にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村

有明の月 (ありあけのつき)

朝なのに、空に月が残っています。

         有明の月
 
8月27日 5時20分、見沼自然公園から撮った「有明の月」です。

このように、明け方まで残っている月は「残月」ともいいますが、

古典の世界では「ありあけの月」との呼び名が、時には意味をもって
使われています。

私にとって一番近い例ですと、『とはずがたり』に登場する、ある男性が「有明の月」という‘隠し名’で
登場し、「百人一首」の中には「ありあけの月」を詠んだ和歌が4首あるのです。

朝散歩、歩き出す前にカメラを空に向けたのは、仕事としての古典のことが頭をよぎったからかも知れませんね。
そろそろ、夏期休暇も終盤に入ってきました。

そういえば・・・数日前に、たまたま夜に「月」を撮っていました。
二階の戸を閉めようとしたら、月がとても綺麗だったので 撮してみたものです。

                 P8150009.jpg
撮影の日付を確かめてみたところ、25日ですので、これは満月でした。(新聞で確かめて分かったもの)


なるほど、「有明の月」とは、夜更けにのぼってきて、明け方まで空に残っている月を言い、
満月を過ぎたあとからの月を指しますので、27日の朝の月は紛れもない「有明の月」だと
判明した訳です。


古典の世界の暦は、月の満ち欠けをもとにした太陰暦(陰暦)です。
現代の太陽暦(陽暦)と比べると、月日は約一ヶ月ぐらいずれています。

28日の今日は、旧暦ですと7月20日になります。
そして、季語の季節感でも馴染みのように 7月~9月はもう「秋」なのですが、

う~ それにしても、暑い・・ですネ。

せめてもと、まずは見沼自然公園の池を一周、池の水連を鑑賞して目で涼み
それから「東縁ヘルシーロード」を歩くことにしました。

自然公園の睡蓮    睡蓮一輪

水連は 朝陽が差すと 開花しはじめます。有明の月の下に咲く水連です。


よぎりゆく 見ゆ・・・

見沼でみつけた“お散歩コース”、もう5~6箇所にもなりましょうか。
その日の予定や時間帯、天候などによって「今日歩くコース」を決めています。

早朝、実質30分~40分の間ですが、木々の緑や草花を見て歩くことだけではなく
‘見沼たんぼ’で 様々な鳥の姿や囀りを聞くことが出来るのは
私たちにとって最高の癒しの時間帯にもなっています。

ヨシキリ平(第一調節池)コース(勝手に・・つけた名)は、最近工事が再開されているようで、
立ち入り禁止の札が下がっていたため、 中には入らないで 周辺を歩くことになりました。

ヨシキリ平2

土手の上でなくては 葦原も池も全く見えないから、空を見上げたときに・・・見えたのが

   ヨシキリ平3・白鷺の過ぎり行く

「あれは、何・・鳩じゃないし、鴨? いや、もっと優雅に飛んでるわね・・」

 と言う私に、すかさず 連れ合いが、

「あれは、‘よぎりゆく見ゆ’だよ。でも、群れて飛ぶの見るの初めてだね」と、撮った
写真です。


‘よぎりゆく見ゆ’とは-何のことでしょうか。実は白鷺のことを指しているのです。

シラサギやアオサギの姿をよく見かけるのですが、特に白鷺を見るたびに

「おっ、‘よぎりゆく見ゆ’だ!」と言うようになったのは

私の母の歌から始まったものです。



昔 私の母が短歌会(アララギ)に入会して歌を始めた頃だったと思いますが、

恥ずかしそうに、でも見て欲しくて出してきた歌がありまして、

それを見せられた夫がえらく感心し、気に入った歌らしくて、

それ以来、その歌を持ち出しては話題にしているうちに、私達の間では

白鷺=よぎりゆく見ゆ となっていたのです。


その歌を、久しぶりに亡き母の歌集『ひとりたび』(私の手作りですが)から
探し出してみました。

42 朝日さす 刈田の果ての 山の辺(べ)を 白鷺群れて よぎり行く見ゆ

故郷の山や川、田園風景が当時のままに浮かんできます。

私も、あのころの母の年齢に追いつき、追い越そうとしているのだということに気づき、

久しぶりに母の残した多くの歌を読み返してみました。

しみじみと懐かしむ思いと同時に、一人の女性としての生き方を垣間見るような思いも
します。

この世を 白鷺一羽 よぎりゆく 見ゆ ですね。 そしてわたしも・・・・




食文化3 - イタリア編 ー

イタリアの料理は日本人にとって馴染みがあり、日本では中華料理店に次いで
お店も多いように思います。

スパゲテイやピザ類だけでなく、イタリアンレストランに出掛けてコースでお食事
という機会も多いので、イタリアに行くという息子夫妻には

「出来ればね、日本で食べるのとちょっと違うような様子が知りたいわ」と伝えたところ、
このような写真とパスタやワインをおみやげに、イタリアの食文化(の一部)の解説をして
くれました。 


