が3つの的を次々に射ながら駆け抜けていく姿は圧巻です。


途中、長刀を振り回しながら駆ける武者が落馬するというアクシデントがあり、
ハッと我に返る思いがしました。

(かつて武者たちはこうした戦いをし、こういった形で多くの武者が死んでいったことに
思いが馳せられて・・。)


戦勝祈願、武運長久のために行ったという流鏑馬は 馬術と弓道と神事という枠組みから
見学したとき 戦慄を覚えるほどの カッコ良さでした。

特に、目の前をものすごい勢いで駆け抜け、次々と的を射落としていった若い女性に 魅了されて

「わたしも、乗馬やってみたいナ。もう少し若いときだったらなぁ~ 」と口にしてしまった。

連れには「もういいでしょう これくらいで・・。遅くなるから 行くよ !ムシされた。 






魂 浮遊のこと

   コピー ~ 百鬼夜行絵巻百鬼夜行絵巻

これは、『百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)』の部分です。室町時代中期(16世紀)
に描かれたと推定されています。そして、こちらは

   コピー ~ 百鬼夜行図百鬼夜行図

河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の『百鬼夜行図』。同じ題材の妖怪図ですが、現代の
‘水木しげる’の世界にも通じるデフォルメが行われているのがわかります。左背後の
火の塊、これは人恐らく死人のからだから離れた魂が浮遊するさまを描くものでしょう。

このようなビジュアル化された怪異現象は文章を基にしながら、描写には変化をきたしてきたもの。
文学資料としては、説話『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』に 同題名の文章があります。


いきなりこのような絵画資料をここに揚げましたのは、『とはずがたり』にある
後嵯峨法皇(後深草院の父親)の人魂浮遊の場面を読んだことに始まります。

その描写が実にリアルであるばかりか、現代の読者である私達をも引き込ませるものがあります。

そこで、こういった怪異現象についての話は、他にどのような作品にあるのだろうかと、怪奇現象
を描写する一つの例として出したものです。


『とはずがたり』では、文永8(1271)年の8月に後深草院の正妃から皇女が誕生し、
その御子の“お七夜”の夜に人魂が浮遊するという現象が描かれています。

誕生を喜ぶ後嵯峨法皇(赤子の祖父にあたる)、その生きている人の魂が身体から抜け出し
て浮遊する現象が描かれています。

午前二時頃に、橘の木のある中庭に、大風が吹いて、荒磯に波が立つようなすさまじい音が
するので、「何事だ、見てまいれ」と仰せがある。

出て見ると、頭は匙という物の大きさで、次第に盃ほど、また酢杯の陶器の大きさのものが、
青っぽく白く、続いて十ばかり、尾が細長く伸びて異様に光って飛び上がり、飛び上がりする。

「おお、怖い」といって皆逃げ込みました。廂の間にいた公卿たちが出ていって「何を見て騒ぐ
のですか。ああ、あれは人魂だ」という。

「大柳の下に、布海苔というものを溶いてまき散らしたような物がありますよ」と大声で言うもの
もいる。すぐに、占いが行われました。占い師が、後嵯峨法皇様の御魂であると院に申し上げます。
そこで、さっそくその晩から法皇様のために招魂のお祈りが行われ、泰山府君などをお祭りになりました。


魂が人体から抜け出して・・・という現象は、他にもありますが『とはずがたり』のこれは「ひとだま」
といえるものです。



『源氏物語』の中には、六条御息所の生霊が身体から抜け出して夕顔を取り殺すというものがあります。



またホラー的なものとは全く別に、魂が身体から抜け出す現象が“想い”からも起こったといいます。

もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる  和泉式部

「もの思ふ」とは、恋の思いで苦しんでいるということです。わが身から離れて・・そのたましいは
どこへ向かうというのでしょうか・・へたな解釈はしないでおいて、  ここは・・・
あぁ~・・という嘆息にとどめておきましょう。 





続きを読む

文化の日


今日は休日、文化の日 です。
朝、起きるなりメールチェックをしたら、ポーランドクラクフから
嬉しい 便りが届きました。

一昨年より、ヤギェウォ大学文献学部東洋学研究所日本学科に、専任教員として赴任している
私の学友からです。 (とはいっても、彼女は私の子供と同年代、若くてほっそりした美人女性ですのでお間違いなきように・・


9月には京都での日本古典文学、中古学会で研究発表をする為に一時帰国し、
11月には、ワルシャワ大学で学会発表の予定とか!!!そのあとポーランドの日本学でも 

すごい、すごいがんばってるわ~ね! 