- ちょっと、のぞき見イタリアの食文化編  - (さらにその一部ですが)

  IMG_0124.jpg   IMG_0128.jpg 
  イタリアのパン屋さん      ブルスケッタはトーストにガーリックをすり込んで
                     チーズやトマトを乗せてある


IMGP0153.jpg   IMG_0244.jpg
フィレンツェの市場、チーズ屋さん      カルボナーラはローマ発祥と言われている

   IMG_0074.jpg    IMG_0203.jpg
 かき氷を溶かしたようなグラニータも人気   オレンジジュースと・・・

イタリアでは日本のようにたくさんのスターバックスを見かけることはなく、
そこかしこにパールがあって、立ったままマキアートやジュースをパンと共に
さっといただく 
のだそうです。

IMG_0065.jpg     IMGP0160.jpg
フィレンツェの市場でランチを注文する人達   フィレンツェは内陸部、お肉や
                             内臓をトマトで煮たトリッパを食べる 


うわ~  へぇ~  そうなの♪ それどんな味したの?美味しかった?


と、聞くことができたので、後日私にも出来そうな料理を再現してみました。

まずは、お土産のパスタです。
ぱすた これで→  イカスミスパゲテイ

他には、こんな具合に・・・

         P8090008.jpg なりました。


 魚のフリット フリットは→ P8090002.jpg 魚は「ワカサギのようなもの」だったということなので、シシャモで作ってみました。
塩こしょうをして、強力粉をつけて、少なめのオリーブオイルで揚げました。
唐揚げですものね、美味しいです。えびや貝も加えて次には豪華版にしましょう。

トリッパ(ハチス)は、味付けや食材によっていろいろアレンジできそうです。

11時過ぎ、とりあえずお昼には‘パン’が食べたくなりました。
日本のパン屋さんも、イタリアに負けず 色々なパンが並ぶようになってますものね。

買い物に行ってきま~す。 


イタリアの写真をスライドショーにしました。こちらをクリックして下さい。→ ここを

(開きましたら、右下の <全面画面表示> をクリックしていただけると、画面が大きくなります。)

食文化 その2 - 見沼編 -

今朝はこちら、比較的涼しい朝でした。

野菜庫の中もガサッとしてきたことだし、近くの農協直売所を覗いてみると、

おおー出てましたね、冬瓜を始めとする各種 瓜類が・・・その中に、新顔が・・・。

    冬瓜   うり

     冬瓜(とうがん)                   ???

瓜(うり)は、山上憶良の歌(万葉集)にあるように、昔から食べられていました。
冬瓜は平安時代からのようです。 縞模様のある もう一方は、初めて見る瓜でした。
冬瓜の三分の一ほどの大きさです。

「これ、なんて言うんですか?」
直売所の人は、首をかしげています。

「コウセキメロンの形ですよね。メロンの類?甘いのかしら・・・」
「そう、甘いよ。でもメロンほどかどうか・・・料理して食べてもいいらしいけど・・」

と、曖昧な返事です。とにかく、何という瓜なのか、どのようにして食べると良いのか
知りたくて、色々聞いてみるのですが、今一つはっきりしない。

地元の野菜を農家の方が直接運んでくるのですが、どうも、これは見沼でも新種のようです。

野菜を選んでいたお客さんが振り向いて、
「それ、うちの方では、スイカウリって言ったわよ。私、福島の会津なんだけど・・」と、
食べ方も教えて下さいました。

「私はね、茄子と茗荷と一緒に炒めて食べるの、味付けは醤油だけど、ダシを使うわ」
「へー、そうなんですか。野菜として使うんですね」
「そのまま食べても美味しいけれどね。炒める時は何入れてもいいんだろうけれど、
 茗荷ね。これを入れるとグーよ」ということです。


私にとって珍しい食材との出会いは、料理する意欲も刺激されるようです。
他にも、夏野菜を買い込んで、買い出しおばさんよろしく、汗をかきかき、
えっちら、おっちらの帰還です。

そこで、今夜は、見沼の野菜を中心にした食事と 相成った次第です。

    和食

午前中は良かったのに、お昼頃から暑くて、30度越した!

御飯は、葉生姜 葉生姜(谷中生姜)をたっぷり入れた「谷中ごはん」にしました。

サンマは高騰しているので、脂ののったいわしを使います。
 いわしの梅煮 梅干し(大)を2個に葱と根生姜を入れて「いわしの梅煮

茄子は「焼き茄子」にして、さっぱりと食べることにしました。他にも使うので。
 茄子焼き 直接 火の上に置いて、二、三度返してやれば、直ぐ出来上がります。
                焼き上がったら、水で手を時々冷やしながら皮をむいて、食べやすいように
                包丁を入れただけ。

肝心の「スイカウリ」(と聞いた)の料理は、教えていただいた通りにやってみました。
‘かつをだし’にして、最後の仕上げにごま油を垂らしました。いり胡麻もかけてみたのですが、

珍しさもあってか、とても好評でした 

ウン、これ癖になりそうですねエ~、料理法も色々試せそうです。


この猛暑続きで、野菜が打撃を受けています。ところが、枝豆だけはこの暑さがいいらしくて、
今年は三割増しの出来高だそうです。山のように積まれて売られていました。一束200円、
実もふっくらとして、美味しいです。

スローフードとでも言いましょうか、ヘルシーな食卓になりますが、見沼の野菜は今注目されているのです。
武蔵浦和に出来た“ヘルシーカフェのら”も「見沼の野菜」を使っていることを看板に揚げてます。

地産地消をうたい文句にして、野菜料理に挑戦するのも楽しいものですね。

ちなみに、この「スイカウリ」の名は調べてもどこにもないので、ネットの知恵袋に、質問で出して
みたところ、今、回答が一つ入りました。
マクワ瓜(トラマクワ)ではないかということです。

また、私にとっては馴染みのある「コウセキウリ(メロンとも)」の名は一件、岐阜の農家のホームページ
にのみ ありました。地域によって違う名があって、土地土地の食べ方があるのでしょうね。コウセキ瓜


今日は私にとっての「知っ得、納っ得」編でした。

食文化 その1  - フィンランド編 -

猛暑日には、「家の中で楽しむのが一番」と、‘おままごと’気分でお料理を・・・

出来上がり

こうして見れば、特に変わった料理は見あたりませんよね。でも、実はこの中に2品、
家にある(在庫の)食材で作ってみた「フィンランドの料理」が入っています。

8月上旬、イタリアからフィンランドに旅行した息子夫妻に、
「おみやげは、そこで食べた物や、食材を売っているところの写真を撮ってきて」とたのみました。


以下がフィンランドでの写真です。

  魚を売るおばさん 
  魚介類が豊富なフィンランド、市場のすぐ脇にはボートのまま魚を売るおばさんの姿。

  トナカイのお肉料理   ミートボールとマッシュドポテト
フィンランドといえば、トナカイのお肉料理。   ミートボールとマッシュポテトの組み合わせも多い。



携帯iphoneで沢山の写真を繰りながら、説明や色んな話を聞かせてもらって、
後日メールで送られてきた写真には 解説が添付されていたので、それを見ながら
「料理」を楽しんだという訳です。

で、まず函館から送ってもらった魚を使って、
魚1 → 魚出来た
 

次には、完全無農薬で本格的に野菜作りを始めた 知り合いの社長からいただいたジャガイモ、
まだ残っていたので、
ポテト1P8080007

まず、茹でた。
余談になりますが、その際、タマネギやキャベツもいただいたのですが、キャベツがなんとも美味しくて、
千切りで好評、すぐ無くなる勢いでした。

まっしゅ   私のマッシュポテトとミートボール
  
まだ熱いうちに潰し、少量の砂糖と食酢を入れ、マヨネーズもここに加えて混ぜ合わせます。

ミートボールは豚肉でつくったものです。

エプロン おみやげの marimekkoのエプロン、
               これでFinland cookingというこのに。 




夏の暑さにも負けず 咲く花

予報では、今日の気温は36度。それで(-2)と付いていたから、きのうは38度
風もないので、朝からもう暑くて‘クーラー頼り’の一日でした。

そんな中でも、よく見ると、シャンとして咲いている花が・・・。

    カラスウリの花    屁屎カズラ
     ①烏瓜(からすうり)の花              ②屁屎葛(へくそかづら)

①日没後から開花します。この写真は朝7時頃なので、綿のように丸まっています。白色で5弁の
 やや後部に反り返る花弁は、縁部が白く細いひも状になって伸び、レース状に広がっていきます。

 秋には手のひらに乗せて、握れる程の大きさで、楕円形の真っ赤な実になります。瓜の形からこの
 名がついたのでしょうね。

 面白いのは、その実の中の種の形です。
 カラスウリの別名は「玉章(たまずさ)」ですが、それは実の中にできる種が 昔の結び文(玉章)の
 形をしているところから付いた名前だそうです。 

 結び文にした手紙は 形式張った便りではなく、簡単な便りの場合の形です。恋文もこの形、また、
 良い便りほど早く知らせたいから簡略形の‘結び文’にして届けたのではないでしょうか。
 カラスウリの花言葉が「よき便り」というのは、別名「玉章(たまずさ)」からつけられたのかも。


②こんな可憐な花に、この名前はひどいと思いませんか。
 「この花、すごく臭いからなのよ」と、花に詳しい義母が教えてくれました。

 私は、子供の頃この花を摘んでは「おままごと」に使っていました。小さなラッパ状の花の、花弁の
 方を鼻の先にちょんとくっつけては、互いに顔を見合って笑い、遊んだものですが、匂いが気になった
 ことって なかったですけどね。