「今日まで祝日でお休みでした。日本でいうお盆の時期で、みんな
お墓参りにいきます。私は普通のお休みとして、土曜から火曜まで
ゆっくりと過ごしました。日本も文化の日でお休みですね」
 ということです。

ポーランドの行事について、全く知識がないのですが、なんだか私の中ではとても近い国に
なりつつあるのです。

そうなの、日本では今日は文化の日よ。


そして、日本にいる私に こんな依頼が届いています。

平成19年度中世文学会秋季大会(福岡女子大学於)での研究発表をもとにまとめた私の論文

白描絵巻『豊明絵草子(とよのあかりのえぞうし)』と『とはずがたり』の関係-称名念仏往生をめぐりて

を、『国文学年次別論文集』に収録するというものです。ー学術論文刊行会(「国文学」)ー


当初は異論も多々あって、その年度の学会選考論文になることもなかったものでした。

今日は私にとっても 嬉しい文化の日 秋の明るい陽射しが 眩しく感じられます。




 “見沼さんぽ” ちょっと 遠くまで足を伸ばしました。

   コスモス畑    刈り穂の庵
   大谷コスモス祭り              刈り穂で庵がつくられています!


   エル 寒くなってきましたね。





  



ハロウィン と 七五三

10月31日は・・・

           ハロウイン ハロウィン の日でした。

一週間前に「六本木ヒルズ」で撮ったもの、それで「ハロウィン」が近いことを知った次第です。




こちらは・・・31日、越谷の久伊豆神社に行って、思わず撮った写真です。

    久伊豆神社    七五三

そうです、七五三で お宮参りをする人たちです。小雨がぱらつくような天候でしたが、賑わっていました。


子供が主役になるこの二つの行事が同日に重なって行われていることに興味がわき
これら、外国と日本発祥の歴史的行事について、まとめてみました。


<ハロウィン>

諸聖人の祝日の前夜(10月31日)に行われる祭り。この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、
精霊や魔女が出てくると信じられていて、これらから身を守るために仮面を被り、
魔除けの焚き火を焚くことから始まり、それがいまのハロウィンになったといいます。

31日の夜、カボチャ(本来はカブ)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャックランタン"
ジャック・オー・ランタン (Jack-o'-lantern) 」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が
「トリック・オア・トリート(Trick or treat. お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と
唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねます。

家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティー
を開いたりするそうです。


家族の墓地にお参りし、そこで蝋燭をつけるという地方もあるとか、
そんな風習は日本のお盆の迎え火・送り火のようですね。



<七五三のお宮参り>

七五三(しちごさん)とは、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事。
近世(1680年頃)から始まったとされる説が有力です。

男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに
詣でる行事。本来は数え年なのですが、現在は満年齢で行われる場合が多いようです。


旧暦の15日はかつては鬼宿日(キシュクニチ-鬼が出歩かない日)に当たり、
何事をするにも吉であるとされました。また、11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月、
満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るように
なったのだそうです。

明治改暦以降は新暦の11月15日になりますが、現在では11月15日にこだわらずに、近い土日・
祝日に行なうことが多くなっているために10月31日にも人出が多かったのですね。



台所に置いたままになっていた「カボチャ」が気になって、さて、どう料理しようかな 

小さい子供はいないけど、楽しまなくっちゃ・・ネ、ということで、

カボチャ  中に詰めたのは鶏肉とタマネギを炒め低脂肪牛乳で煮たもの。
ハロウィン料理ですが、かぼちゃの煮物’が苦手なお方に好評 ヤッタネ







プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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