 万葉集にもクソカズラ(屎葛)の名で詠まれていました。「高宮の王の数種の物を詠める歌二首」のうちの、
  
 3855 かはら莢(ふち)に延(は)ひおおどれる屎葛(くそかずら)絶ゆることなく宮仕えせむ

 (クソカズラの蔓のように長く宮仕えをしよう)との歌意で決して悪い意味では使われいるのではありません。

 それにしても、この名はヒドイと思いませんか? 別名はヤイトバナ・サオトメバナ。

 この花見かけたら、別名で呼んでやって下さい。
  
(ところが、強烈な印象の方が・・・なぜか、忘れないんですよね~ぇ)

    

女流歌人-河野裕子さんのこと

        塩辛トンボ雄

8月13日の早朝に撮った、塩辛蜻蛉です。これは雄ですね。


迎え火、盆提灯、御霊御膳、精霊送り、・・・今年のお盆も終わりました。

娘は出勤、息子夫妻も帰って行って、普通の暑い夏の日に戻りました。

この間、私の心の中ではもう一つの精霊送りが続いています。


それは、13日の朝刊のある記事を読んだことから始まりました。

  「河野裕子さん(かわの・ゆうこ、本名永田裕子=ながた・ゆうこ=歌人)12日午後8時7分、
   乳がんのため京都市の自宅で死去、64歳。・・・」

思わず「えッ、 ぇ~ 」と声を出してしまいました。
だって、今年の 歌会始 の放映で、お姿を拝見し、
(ああ、お元気で御活躍なんだ。よかった!)と確認したんですもの。癌だと発表されてから、
「NHK歌壇」の選者や、講評者として活躍されるお姿を見なくなってもう10年になります。

今年の正月、たまたま録画した選者としての映像をビデオから探し出して見ました。

「そんな・・・、この時は、再発していたのですね」

河野裕子 お隣には夫君で歌人の永田和宏(かずひろ)氏のお顔がありました。

同じく選者ですが、「選者の御歌」は裕子さんの

白梅に 光さし添ひ すぎゆきし 歳月の中にも 咲ける白梅  でした。

「庭の白梅に 来し方 行く末の思いをめぐらして詠む」と、詞書のような解説が入っています。

現代女流歌人の河野裕子さんは、みずみずしい恋愛歌人として出発し、出産、育児といった
女性性を題材に、肯定的で生命感あふれる歌を作ってきた人です。


たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか (『森のやうに獣のやうに』昭和47)

まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す (『ひるがほ』昭和51)

しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ (『ひるがほ』昭和51)

こんな短歌が、私の心に響いて 残りました。


50年間、短歌を詠んできましたが、短歌という詩型の奥行きと深さが少しは分かりかけてきたような気がします。5、7、5、7、7というたった31文字の世界ですが、鋭く深く人のこころに入ってくるのはなぜなんでしょうね。韻律が意味を越えて訴えてくるからなんでしょう。
 千数百年もの歴史を持つ詩型は世界でも類例を見ないと思います。どの新聞にも短歌や俳句の欄があって、誰でも投稿できますが、このような国民が皆詩人になれるということも、やはり世界中見渡しても無いのではないでしょうか。
 この頃、特に感じるのですが、日本語が軽く薄っぺらなものになってきたように思います。書きことばも話しことばも。それが読む力を弱めてしまっているのではないか。短歌のような定型詩では、文語を使い、てにをは、つまり助詞や助動詞をたいせつにして作ります。そして、てにをはを丁寧に読めなければ歌は読めないところがあります。


こんな言葉が残っていて(「立命館大学の公開講座」より)

 若やかな乳房とともに喪ひし時間はまたの生を生き来し時間

 最新歌集『葦舟』の中から引いてみました。病気にならなかったなら、わたしにはまた違った時間や人生があっただろうという思い。一度きりの人生、最後まで歌を作り続けることができればと思っております。


と結ばれていました。

合掌



浦和のうなぎ

お盆休みに息子夫妻がやってきました。
昼食は浦和へ、鰻を食べに行こうということになって、
久し降りにみんな揃って繰り出しました。

          山崎屋

息子の連れ合いであるチーちゃんは奈良出身で、これまで あまり鰻を食べることはなかったそうです。
関西では鱧(はも)を食べることが多く、スーパーでも普通に置いているとか。

「浦和に来たらやはり鰻でしょう」ということで、初回は「銀座大和田」の出前で鰻を食べてもらって、
「浦和の鰻は美味しいですね」、「でしょ!」ということになりました。

でも、チーちゃんのお姉さんの場合は鰻がダメだそうで、埼玉育ちの うちの娘も好きな方ではないので、
「鰻」につき合う時には決まって「白焼き」を注文しています。

「白焼き」はワサビに醤油がついてくるのですが、これに少し酢を垂らすと、ほどよいさっぱり感があって
美味しいですね。、もっとも、鰻が好物の私にはどのような食べ方をしても美味しいのですが・・・。

「ひつまぶし」もいいですね。でも、ここ「鰻蒲焼き 山崎屋」の‘おしながき’にはありません。
「ひつまぶし」といえば川越にある「いちの屋」、わたしの場合はこのお店の味が‘お気に入り’です。

浦和の鰻といえば「満寿屋(ますや)」もよく知られているようで、
韓流有名タレントが食べに来たところをテレビでとり上げたとか・・・
「浦和の鰻」というと、この店を尋ねられることが多くなりました。

鰻屋では鯉の料理を置くことが多いですね、川魚料理ですから。
「鯉のあらい」は‘酢みそ’でいただきます。ここの‘酢みそ’は赤みそを使っているようで、
見た目はドロッとした感じの‘たまり’のようでしたが、食べてみると味噌味です。
マイルドな味でこれがよく合っています。


浦和は日本の中でうなぎの消費量が一番と言われるほど、うなぎの名店が多い町です。

川や沼地が多くうなぎの生息に適している土地がら からでしたが、
江戸時代、そのたくさん獲れるうなぎを中山道を行き交う人々に出して評判になったのが
浦和のうなぎの始まりです。

なるほど、「満寿屋」も「山崎屋」も旧中山道沿いにある。

生産地としての漁場が無数にあることと、宿場町という消費地と直結していたことが、
広く世に広まる上で大きな要因となったということです。

もう一山 越えなければいけないみたい

              稲と秋の気配

「暦の上では立秋を迎えましたが、いまだ残暑の厳しい毎日です」
の、挨拶文どおりの毎日です。 でも、しかし・・・確かに、暦の上の立秋の頃、あの雨の後から、
夜風が涼しいと感じる日がありまして、虫の音が聞こえるようになりましたね。(田舎だけ?)

早朝は特に歩きやすくなりました。約5000歩、8kmのコースでも
エルマーの息づかい 苦しくないようで、
帰り道へと方向転換した途端に、リードを引っ張るようにして先頭を歩きます。
目標は 「おうちへ帰るぞ 朝ご飯が待ってる らしい。

今朝の見沼たんぼでは、蝉と虫の声が一緒に聞こえてきました。桜並木と土手の草原からと・・・。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる (古今和歌集)
(秋が来たと目にははっきりと見えないけれども、風の音にはっと気づいたことだ)

旧暦の立秋に詠んだ、「秋の気づき」の和歌ですが、えっ・・新暦で、しかも地球の温暖化が心配される
現代なのに・・・・こんな和歌が思い浮かぶ・・風景です。

塩辛トンボ、羽黒トンボ、アカネ(今ごろのはナツアカネと言うらしい)トンボも飛んでましたよ。

でも、天気予報によれば、明日は又35度を超す猛暑日だとか・・・秋へはもう一山越えなければ辿り着けないようです。 昼間が暑い日は、夜になっても、翌朝も まだ暑いんですものね。  

歴史をたずねて-鎌倉将軍 頼朝の弟 範頼の館跡へ

武蔵の国であったここ埼玉には、中世の文学と歴史に名を残す人々の
館跡と伝わる所や、鎌倉街道を通って「いざ鎌倉」へと駆け参じた武将の
逸話伝承が残る所が多くみられます。

今回は、鎌倉幕府初代将軍 源頼朝の弟にあたる 源範頼(みなもとののりより)の
館跡を訪ねて、吉見町へ行ってきました。

吉見観音の名で親しまれてきた安楽寺です。

安楽寺(あんらくじ)は、埼玉県比企郡吉見町にある真言宗智山派の寺院。山号は岩殿山。
本尊は聖観音で、坂東三十三箇所第11番札所です。

この寺は、奈良時代の僧行基が聖観音像を安置したのに始まるとされ、平安時代初期の武将
坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられます。

その後、源頼朝の弟源範頼が本堂、三重塔を建立したとされますが、兵火によりすべてが焼失しました。
現在の本堂は今から約320年前の江戸時代、寛文元(1661)年に再建されたものです。

        本堂
             岩殿山安楽寺の本堂   

         三重の塔1
              安楽寺三重の塔

実は、案内図を頼りに「安楽寺」を探したのですが、道路からの案内標示がなくて、なかなかたどり着く
ことが出来ませんでした。

もう、20年程前になるでしょうか、子供たちも一緒だったと記憶しているのですが、
「八丁湖」の周辺を歩いたり、「ぽんぽん山」に登って下に広がる田畑を眺めたり、
散策を楽しんだ(のは大人だけで、子供はいつも連れ回された)ことがありました。

今日は、八丁湖に出てから、そこに掲げられた案内版を見ても、どう行けばよいのかよく分からず、
方向に検討をつけ、車がすれ違うのも難しいような細い車道を辿って山門横に出ることができました。

山門 「安楽寺」って、「吉見観音」だったんだ 

駐車場を探してから、改めて参道を登ることに・・・。厄除けだんご厄除けだんごだ~

あうん1    あうん2  阿・吽の金剛力士二体。
                              造立は元禄15年。平成8~10年に解体修理

現存する三重塔は、江戸時代前期、杲鏡(こうきょう)によって再建されたものです。
                       三重の塔2

 総高約24.3m方三間の三重塔では基壇は設けられず、心柱は初重天井上の梁で支えられています。
屋根は柿葺だったのですが、現在は銅板葺に改められています。

初重の面積は高さに比較して非常に大きく、また各重の面積の縮減も程よく、これに加え軒の出が
非常に深くなっていますので、塔全体にどっしりとした安定感を感じさせます。


もともとは、息障院(そくしょういん)が本坊でありこの寺の近くにあったというのですが、後 息障院は
この寺の南東へ約1kmのところへ移されたとありました。

この息障院(そくしょういん)がある一帯こそ、源範頼の居館跡と伝えられる
ところです。

さてさて、この場所が、簡単な案内版地図を見ても、どうしても分からない。車で移動する者への案内が
全くないのです。

行きつ、戻りつ、同じような所をぐるぐる回るばかり。道を尋ねようにも、人に全く出会わない。
八丁湖に戻ると、自転車に乗った方がいらしたので尋ねてみました。

教えられたように行ってみました。よく見ると、人の背丈ほどの高さで、柱状の道標が建てられて
各所の案内が矢印で示されています。

やっと辿り着いた息障院・伝範頼館跡(でんのりよりやかたあと)です。 

息障院1     息障院2
   岩殿山息障院 正面                 門より本堂を見る

源範頼は平治の乱後、岩殿山に逃げ比企氏の庇護によって成長しました。
頼朝が鎌倉で勢力を得た後も吉見に住んでいたと思われ、館を中心とするこの地を御所と呼ぶようになったと言われています。そして、現在も字名で残るのです。
 
範頼は遠江国蒲御厨かばのみくりや(浜松市)で生まれたことから蒲冠者(かばのかじゃ)とも言われました。

頼朝・義経の生涯が良く知られていることに対して、不明なことや謎とされていることが多い人です。

源平の合戦では義経と共に平氏追討軍を指揮していましたが、頼朝が征夷大将軍になると謀反の疑いをかけられ、建久四年(1193年)八月に伊豆に流されます。範頼のその後については不明であり「修善寺で自刃」「現横浜市の太寧寺だいねいじで自刃」「伊予国(愛媛県)の河野氏を頼り、そこで没した」「北本市石戸宿で没した」などの諸説があります。

北本市には 蒲冠者(かばのかじゃ)ゆかりの蒲桜があり、春には沢山の花をつけて範頼ゆかりの地であることを今に伝えています。

 
現在の息障院がこの地に移ったのは、室町時代の明徳年間と伝えられるのですが、今なおこの寺の周囲
には、範頼の館建立時に作られた堀の一部等が残っています。

古典文学ですと『平家物語』『源平盛衰記』に、また『吾妻鏡』などでその名をみることが出来る
源範頼ですが、異母弟 源義経(よしつね)同様 、兄頼朝によって亡き者にされたと言っても過言
ではないでしょう。

最後に立ち寄った 日帰り入浴「御所の湯」(フレンドシップハイツよしみ)で一緒になった女性に
吉見の地産地消のお話や、田舎暮らしをエンジョイしている外国の人たちのお話を聞いたりと、

今日は私にとって 実りある、楽しい一日となりました。 

  参考までに、受付にあった地図を載せておきます。

     御所周辺地図








あずま屋のご隠居

今朝は、もう3時頃から雨音が聞こえた。
やれやれ、これで、今日の“花の水やり”はお休みできそうだ。
うん? ということは、早朝散歩も、今日は、お・や・す・み・・・かな。

5時になって、雨足は幾分弱くはなったけれど、
シッポを振ってやってきたエルマーに、
「エル、今日はお散歩、できないね~」と抱き上げて外を見せた。

連日の猛暑も、これで少しはおさまるだろう。ちょっと、ほっとする気分でもある。

見沼の散歩コースも、朝5時半になると、もう朝日が差す場所は暑くなってくる。
そこで、最近は桜並木が陰をつくる西縁用水沿いを駅方向に向かい、
明けの星のグランドをぐるりと廻り、桜の老木の下の道を歩くことが多くなった。

歩き初めから5分程行くと、左手道沿いに休息所がある。
そこに、決まって一匹の猫が休んでいることに気づいた。

      見沼の猫

黙って通れば、猫もそのまま動かずにいて、
前を通っても、エルマーは何の反応も示さない。

ある日、すれ違った女性が、通りがかりに猫に近づきながら手をかざして声をかけると、
猫は顔を上げて「みゃぁ~ご~」、挨拶を返した。

一瞬のことだったけれど、初めて聞く猫の声と、その落ち着いた仕草に
些か驚き、関心を持つようになった。

野良猫かしら。それにしては毛並みも綺麗だし、痩せてもいないし、
飼い猫だとしたら、どうして毎朝こんな時間からここに居るのだろうか。
ここを歩く朝は、いつもこの猫ちゃんがいるかどうか、気になっている。

その日も、「あぁ、いたいた」と思ってカメラを向けると、
顔を上げて「みゃぁ~ご~」と一言、そして、またもとのスタイルに。

何とまあ落ち着いた振舞いでしょう。そんなに年ではないようだけれど、

この猫を“あずま屋のご隠居”と呼ぶことにした。


この雨を見せながら
「あずま屋のご隠居はどうしてるかしらね」とエルに話しかけたが、
エルはやはり無関心、犬のくせに猫のようなしぐさで身体をすり寄せてきた。



雨も小降りになったので、今日はイオンまで買い物に行くことにする。

幾つか買う物を探しながらお店を巡ると、散歩の歩数を稼ぐことが出来て一石二鳥かも。

いつも「くるみパン」を買うお店でみつけたドイツの伝統菓子「クラップフェン」。

      クラップフェン
      ノルトライン地方でよくつくられ、シュー皮のような生地にレーズン・フルーツを
      練り込んでドーナツのように揚げて作る。

サータ・アンダギーと同じ形だけれど、中はカステラのように柔らかく、もう少し
弾力があって、甘さ控えめで、 これもまた「お気に入り」に加えたいお菓子(パン?)だった。




ジュンベリー物語

ジュンベリーの木が、我が家の庭に植えられたのは、

もう、かれこれ5年ほど前になるでしょうか。

大人の背丈を越すほどの高さで、幹も片手で握れる程の太さでした。


毎年、桜の花の頃になると、真っ白な純白の花を咲かせて、
前を通る人の目に留まるようになりました。

                                ジュンベリーの花


めずらしいからでしょうか、時々、「これ、何という木なんですか?」と聞かれたものです。

「ジュンベリーっていうんですよ」
答える度に、可愛い少女の名を言うような気がします。


花も終わると、そこに小さな実をつけました。
その実は少しずつ、少しずつふくらんで、小指の先ほどの大きさになって、

6月初旬には、もうこんなに赤くなっていました。

       ジュンベリーの実

もう少し、赤色に深みが出るころになると、どこからか鳥たちがやって来て、

盛んに実を啄み始めます。まぁ、これが、食べ頃になったという合図ですね。



      ジュンベリー収穫 7月1日、ジュンベリーの実の収穫です。

これを、近年はもっぱらサワードリンクに・・我が家の健康飲料になっているのです。

1酢漬けジュンベリー        ジュンベリーサワードリンク

   りんご酢と氷砂糖で漬けた。      2週間後の状態。


そして、10日後には、こんなサワードリンクが出来上がります。

           ジュンベリーのドリンク



根昆布を入れて冷やした水で、5倍ほどに割っています。

一段と暑さの厳しい今年の夏も、
きっと、強い味方になってくれることでしょう。  








空ってこんなに広かったんだ!

 
白い雲も時折浮かんではいたけれど、今日の空は青かった!

青い空

でも、これは家の前に出て、カメラを真上に向けて撮った写真です。

7月20日、夏休みに入ってから、こんな青い空を見ると、
「あー、きっとすごかったんだろうな。素晴らしい経験だったんだ」と
思わずにはいられない一言を、思い出します。

「青い空がどこまでもどこまでも広がっていて、

  空ってこんなに広かったかしらと・・・、驚いた~!」

ミッドナイト音楽祭(おみやげのポストカードをスキャンしたもの)

その空というのは、ウィーンのシュエーンプルン宮殿の上に広がる空のことのようです。

獨協埼玉吹奏楽部の部員120名がオーストリア・シュラートミンクで開かれた

ヨーロッパ有数の音楽祭、「ミッドヨーロッパ音楽祭」で演奏してきました。



音楽祭主催者からの招待を受けて渡欧、
オープニングなど計4回、約5時間の演奏予定でした。


13日に成田空港からルフトハンザ機で出発。ミュンヘンからバスでシュラートミンクへ。

14日午後に同音楽祭オープニング、夕方の屋外演奏など、曲はモーツァルトのメドレーや、

アニメ「ハウルの動く城」のテーマなどだったと聞いています。


演奏は素晴らしかったようで、拍手や歓声、ブラボーの声を一杯受けて、
最後には、シュエーンブルン宮殿の中庭で演奏をすることになったというのです。


その日に向けての練習、準備、緊張、プレッシャー・・・諸々の困難も乗り越えての
渡欧、そして、その感動を

どこまでも広がる宮殿の空をいう言葉が代弁しているように、私には思えるのです。

18日に帰国した部員の報告とお土産です。おみやげ

成功、おめでとう!そして、ご苦労様でした。


緑の稲田に案山子が・・・

                            見沼田んぼの案山子

         早朝散歩。見沼自然公園の駐車場に車を止めて、今日は公園とは反対側になる
         緑のヘルシーロードを歩きました。見沼用水に沿って桜並木の下を歩くコースです。
      
         左手は稲田が広がって視界が開けます。霞んだ田んぼの真ん中に並ぶのは、

                 P7250008.jpg

         案山子たちです。二箇所に、列をつくって並んでいます。
         恐らく、「案山子コンクール」の作品でしょう。


         田んぼに案山子は付きものではあるのですが、
         唱歌「山田の案山子」の作詞家が、こちらの出身であることも関係するのでは
         ないでしょうか。

氷川公園の案山子像こちらは、「氷川公園」の案山子像です。


         唱歌「案山子」の作詞者武笠三は、見沼田んぼに立つ案山子を思い浮かべて
         この唱歌を作詞したといわれています。

         台座には、歌詞とともに、唱歌「案山子」発祥の地と書かれています。


             文部省唱歌  案山子     

     作詞 武笠三
     作曲 山田源一郎

一、
  山田の中の一本足の案山子、
  天氣のよいのに蓑笠着けて、
  朝から晩までただ立ちどほし
  歩けないのか、山田の案山子。
二、
  山田の中の一本足の案山子、
  弓矢で威して力んで居れど、
  山では烏がかあかと笑ふ
  耳が無いのか、山田の案山子。         旧仮名遣いの箇所。

   

お久しぶり~高峯高原のお花たち

長野県の小諸インターから車で20分ほど北へ向かう山道を走ると
高峯山登山道入り口の車坂峠に着きます。

この標高2,000mの高原地帯は山野草、花の宝庫です。

案内板

ここを訪れたのは、何年ぶりでしょう。
この山の麓に、獨協の宿泊施設があるので、その寮を利用する時には、
小諸の街、懐古園だけでなく、ここから足を延ばして上田の方面へ

そして、夏になると、高峯山、池の平、湯の丸峠へ沢山の花に逢いにやって来たものです。

一昨年の夏には久しぶりに「高峯高原へ行こう」と計画したのですが、
浅間山の噴火騒ぎで、どうするか迷ってしまいました。

佐久まで来て、煙を上げる浅間山をみたら、
「今年でなくても・・・ね」ということで、
安曇野に行き先を変えてしまったのです。

さて、何年ぶりかしらと指を折ってみたのですが、
かれこれ・・・もう、エッ10年以上?
年をとる程、年月の過ぎる感覚が・・鈍るようです。


寮の方は相変わらずで、必要に応じて部分修理をしているだけだとか、

看板  日新寮

そのまま、変わりはなくて、
10年くらいなら、まあ建物に変わりがないのは当たり前かも知れませんね。

でも、「おじさん、おばさん」とお呼びしている管理人のご夫妻が
全くお変わりになっていなかったので・・・、

それで、峠に着いた時に改めて久しぶりだったことに驚いた訳です。


峠では案内板は勿論、ビジターセンターなどが新たに建っています。
「池の平」方面へはシャトルバスに乗り換えて、各の車は入れないようになっていました。

8月に入って、花は咲いてはいましたが、立ち入りを禁止するロープが至るところに
張られています。

入らないで  ヤナギラン ヤナギランが多かったと記憶しているのですが、随分少なくなっているようです。花の体系が変わってきているようで、

車を入れない、人が歩く道も厳重に注意しているというのは、やはり
後追いになってしまった対策なのでしょう。

高峯山は花の百名山としてテレビにも取り上げられて、
池の平への道や駐車場は整備され、 
観光客が多くなっていると聞くようになってから、
十数年過ぎているようです。


高峯高原ホテルのレストランからの眺望は、

高峯高原レストランから
曇っていて、よく見えない。

本当ならば、峠からの展望はすばらしく、
眼下に千曲川、遠くは富士山、八ヶ岳、北アルプス を一望できます。

散策コースから撮れるお花たちをカメラに収めて連れて帰ることにしました。

ヤマハハコ2  ノハナショウブ  本ヒメシャジン  ウスユキソウ  ワレモコウ  ハクサンフウロ  ニッコウキスゲ  マルバダケブキ


1ヤマハハコ 2ノハナショウブ 3ヒメシャジン 4ミネウスユキソウ 5ワレモコウ
6ハクサンフウロ 7ニッコウキスゲ 8マルバダケブキ  

帰路は以前のように通称「千メーター道路」を通り、農産物直売所では
野菜や果物やトウモロコシなんぞも買い込んで、

追分にも寄りました。



日本近代文学をよく読む方、又 堀辰雄周辺の研究をなさっている方へ
情報です。

講座 第2回 8月7日(土) 演題:「母のおもいで」 講師:菊地和世先生

  堀辰雄文学記念館 にて  佐久郡軽井沢町大字追分662 TEL.FAX0267-45-2050

※作家堀辰雄の妻 堀多恵
 「追分の自然とともに過ごした日々の母堀多恵子を偲んで」  菊地和世 




休日の高速道は渋滞する線を避けて目的地を決めるようにしています。

夏になると、他の季節にはない常磐道に渋滞情報です。

関越道は珍しく渋滞がないようなので、こちら方面に決めたのですが、
帰りには事故渋滞が断続的にあって、一般道に降りようかと迷うくらいでした。

予定より遅れて、留守番のエルマーは、一人ばっちの夕食となりました。


*高峰高原のお花をスライドショーにしました。こちらから、どうぞご覧下さい。



プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

カレンダー
07 | 2010/08 | 09
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
私へのメールはこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
日本ブログ村 ランキング
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR