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氷川女体神社の名越祓え

7月31日 15:00~  名越祓え(なごしはらえ)大祓祭 

以前、氷川女体神社の鳥居の下に、大きな茅の輪が下がっているのを見たことがありました。
どのような神事があるのか、ここ数年気になっていました。

竜神祭のあとに、「名越祓え(なごしはらえ)大祓祭」のお知らせが掲示されていましたので、
今年こそは是非にお参りしたいと、カレンダーにメモをしておきました。


          ちのわ
          丁度、神事が始まる頃です。

          マコモで作った輪が吊られています。

1年に一度の心身健康、病気除災、長寿祈願の行事。人形を用水に流し、輪くぐりをします。



          移動  神事の始まり
 始りです。 先頭を行く人は、手に錫杖を持っています。これは修験者の持つ杖ですね。
 杖の上部についた数個の鐶(かん)が杖をつく度に鳴ります。厳粛な雰囲気になりました。
 宮司を誘導していく形で境内を迂回します。


          祝詞       名越旗


国家的儀礼としての大祓えは平安末期頃から衰えを見せ、中世になると、十一年も続いた
応仁の乱(1467)以後からは中絶していました。だだ、六月の大祓えのみ、朝廷の儀礼から
倣うかたちで民間に伝えられたのだということです。


名越祓え、夏越の祓え、水無月祓え、などと呼称はそれぞれですが、芽の輪くぐりの習俗
などをともなって各地に脈々と受け継がれてているようです。
この女体神社の名越祓えもその一つでしょう。

地方によっては暑熱悪疫を祓う夏祭りなどに転化しているところもあるということです。

もしも、江戸初期にタイムスリップしたならば・・・

緑区歴史交流会に参加しました。今回のテーマは「日光の歴史と御成街道」です。

日光山は平安期の勝道上人(しょうどうしょうにん)・補陀洛(ふだらく)開山に始まり、
中世に山岳信仰の霊山として発展しました。
これを背景に、日光は近世に入ると東照宮鎮座の聖地として栄えます。

日光への社参街道としての御成街道が、ここ緑区ですと「大門宿(だいもんじゅく)」に
歴史の跡を留めています。

見沼たんぼに残る数々の史跡も然る事ながら、その周辺の寺社には
おのおの言わずもがなの歴史を今に伝えていて、大いに興味をそそられています。

日光までの社参街道が整備されていく以前のことになるのですが、
徳川家康の庇護を受けた武田信玄の娘、見性院(けんしょういん)のお墓が

近くの清泰寺にあることを改めて思い出しました。来年のNHK大河ドラマは「江 ~姫たちの戦国~」とか、
とすれば、この見性院と称する女性も登場するのではないでしょうか。

            清泰寺
            清泰寺です。昨年の5月に撮ったものですので、境内にツツジが
            咲いています。 駐車場あります。


お寺の看板資料を参考に見性院という女性の生涯を簡単にまとめてみました。

見性院は、武田信玄の二女で天文14(1545)年ないし15年に生まれました。
穴山梅雪(武田の武将)の妻になりますが、夫の死後、徳川家康の知遇を得て、
大牧村(現緑区大牧)を采地として与えられています。

徳川家康は、武田遺領を確保し、武田遺臣を保護して家臣団に加えた際に、
見性院もまた保護して江戸城北の丸に邸を与えました。そして、江戸幕府の2代将軍である
徳川秀忠が侍女のお静に生ませた子(幸松、保科正之)の養育に当たらせました。

また、嫉妬深い秀忠の正室「お江」の目を逃れて、お静はこの見沼のほとり大牧に来て
幸松丸を出産したとも伝わります。見性院の計らいであったことは言うまでもありません。

見性院が養育した2代将軍秀忠の子幸松丸(後の会津23万石の城主保科肥後守正之)は
3代将軍家光を補佐し幕政で活躍しました。

元和8(1622)年に見性院が没すると、保科肥後守正之は采地であったここ大牧村
清泰寺に霊廟をつくりました。

             見性院霊廟
               清泰寺にある見性院の墓

元禄期、保科正容のときに(会津)松平の姓と三つ葉葵の紋がゆるされました。

この霊廟の墓門には葵の紋が左右に配されています。

                                IMG_20100731062112.jpg                            (地図をクリックすると大きくなります。)



猛暑の中で・・・

猛暑続きの中でも、水の補給さえあれば植物の成長は盛んです。
ましてや雑草となると、たくましいもので

早朝散歩の時間は、日を置いて草引きの時間に変わり、
花の水やりも朝と晩と2回、鉢ものはそれでも干上がりそうです。

これだけ暑い日は、夕方になるとひと雨くるものですが、
最近はそれもありません。

もっとも、今夜から明日にかけて西のほうから雨になり、
相当の雨量が予想されるとか、それもまた被害を伴うほどの
豪雨とならないだろうかと心配になります。



環境教育の一環として、今年初めて試みられたオカワカメ緑のカーテンです。

獨協中高のオカワカメ
獨協埼玉中学棟の南面を、ワイヤーに添って、もう4階まで届いていました。

見た目も涼しそうなのですが、オカワカメは食用として今注目の野菜です。

ツルムラサキ科なので、葉の厚みなども同じようなのですが、あの独特の匂いは
感じません。茹でると、ワカメのような歯ごたえがあって、
料理では肉と相性が良いように感じます。美味しいと評判もよいですね。

さいたま市がこの植物の振興に力を入れていることを、ホームページで知りました。

詳細は、ここ(←クリック)からご覧下さい。


娘が休日に有機農法に取り組む「たかはた」(山形)へ出掛けたのですが、
農作業体験受け入れ農家から、農産物を頂いて帰ってきました。

キュウリ、オクラ、トマト、茄子など、今畑から採ってきたというような状態で
無造作に袋に詰めた野菜の他に、今年はこんなものをいただいてきたのですが、

うんなん百薬
あら、これは
オカワカメ
同じ、オカワカメでした。

娘が学生時代から、時々行くご家庭では「おじいちゃん」が中心になり
この「うんなん百薬」の普及に力を入れ始めておられるとか、

「なんかね、おじいちゃんとっても張り切っていて、益々元気になられていたワ」

ミネラルが豊富なオカワカメ、農家のおじいちゃんの
にも栄養を与えているようです。

エコとしてのオカワカメのカーテンや ビヨトープ、植林(果樹)など、
獨協埼玉中学高等学校の環境教育に力を入れ始めた夫と重ねて
思わず私は 娘の話に聞き入ってしまいました。

そのオカワカメ校長は、今、両親の様子を伺いに函館に行っています。

函館
メールで届いた写真。今頃、新鮮な魚貝を肴に一杯やっているところでしょう。

休み中もオカワカメが気になるので、登校するんだそうで、
「オカワカメ校長」って渾名つけられてもしかたないですね。

ピアノの詩人 F.ショパンの世界

 7月24(土)  獨協大学オープンカレッジ特別講座  に行きました。

             定員は500人で、先着順事前申込不要とあります。

             ショパンパンフレット

今年はショパン生誕200年です。あまりにも有名で、クラシック音楽には馴染みのない人でも
知っている音楽家ですが、今回のこの企画は、ショパンの曲を弾き歌い、解説するというもの、

CDで曲を聴いていても分からないこと、知らないことを知りたくて
ショパンの世界を楽しみたくて 出掛けました。

前日、日本学シンポジウムでご一緒したS先生が、
「13時開演とあるから、開場の12時に合わせて行かないと、一杯になりますよ」と。

「えー、そうかしら・・・」

半信半疑でしたが、神奈川から1時間半かけてやって来るというS先生の為にも
獨協大学により近い私が、念のために開場時間に行ってみました。

確かに、開場時間前にもう列が出来ていました!

席を確保しておいて正解でした。15分ほど前に開場を見回してみたところ、
もう満席のようでした。

すごいですね、ショパン人気は 

ショパンはフランス人の父とポーランド人の母との間に
ポーランドのワルシャワ近郊で生まれています。

故郷はワルシャワということで、今回の弾き歌いはポーランド語でしたが、
私には、ポーランド語もイタリア語も区別はつかず、雰囲気で

歌も演奏も楽しませていただきました。

実は、ご一緒したS先生は、昨年からポーランドのヤギェウォ大学に
日本の古典文学を担当する教官として赴任している若い女性教師です。
ワルシャワにもポーランド語にも精通し、そちらからのお話も聞くことができて、
私にとっては有意義な楽しい一日となりました。

ポーランドという国、気候風土、食べ物、そして200年前にこの地に生まれたショパン

色々な情報を得ることで、行ったことも見たこともない風景に包まれた気分で
ショパンの世界を楽しむことが出来ました。

             ショパンでぷりか
       ピアニスト憧れのショパン。その手は意外に大きくなかった。
       入り口に置かれていた「ショパン左手のデプリカ」です。

宗教文化をテーマにー日本学研究所の報告定例会

7月23日(金)

立教大学日本学研究所 国際シンポジウム
          朝鮮半島の文化と宗教

前期授業も補講期間も終わっている時期ですが、大学構内は人が多く往来し、活気にあふれていました。
種々の大会、研究会、交流会、発表会の会場となっているというようなこともあるのでしょうか。

私も、今日は所属する「立教大学日本学研究所」の国際シンポジュウム出席のため、

汗を拭き拭き、会場となる「太刀川記念館」に急ぎました。
余裕をもって家を出たはずなのに、なぜかいつも走るはめになってしまいます。

今日なぞは最悪!会場で席に着いてからも流れる汗は止まらず、
化粧なんてもうハゲハゲ状態でしょう・・・多分、クーラーの効きめも
あまりないようで、もうペットボトルから水分補給するしかありません。

本日のシンポジウムは、暮らしの中の信仰を東アジアの視座からとらえかえす試みの一環として、朝鮮半島の文化と宗教をテーマとするものでしたが、

       日本学




その中で特に

崔 廷瑁(チェ・ジョンソン)〈同徳女子大学講師〉さんによる「『三国遺事』の観音説話と文化的解釈」は
日本での観音信仰と、観音像の諸相をみていく上で大変参考になるものでした。

会終了後、親睦のための食事会(ということにしておきましょう、私めアルコール )で
聞いて、知った  「エー、そうなんですかぁ」話を、二つ


一つは、
日本での十二支(じゅうにし)は中国、韓国でも同じようにあるのですが、
亥の(猪・いのしし)だけが違うというもの。これが、豚だというのです。

初耳でした。年齢をはっきり言わないで「あなたは、何年?」

「さぁね、何年でしょう・・・。同じ年かもね」

「あ~豚だ!そうでしょう、ブタ、ブタ !」


てっきりふざけあっていると思った私に崔 廷瑁先生が

「本当に、豚年があるんですよ」

さらに、他の韓国の先生が、

「豚はトンという発音をもっていますから、韓国ではお金のトンと同音でもあるし、豚年生まれの人は幸せになれると言われているのです」と説明してくださいました。また、

日本では「ブタ」=「豚」、「イノシシ」=「猪」ですが、
中国では「ブタ」=「猪」、「イノシシ」=「野猪」です。

とのことでした。

二つめは、

奈良の薬師寺の僧侶という方で、今は某大学の大学院で研究をしているという方からのお話です。

観音様といえば、最近の話題として、浅草寺のご本尊、聖観音(しょうかんのん)について書きました。

で、『とはずがたり』に中世期の浅草寺周辺の記事があって、比較したのですが、ここで作者二条は浅草寺のご本尊を「十一面観音」と書いているのです。

どうして、こんな間違いがおこったのでしょう。朝鮮における宗教文化史でもそうですが、観音像は信仰者の願望を取り入れながら、その時代、場により姿を変えられ(変化・へんげ し)ておられます。

「どう、思われます?やはり、二条が間違えて書いたと思われますか。伝本、つまり書写の段階で変わったとも考えられますけど・・・」

「いやね、それはどうなんでしょう。ただね、薬師寺は聖観音さんですけど、光背に十一体の観音さんが書かれているんですよ」

「エー、そうなんですか?その観音さまが頭上にあれば・・・十一面観音ですよね」

         聖観音           十一面観音
   奈良 薬師寺の聖観音(サイトよりコピー)    十一面観音像(観光サイトのコピー)

〈浅草寺縁起〉によると、

推古天皇36年(628)3月18日、檜前(ひのくま)浜成・竹成兄弟が江戸浦(隅田川)で漁をしているとき、一躰の観音菩薩像をみつけ る。大化元年(645)勝海上人が訪れたとき、夢のお告げにより御本尊を秘仏と定め観音堂を建立した。

ということです。

観音様は、現世に於ける慈悲を標榜し、仏教の尊格の中で最も信仰を集めた菩薩です。
日本では法華経・普門品(観音経)に説かれる独尊、または浄土教系経典の言う
阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に来迎してくれる菩薩として信仰されています。

聖観音菩薩から変化した像として、十一面観音や千手観音など多く存在するのですが
起点は「観音経」「延命十句観音経」による聖観音の発展形型であり本来は同尊であると
考えられます。

十一面観音は、11の苦を佛果に変え絶大な功徳を表現した多面多臂で表される観音様ですから、
薬師寺の聖観音様のようなお姿は、十一面観音に発展する、もしくは同じお姿としてとらえられる
場合もあり、呼称にこだわらなかったのかな・・・とも。

今年は、平城遷都1300年にあたりますね。休みになったら、奈良の寺社仏閣を訪れたいと
思ってはいたのですが、・・・・この暑さではね。 

「暑い」というより、「熱い」がふさわしい日中です。

日中は燃えるような暑さですね。
午前中は、車での外出で、帰宅後は家からは出ないようにして、
クーラーの利いたスペースがまるで避難所のようです。

こんな日々には、朝早くから開くお店の買い物は助かります。

JA直売所には、夏野菜がいっぱい並んでいます。葉生姜もまだ出ていました。

            葉生姜

梅酢に漬けて常備しています。

はじかみしょうが はじかみしょうがです。

新生姜が盛んに出ていたころに、甘酢生姜を作ってみました。

新生姜       甘酢生姜

生姜は色々な料理に必要な食材です。

ショウガの原産地は熱帯アジアで、一説によれば日本には3世紀以前に渡来したといいます。
平安時代初期の辞書である「和名抄」には、ショウガが「くれのはじかみ」という名称で載っています。

ショウガを食べると、その辛さのために歯をかみしめることになるところから、
「はじかみ」と呼ばれていたということです。

ショウガの効能として、まず挙げられるのは、身体を温めて冷え症を改善すること。
昔から「風邪のひき始めにショウガ湯を飲む」ように、生姜は体温を高めて、
その発汗作用で解熱効果が期待できるからでしょう。


にもかかわらず、こんな暑い日には冷蔵庫で冷やした甘酢ショウガを出してきて食べたくなるのは
生姜の味に清涼感があり、香りと独特の辛みが反って食欲を増進させるからでしょうね。

生姜に含まれるジンゲロールには強い殺菌力があり、
昔から刺身の薬味にショウガの摺りおろしをそえたり、寿司にガリ(甘酢生姜)を添えるのは、
殺菌効果による食中毒の予防も期待できることが、経験的な知恵として知られ、伝えられてきたもの、

数々の食文化や伝統的な方法は理に適っているのですね。
ショウガには抗酸化作用もあるそうです。

魚介類や肉を使う料理にショウガを使うことで、脂質の酸化を防止できるのだそうですが、
当面の料理法として、生臭さを消して味を良くするから行ってきたのですけれど。


さらに、生姜は私達の体内で活性酸素を除去し、種々の疾病や老化防止に期待が持てるということです。

えっ老化防止ですか!

それならば、色々な方法で、ショウガを食べるといいですねぇ。
食べ過ぎに注意、子供に戻っちゃう~ なんてことあるわけないか。

ところで、安い時に大量にショウガを買って冷蔵庫の野菜庫に入れて置いても、
ビニールの袋に入れたままとか、ラップで覆ったままですと、表面に白い黴のようなものが
部分的に生えて、中味の色がくすんだような色になって傷んでいるということはありませんか。

いつか、義母に「ショウガを買ってきたら、まず袋から出し、新聞紙にくるんで
冷蔵庫に入れるように」とおしえられたのですが、この方法もくるみ方がザツなのでしょうか、

時間がたつと、なぜかショウガが年を取ったような状態に・・・表面は皺々、中は筋立って硬く、
全体が小さくなっていたりしています。


生姜は寒さが苦手、冷蔵庫には入れないほうがいいとも聞きます。冷蔵庫のような
寒い所では細胞が死に、乾燥しているのでひからびてしまうのだそうで、

「生姜を少し濡らした新聞紙かキッチンペーパーでくるんで、15℃前後の場所で保存する
のがベスト」とか、

でも、今のこの熱っつ熱つの夏には、我が家のどこに15℃前後を保つ場所があるというのでしょう。
やっぱり冷蔵庫の中しかありませんよね。    





萓草の花も、もう終盤に

連日の猛暑で、朝の散歩もままならない状況です。

でも、やはり出来れば続けたいと、朝5時過ぎに家を出て、
見沼代用水沿いの、桜並木で木陰になる小道を歩いています。

今日は、東縁の散歩コースまで移動するうちに暑くなってしまいそうだったので、
西縁の代用水沿いを、463号道路と代用水が交差する橋から、見沼女体神社の方向に歩きました。

平日なので、歩いている人は少ないのではないかと思ったのですが、
犬を散歩させる人、お一人で、ご夫婦一緒に、お仲間と歩いている人が多くいらっしゃいました。

若い人で、ランニングしている人にも結構出会ったりして、今朝はいつもより多いように思います。

そうですよね、この暑さでは6時過ぎたころにはもう日陰の幅も狭くなっていって、
気温が上昇していく今日の暑さが予想されるように、汗がにじんできました。

遅咲きだったブルーの紫陽花、もう満開のサルスベリ、ムクゲなどが色とりどりに咲き、
深い緑色に変わった木々と、見沼田んぼの野菜たちの間に顔を出しては色を添えています。

そんな自然の色彩と風から、活力を得て、一日の始まりです。

見沼田んぼの、特に代用水沿いや田畑の畔によく見られる植物に「萓草」があります。

夏の到来を告げる植物で、草加市に住んでいた頃には、わざわざここまで見にきたこともありました。

そのヤブカンゾウの花は、もう終盤を迎えて、枯れた花柄と後から開いた花を付けたままに林立して、
夏の盛りの到来を告げるような姿に変わっていました。

      P甘草の花

         これは3日前、福島県の白河に咲いていた萓草です。

夏の到来を告げる植物の一つである萓草は、英名をデイリー(day lily)というように一日花です。漢名の萓草(かんぞう)は、憂いを忘れる草という意味だそうです。万葉集にも歌われていますが、「忘れ草」と呼んでいたことが分かります。

3062 忘れ草 垣(かき)もしみみに植ゑたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ)なほ恋ひにけり
                                   <巻第十二
>
(忘れ草を垣根いっぱいに植えたけれど、馬鹿の馬鹿草め、いっそう恋しくなってしまったことだ)

「忘れ草」科ではあるのですが、所謂「忘れな草」という花と間違えないように「カンゾウ」の方の呼び名を使うようになったとか、

ノカンゾウ(一重咲き)とかニッコウキスゲとか、よく似た花が色々ありますよね。

見分け つきます 

芭蕉の足跡を辿る  その2

芭蕉の館

那須の黒羽という所を行く芭蕉と曾良の姿を求めるならば、「芭蕉の館」がお薦めです。

         芭蕉の館

那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越えにかかりて、直ぐ道をゆかむとす。やがて、雨が降り出して日がくれてしまった。そこで、農夫の家に一夜を借りて、夜が明けるとまた野原の中を歩き続けます。そこで、放し飼いの馬を見つけて、一頭の馬を借りることになりました。その馬に子どもが二人、馬のあとについて走ってきます。その一人である女の子に曾良が名を尋ねると、「かさねです」と答えました。

かさねとは 八重撫子の 名なるべし  曾良
(この女の子は、鄙では珍しく「かさね」という優雅な名前だが、よく子供をよく撫子にたとえるところから、「かさね」は重ねることとして、「かさね」ちゃんはきっと八重撫子の名なのであろう)

    芭蕉と曾良     かさねとは
    黒羽の野原を行く芭蕉と曾良            『奥の細道』碑




雲巌寺

      雲巌寺

当国雲岸寺(たうごくうんがんじ)のおくに仏頂和尚山居の跡有。 と、芭蕉は禅の師であるこの和尚の庵が山住みをした時の庵がここにあるとおっしゃっていたので、その跡を見ようとここに出掛けてきたといいます。

芭蕉は
人々すすむで共にいざなひ、若き人おほく、道の程打ちさわぎて、おぼえずかの麓に至る。
と、道中にぎやかにここへやってきて、寺への橋を渡って寺の惣門をくぐったのですが、もう夕方5時近くになっていたこともあって、静寂の中に厳かに、威厳あるたたずまいです。

さて、明日も休日だとはいえ、あまり遅くなってはエルマーが心配することでしょう。

急いで、帰ることにしました。

高速渋滞情報によると、上りは大変な渋滞で、今日は深夜まで続くだろうとのことでした。

こういう場合は一般道が大変すいているもので、結構すいすいと進んできて、

「道の駅」でちょっと、休憩です。

     温泉のある道の駅きつれがわ

「きれつがわ道の駅」 駐車場が随分混んでいます。人の出入りも多いようですが、店内はそれ程でもありません。 なんと、この「道の駅」には天然温泉があって  大人500円・小人300円ですって・・・安いね

最近「日帰り天然温泉」に凝っている私です。ちゃんと、入浴用具一式持ってきています。
(まだ、6時だし、エルマーの夕食は、セットしていてるし・・・)

「ダメだよ。風呂は入らないからね!」

何もまだ言ってないのに、見破られて牽制かけられた~~。

ちょっと、お店を見て、そとにで出ると、こんな碑がありました。

P7120078.jpg あめふり お月さま 雲のかげ お馬に揺られて濡れてゆく

野口雨情作詞 童謡「雨降りお月さん」の歌詞です。

雨情夫人の「ひろ」さんは、喜連川から北茨城の野口家に輿入れしたのだそうです。
あいにくの雨の日で、馬に乗ってびしょ濡れになり、2日もかかって到着、
野口家の門は馬に乗ったまま入ったということですよ。
明治37(1904)年11月だそうで、さぞ寒かったことでしょう。

これも、10年以上前になるかも知れませんが、
北茨城にある野口雨情の生家に行ったことがあるので、
この「出会い」に私はすっかり感動しました。

雨情生家 雨情の生家、野口家。この中で展示品を見ましたが、今は別に、博物館が出来ているようです。

雨降りお月さん この童謡 大好きです。

■ 雨降りお月さん
1)
雨降りお月さん 雲の蔭 お嫁にゆくときゃ 誰とゆく ひとりで傘(からかさ)

さしてゆく 傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく シャラ シャラ シャン シャン

鈴つけた お馬にゆられて 濡れてゆく

2)
いそがにゃお馬よ 夜が明ける 手綱の下から ちょいと見たりゃ お袖でお顔を

隠してる お袖は濡れても 干しゃ乾く 雨降りお月さん 雲の蔭 お馬にゆられて

濡れてゆく 1925 (大正14年)


顔もよく知らない人の所へ、家と家との釣り合いで、輿入れが決まってその家の嫁になる。

「そういうものだったんだよ」と、よく祖母が話していましたが、

この時代の女性って、忍耐強く、柔軟性をもって生きていったのでしょうね。
社会の慣習によって人の行き方や、価値観も変わるものなのですが、
「よくぞ、まぁ・・・」と思わずにはいられません。

この歌、子供心にも、哀愁を感じ、いとしさを覚えた歌でした。




新4号バイパスは車が少なくて、信号もほとんど影響ないので
走る、走る、渋滞情報を聞きながら、

「今日のような日は、こちらが高速道のようなものだね」

「そう、千円だっていらないタダだしね」

ということで、8時前に家に到着しました。    


再び芭蕉の足跡を辿ってみようと・・・

18日の日曜日のことです。

梅雨も明けて、猛暑になるとの予報でしたので那須高原の方にドライブがてら、
再び 芭蕉「奥の細道」ゆかりの地を訪ねることにしました。

今回は、「室の八島」から黒羽へ。「遊行柳」と大雄寺の近くにある「芭蕉の館」「雲巌寺」そして「白河の関跡」を目指します。

IMG_0002.jpg


実は、これらの場所は以前に2、3回訪れていて、写真も沢山撮っているはずなのですが、

「あれって、いつ頃だったかしら。一番近い時で、もう10年ぐらい前?」
「二人でも行ってるけど、子ども達が一緒だった時があるような。その前に一人で行ってるよなぁ~」

といった調子で、情けないかな鮮やかに甦る場面も確かにあり、互いに記憶が一致するところもあるのですが、

「えー、そうだったっけ?」と、定かでないところもあって、
「よし!行ってみよう」ということになりました。

こちら方面に出掛けることの多い夫は、何の案内書も持たずに車に乗って
「僕に、任せておきなさい」と強気だったのですが、

先ず最初の目的地「室の八島」がみつかりません。

「おかしいな、このあたりの神社の境内にあったんだよ。裏の駐車場に車を止めたよね」

栃木県の「小山」から「鹿沼」の間なのですが、道路もバイパスなど、新しくなっているところもあって、
あたりの景観も変わっているのでしょう。

ましてや「室の八島」は観光地としての扱いは出来ないと思います。だって、な~んにもないのですから。

「『奥の細道』に出てくるんだよ。有名な歌枕だよ。標示くらいあってもいいだろう!」
見つからなくてイライラし始めたドライバーに、

「ここ、近いから又の機会にしようよ。ちゃんと地図で探してからにしないと、時間なくなるわよ。写真は確か前に撮ったものがあるから」と提案。
途中で分かりやすい「栃木県道路地図」を買ったのですが、「室の八島」の記はないですね。

芭蕉が日光街道からはずれて三里の道を余分に歩いたのは、芭蕉が歌枕の地の巡礼を志したからです。
「むろのやしま」が歌枕(伝統的に和歌によく詠まれた土地や地名)になったのは室の八島明神に祀られた木花開耶姫(このはなさくやひめ)の神話によって、「煙立つ」の歌枕になったというものです。

木花開耶姫(このはなさくやひめ)は夫の天孫に懐妊のことを疑われたので、四方を壁で塗り固めた家にはいって火を放ち、本当に天孫の子ならば火にも焼けないだろうといって中でお産をしました。そうして生まれたのが彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)です。

和歌には沢山詠まれた歌枕の地ですが、遺跡のように形あるものが残っているわけではありません。芭蕉が室の八島では何も吟じなかったのは、もしかしたら場所としても期待はずれだったのかも知れませんね。少なくとも精神が高揚することはなかったと思われます。

鹿沼から東北自動車道に入ります。一気に白河まで行って「白河関所跡」→「遊行柳」→「殺生石」→「雲巌寺」

→「那須の黒ばね・芭蕉の館」 と、芭蕉の足跡を、逆コースで辿ります。

「白河関所跡」

白河関跡
中にも此関は三関の一にして、風さうの人、こころをとどむ。秋かぜを耳に残し、もみじを俤にして、青葉の梢猶あはれ也。
(数多い関の中でも、この関は三関の一つにあげられ、風雅に志す人々の関心が向けられている。能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白川の関」の歌の「秋風」の響きや、頼政の「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関」の歌の「紅葉」を思い浮かべながら、今は秋ではないから、青葉の梢を仰ぎ見るのだが、この青葉の梢のさまも、やはり深い趣がある)

白河神社境内の古関蹟碑
古関跡の碑
白河藩主松平定信が寛政十二年(1800年)八月、ここが白河関跡であることを断定し、建立した碑であるとの説明があります。

白河神社の中に几帳と御簾(みす)を見つけて、写真を撮らせていただいたのですが、

写真を撮ろうと
撮っている私の姿が映ってしまてダメでした。中には このような几帳と、み簾が並べられています。

几帳 み簾

御簾は、神社や仏閣などの高貴な場所に掛けられ、神聖な領域と俗界との結界を示すものです。
中まで入ろうとしたわけではないので、どうぞご無礼をお許し下さい。

          参拝の法
                参拝の法に従ってお許しを請いました。



「遊行柳」

  遊行柳(ゆぎょうやなぎ)とする柳の木の見える景色は、懐かしくて、しばし遠景を楽しみ、そして田の中の  畦道を歩いて柳の木の下の碑のあるところに行ってみました。

   柳遠景

又、清水流るるの柳は、芦野の里にありて、田の畔にのこる。此所の郡守戸部某の、「此の柳見せばや」など、折々にのたまひきこえ給ふを、「いづくのほどにや」とおもひしを、けふこの柳のかげにこそ立寄侍りつれ。

田一枚 植えて立ち去る 柳かな

(これが西行の立ち寄った柳かと、感慨にふけっていると、目の前の田では人々が田植えに励み、私がぼんやり感慨にふけっている間に、いつの間にか一枚の田を植えて立ち去ってしまった。私もまた物思いから覚めて現実にもどり、柳の陰を立ち去ったことである)


             雨蛙を二匹見つけて下さい。

              柳に蛙

あぜ道にも、ここにも小さな雨蛙がぴょんぴょん跳ねて出てきます。



              続く 

古語は一千年前の日本語

今日は獨協大学オープンカレッジで担当させて頂いています通年講座「『とはずがたり』を読む」の前期最終日でした。後期は10月からになります。

いつでしたか、講師室で梅津正樹氏をお見かけしたことがありました。
そう、NHK(ラジオ・TVともに)で御活躍の「ことばおじさん」です。

わたくしも、今日は「ことばおばさん」になりまして、古語のお話なぞさせていただきたいと思います。

【月かげ・・・とは】
「かげ」は現代語ではSHADOWの意味でつかわれますが、古語では全く逆の「光」の意味で使われていることが多いです。例えば、

「有明の、白むほどになりゆけば」は「有明の月の光も、白むほどになってゆくと」という状況になります。
明暗にかかわらず光線によってできる像を、古語ではすべて「影」といったからです。

特にみずから光を発するものの「かげ」は必ず「光」と思えば間違いありません。月・太陽・炎・灯などです。

                                 イラスト月影


【おどろく】

「おどろく」の原義はハッとすることです。

古語の場合も「驚く」はありますが、「気がつく」「目がさめる」の意味の場合の方が多いので注意すべき言葉です。

「鐘のおとにおどろくとしもなき・・」というのは、「鐘の音に目覚めてというのでもない・・」の意です。

「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」は

「ああ秋がきたなぁと、目でははっきりと見えないけれど、吹く風の音に秋が来たと気づかされることだ」でした。 イラスト尼そぎ


【ところせし】

「所狭し」の字を思い浮かべると、なるほどと思うものです。

もとは場所が狭いことを意味しましたが、後に精神的な肩身の狭さの意味にも使われるようになりました。従って、心身が窮屈だと思って考えてみると、丁度よい現代語が思い浮かぶことでしょう。

「さのみ明けすぎても ところせしとて起き出で給ふが、」は「あまり夜が明け切ってしまっても周囲のものに遠慮だからと起き出られたが、」ということで、決して狭い場所で寝ていたというものではありません。

イラスト公卿 (通い婚、朝まだ薄暗いうちに帰る男性)
              イラスト車


公開講座として、7月15日の古典文学講義を更新しました。ここ(←クリック)からお入りください。

中世(鎌倉時代後期)の浅草寺は・・・

近年、再び浅草界隈が賑わいをみせているというニュースをよく耳にしますね。

浅草古来の祭りやら行事の人出に拍車をかけているのが、あの「東京スカイツリー」です。

浅草東京スカイツリー

子ども達がまだ幼かったころ、浅草の「はなやしき」へ連れて行きましたが、

もう、あの頃とも随分様子が変わってきました。

雷門この下で、待ち合わせる人、記念写真を撮る人が多いのは相変わらずです。

                     ほうずき市

                    「ほうずき市」では人混みの中を、下の子は父親が肩車して、
                     上の子は母親が手を引いて歩きました。


浅草寺の歴史を調べてみますと、創建は推古天皇の代と伝えられています。
『古事記』『日本書紀』に記された6世紀末・7世紀初の女帝です。

本尊は観世音菩薩、天台宗(聖観音宗)のお寺です。

古典文学作品の中には、まず、文明本『西行物語』に浅草寺のことが出てきます。

そして、日本の中世期、鎌倉時代後期の様子が『とはずがたり』の中に書かれていますので、
〈私訳〉で、ここに紹介したいと思います。

武蔵の国には浅草と申すお堂があります。十一面観音をご本尊としていらっしゃり、霊験あるみ仏だと人々が申し上げていると聞きますので、私も拝見したくて参詣することにしました。
 野の中をはるばると分けて行きますと、萩、女郎花、荻、薄以外には、交じるものもなくて生い茂っております。これらの草丈がどれほどかといえば、馬に乗った男が見えないほどだと言えばその高さが想像もできましょう。
 
 その中を三日ぐらいかけて分け入って行くけれども尽きることもありません。すこし脇に入った道には宿場などもあるのですが、はるばるとあたり一面が、やって来た方面もすべてが、そしてこれから行く先もただ野原ばかりです。
 
 浅草の観音堂だけはちょっと高くなっていまして、それも木などは生えていない原の中に鎮座しておられました。 折からの月の出は、本当に「草の原の中から大きな月は出てくるよ」という古歌を思い出すように、草原の向こうから出てきました。そういえばちょうど今宵は十五夜なのでした。



正応3(1290)年のことですから、720年前の浅草の様子です。

『浅草寺縁起』によりますと、

推古天皇36年(628年)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・武成(たけなり)兄弟が隅田川で漁をしていたところ、その網に人の形をした像がかかりました。

地元の長、土師仲知(はじのなかとも)の鑑定でその像はありがたい観音像であることが分かり、仲知はお堂を建てて観音像をまつりました。これが浅草観音金竜山浅草寺の起源
 とあるそうです。

                  金龍舞

            金竜山浅草寺の金竜舞の様子です。
            一度見てみたいよな・・・・うーん、これはちょっと無理ですねぇ、私には




                




ほおずき

10日の朝、息子夫妻が車をとりにきました。
仕事の下見に長野まで行くとのことです。

チイちゃん(息子の連れ合い)が
「昨日浅草寺のほうずき市に行ってきたんですよ」と言って
紙袋から大きなほおずき数個をだして渡してくれました。

「そう、ほうずき市にね・・・随分大きいわね」
2個だけで私の手のひら一杯になるほどの大きさです。

「これ、玄関に置くと魔除けになるし、トイレに置いておくと婦人病にならないんだそうです。
 ほおずきを売っているおばちゃんから聞きましたよ」

「そーなの、ありがとう」

そいうことで、すぐに置いてみました。季節を感じるものって、いいですね。

花瓶したP7040002

そうそう、浅草寺のほおずき市は9日、10日でした。

特に10日が、Ⅰカ年中における 最も多数日の功徳日(四万六千日)とされていて、
この日に参詣すると127年間も日参したのと 同じ利益にあずかるというのです。

古来よりこの日の参詣人は境内をうめるほどであったので、10日にさきがけて9日からの
参詣も同じ功徳を受けるとされるようになったといいます。

浅草寺のほうずき市は、この四万六千日と同じ日に催されるのですが、その賑わいと人混みはただ事ではない!
人混みを最も苦手とする私達夫妻にとっては・・・もう苦難の参詣で、もっぱら避けております。

「ほおずき」の語源は「頬付」かといわれていますが、「酸漿」とも「鬼灯」とも表記されます。

田舎育ちのわたしの思い出は、もっと小さい袋でしたが、ほおずきが赤くなると、
この中の、外側と同じオレンジ色の球形の実を、袋から取り出して、
手の中で温めながら揉み、皮を破かないように注意しながら赤い実を柔らかくしました。

袋についていたところを円形の入り口として、皮を破かないように細心の注意をはらいながら、
楊子などで中身を掻き出して皮だけにすると、小さな風船のようになるのです。

それを口に含んで、口の中で鳴らすのですが、これがなかなか難しかった記憶があります。

子供が口にして鳴らす頬の様子から、「ほほつき」(頬突き)の名前がついたとも言われます。
また、昔の方言で「オホ」という名前の亀虫がよくついたことから「オホヅキ」とも。

「鬼灯」の漢字は、先祖の霊(「鬼」の字義のひとつ)が迷わず帰ってこられるように導く灯りの意味、
精霊棚に供えられるのはその役割を鬼灯が担うからなのですね。鬼灯を提灯に見立ているそうです。


それにしても、先ほどの「婦人病から守る」というのは、どういった面から言われるのでしょう。


地下茎および根は酸漿根(さんしょうこん)と呼ばれていますが、
ものの本によりますと、

「地下茎には微量のアルカロイドが含まれている。特に酸漿根の部分には子宮の緊縮作用があるヒストニンが含まれており、妊娠中の女性が服用した場合、流産の恐れがある。そのため酸漿根を堕胎剤として利用した例もある。

平安時代より鎮静剤として利用されており、江戸時代には堕胎剤として利用されていた。現在も咳や痰、解熱、冷え性などに効果があるとして、全草を干して煎じて飲む風習がある地方が存在する」


酸漿のこんな面と、魔除けとしての役割が一緒になって
上記の役割が付与されたのでしょうかね。

なにはともあれ、良いことであれば是非にと、ご不浄に置きました。

トイレP7040004 功徳がありますように。


                                       かえるとP7040005「まかせなさい」 










『個展 TAJIMA TAMAKI 』ワールドへ

               表紙
                   田島 環展 2010/7/5~7/11 11:00~18:00




昨日とは又一転、やはりまだ梅雨時ですね。

今日は、台東区柳橋のギャラリーURANOへ、行ってきました。

1入場
“たまきさん”にはお逢いできなかったのですが、画廊に足を踏み入れたとたんに、
 そこは TAMAKIワールド です。

2絵
透明感ある色彩、まさにAQUA・・水底・・FOREST・・森林の奥深い・・遠い記憶の底に誘われるような感覚があります。

31人
絵には素人の私達ですが、
「どうしたらこんな透明感のある色が出せるのかしら」
「引き込まれるような感じね」
「たまきさんが、画いているところを、一度見てみたいわね」などと、話しながら鑑賞しました。

「ねえ、もし 一点選ぶとしたら どれにする?」

ご本人がいらっしゃらないのをいいことに、私が勝手な問いかけをして、

ご一緒したお二人と、お互いの評や好みを言葉にし、聞き合うことで絵の鑑賞を深めたのですが、
それで、よかったのでしょうか、たまきさん。

どの絵も、とても素敵でした。




私達は、4年前に獨協大学オープンカレッジの英会話講座で知り合った仲間です。

それぞれの目標をもって当講座を受講した“学びの友”でした。

仕事の都合や、物理的事情もあり、その時の学友(20数名)がずーっと揃って一緒に、という訳にはいきませんでしたが、互いの心のどこかに、教室を離れた後も忘れがたいものが残っていたのでしょう。

環さんが毎回郵送してくれる案内状を手に、予定を調節して
「今回は行けるかな、いつにしようか・・」と、思っているところに、
Kさんからお誘いのお葉書が届きました。Fさんもご一緒とのことでした。

この1年お逢いできなかったので、その後のみなさんの様子もうかがいたく、
楽しみを2倍にして きょうは出掛けました。

そして、色々な意味で、活力をもらった一日になりました。

「広く、浅くでもいい、文化を生活の中に置きながら生きていきたい」という思いを、
ひとつ講座の受講という形にしてみたことで、得ることができた貴重な繋がりです。

大切にしていきたいですね。 みなさん、よろしくお願いします。   

山形の郷土料理

前日には「曇り」という予報でしたが、今朝は朝日が昇る前から、もう青空が広がりそうな空模様でした。
こんな日の早朝散歩は、見沼第一調節池の、葦原をぐるりと巡るコースが素晴らしいだろうと、
予想をつけて出掛けました。

陽が差し始める頃の、ほんの僅かな間ですが、朝靄の中から浮かび上がるように現れる風景は
何とも、清々しく、それでいて幻想的なのです。

映画のシーンの中を歩くような気分になっていた時にはそれ程気にならなかったのですが、

ああー、やはりまだ足が痛い~ 筋肉痛が続いています。坂道になると特に・・・。

歩くだけならば、一万歩でも二万歩になっても、筋肉痛になるなんてことは最近ないのですが、
やはり、立石寺へ登った後、よせばいいのに向かいの小高い山の上に「芭蕉記念館」が在ると知って、
「もう、来ること無いかも知れない」と、無理してまた向かったのが、利いたようです。

月曜日で、「記念館」は休館日 

仕方がないので隣接する「物産店」で食材をみることにしたのです。

旅の楽しみの一つには、その土地の「美味しい食べ物」を味わうことがありますが、
その土地本場の郷土料理について知る楽しみは、おみやげの品以上の思い出にもなるものです。

今回は、「ほし菊」と「六浄」と、「ごまだれ」を買いました。

干し菊
お吸い物に入れます。サッと熱湯をくぐらせて水洗いの後「酢のもの」「和え物」に。

六浄
秘伝 ナタで削った豆腐」 出羽三山 精進節 六浄(ろくじょう)
初めてです。裏に書かれてある「召し上がり方」に従って料理してみるつもり。楽しみです。

3年程前から、我が家では「だっし」が好評でよくつくるのですが、

これは山形の郷土料理でもあるのですね。

宿の朝食の一品に見つけて、ひとり感動「あ~~、これ! だっしですよね、だっしだ」

「・・・・??」 なんで、こんなものに喜んでるのかと不思議に思われたのか、仲居さんの反応も
全くなっしだったけれど、

(これにはオクラが入ってるな。味付けには薄口醤油か、塩味にして濃い口を少々・・)と見た!


作り置きが今日の朝食でなくなったので、

夕食の後に、岩手で食べた「だっし」を思い出して新たにつくってみました。

自家製だっし
そうそう、こんな感じでした。

スーパーでもパックで売られているようです。また、お取り寄せもありますが、だっし

色々な夏野菜を細かく切って、醤油と酒で味付けするだけですから、我が家流にして楽しめます。さらにどんな野菜を加えるか、納豆や山芋を入れてねばりを出すものもあるようです。ミョウガとシソと生姜、キュウリにナスは
入れた方がいいでしょう。 

雨の七夕

7月7日、今日は七夕です。

午前中はなんとかもったのですが、午後になると空模様が怪しくなりました。夕方には
予報通りに、完璧・・雨・・またも雨の七夕です。

七夕(しちせき、たなばた)は、日本、中国、台湾、ベトナム、韓国などにおける節供、節日の一つ。
もともとは旧暦の7月7日の夜のことです。しかし、日本では明治改暦以降、お盆が7月か8月に分かれるように7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕祭りが行われています。

私が子どもの頃は月遅れの8月7日が七夕でしたが、それは土地柄だからでしょうか。
現在でも、七夕祭りでさえ、「平塚の七夕まつり」は7月に、「仙台七夕まつり」は月遅れの8月です。

7月ですと、梅雨がまだ明けない年が多く、これまでも、外に笹竹を飾って短冊を吊す風景は見ませんね。
子ども達と一緒に七夕飾りをしたのも、いつも家の中でしたし、

夜空を見上げて星を探してみるなんてことは何回あったでしょうか。

「やはり、8月7日がいいわよ」なんて、勝手に我が家方式でするものではないですしね・・・。
行事はやはり、その土地地域の多くに合わせなければ、日本の行事として体験させられないものです。

クリスマスのイルミネーション飾りの方はあんなに盛んになっているのに・・・ちょっと、変な気がします。

そんな、ことを思って運転していましたら、ラジオからの天気予報、女性の声で、
「・・・残念ながら今夜雨になったら、それは織姫と彦星が流す涙、催涙雨だと思って下さい」と、
うまく、まとめていました。

期待したような天候にはならなかった時、なぜか天気予報士を恨んだりするのですよね。

―古典文学・説話からの概略―

織姫星(織女星)の織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘でした。また、夏彦星(彦星、牽牛星)の夏彦もまた働き者であり、天帝が愛し合う二人の結婚を認めました。めでたく夫婦となりましたが、夫婦生活が楽しくて、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなっってしまいます。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離してしまいましたが、年に1度、7月7日だけは天帝が会うことをゆるしました。その日には天の川の鳥カササギがどこからかやってきて橋を架けてくれて、会うことができるのです。しかし、7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができません。この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれ、催涙雨は織姫と夏彦が流すといわれています。  

ショート・ショート『おくの細道』の旅

尾花沢 から 山寺・立石寺 へ

『おくの細道』をたどる旅を、機会あるごとに分断して楽しんでいます。

今回は、山形に行ってきました。目指すは「尾花沢」と「立石寺と云山寺」です。

4日から、5日にかけて宿は天童温泉にとりました。日曜からの宿泊ならば直前の予約でも大丈夫開いています。
しかも、格安値になっていてお得、優雅な旅行気分を味わうことができました。

松尾芭蕉紀行文『おくの細道』より
〔三〇〕
尾花沢にて清風と云ふものを尋ぬ。かれは富めるものなれども、心ざしいやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知りたれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
  涼しさを我が宿にしてねまる也
  這ひ出でよかひやが下のひきの声
  まゆはきを俤にして紅粉の花
  蚕飼する人は古代のすがた哉   曽良


山形新幹線で「大石田」の駅まで行きます。

まずは、「芭蕉・清風歴史資料館」へ向かいました。

清風・芭蕉記念館
「芭蕉・清風歴史資料館」は山形県尾花沢市中町 にあります。

資料館の建物は、旧丸屋・鈴木弥兵衛家の店舗と母屋を、清風宅の隣に移転復元したものです。この建物は尾花沢地方における江戸時代の町屋の完成した姿を伝える貴重な遺構です。

「おくの細道」の道中、元禄2年5月17日(陽暦7月3日)松尾芭蕉と曾良が
鈴木清風を訪ねてきました。尾花沢で10泊もして過ごした二人ですが、
この地では、清風や俳人たちから心温まる歓待を受けたといいます。

資料館の展示物は撮影禁止ですので、家屋内の様子です。

資料館中
                               記念館の中

小道具展示
資料館二階には雪国にかかせない民具や生活の道具が展示されています。

鈴木八衛門(清風)邸宅跡は資料館の西隣に表示板で示されていました。

清風邸跡

ここから、南西に500メートル先へ行くと、芭蕉が7日間逗留したという養泉寺があります。

養泉寺1
                              養泉寺2

尾花沢10泊のうち7泊を、芭蕉たちはこの養泉寺で過ごしました。これは気兼ねなく長旅の疲れをいやしてもらおうという、清風のはからいによるものです。境内には芭蕉が詠んだ「涼しさを我宿にしてねまる也」の句碑、いわゆる「涼し塚」と、芭蕉や清風たちの歌仙の連句碑があります。

翁の句碑涼し塚
      涼し塚

天台宗 養泉寺は明治28(1895)年の大火で旧堂は焼失し、現寺観は明治33年の再建です。
元禄の頃は東叡山の直末の寺院で格式高く栄えていた寺です。

芭蕉と曾良は清風の配慮で修築直後のまだ木の香も新しい静寂なこの寺院で寛ぎ、ここの諸俳士と
交流しました。

養泉寺の前には、昔を偲ぶ旧羽州街道の名残表示がありました。

旧羽州街道


さて、大石田の駅に戻るには、バス停がよく分かりません。来る時はタクシーをつかいましたが、
ここにはタクシーが見あたりません。

日曜日なのに、観光客もないようで、資料館でいっしょになった十数人の団体らしき一団が去ると
町中にも人が見あたらず、ウロウロしました。

と、小型バスらしき車が交差点を曲がって来ました。バス停がどこにあるのか分かりません。

手を振ってみると、なんと、その場で留まりました。

「大石田の駅に行きたいのですが・・・」

「はい、どうぞ、乗って下さい」とドアを開けてくれるのです。

尾花沢循環バス
     助かりました。

ここまで来ますと、新幹線も在来線の線路を走ります。在来線の本数も少ないので、30分程駅で待って

「天童」に戻りました。

天童の温泉街、足湯を楽しむコーナーが設けられ、大きなホテルや旅館のあるゆったりとした感じですが、
みやげ店を含めて、お店がほとんどみられませんでした。

「天童温泉・道の駅」が出来てから、店仕舞いしたところもあるとのことでした。
里錦道の駅道の駅の中の物産店には「さくらんぼ」

翌日、立石寺に向かうには、天童温泉組合のサービスだそうですが、
宿泊者に限り「ワンコインタクシー」で山寺駅まで行くことができました。

「ワンコイン」とは、1人500円。タクシーに相乗りでも同じということです。

                     天童温泉から山寺へ 
天童駅から奥羽本線と仙山線を乗り継いで山寺駅に行けば1時間以上はみなければならないのですが、

車ならば、さくらんぼが鈴なりの山間を15分ほど走ったら、もう着きました。

              map[1]
               帰りは仙山線で、仙台の方に出ました。

〔三一〕
山形頒に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地也。一見すベきよし、人々のすゝむるに依りて、尾花沢よりとつて返し、其の間七里ばかり也。日いまだ暮れず。麓の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松柏年ふり、土石老いて苔なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として、心すみ行くのみおぼゆ。

  閑かさや岩にしみ入る蝉の声


          駅から山寺を見る
          宝珠山 立石寺 山寺 全景 「よし、登ろう」と、麓の店で杖を借りました。


                 根本中道
                 国指定重要文化財 根本中堂
  
  堂内の法灯は建立当時、比叡山中堂より移されたもの。1100余年消えることなく灯っているそうです。

蝉塚
蝉塚まで登りました。参道はうっ蒼と繁った老杉木立の中を辿ります。ここまでは、まだ涼しいくらいでしたが、

ここから、急な石の階段を仁王門へと登るころには、何度も立ち止まっては周りを見ながら休みました。

もう、汗だくです。

山上・下を望む
見晴らしの良いところから下をみると、だいぶ登ったことが確認できます。


           奥の院から下を見る
            参道の終点にある奥の院から下を見ています。
            「奥の院」は釈迦と多宝の両尊が安置されている如法堂です。
            如法堂左側の大仏殿には像高5メートルの黄金の釈迦如来が
            安置されていました。


                                山上・五大堂への山道
                        五大堂に向かう道。
                        宝珠山を守る五大明王が安置され、天下泰平を祈る
                        道場です。山寺随一の展望台があります。

ここから下に向かうころから、登って来るひとが多くなりました。
石段の、狭くなっているところでは、暫く立ち止まって登る人と、下るひとが道を譲り合うので、
やがて行列になりました。 11時近くになっています。ということは、10時頃山寺に着く
人が多いということでしょう。

月曜日なのに、若い人も年輩の方も、また団体らしき参拝者が集って上って来て、

尾花沢との違いに驚きました。

ちょっと頑張れば上れない山でもないし、休み休み時間を掛けて登れば達成感もある、

そして、何よりもやはり祈りの場であることが、人を惹きつけるのでしょうか。

芭蕉が門人曾良を伴って山寺を訪れたのは元禄2年5月27日、陽暦ですと7月13日に
なります。

果たして、蝉は鳴いていたのか、静寂さを詠むための演出であったのか・・・説は様々あるようですが、

梅雨まだ明けぬ山形は、この両日とても暑くて、日が射すと真夏のようなけだるい風景になります。

でも、紫陽花の花はまだ盛りでしたし、蛍が見られるのも もう一週間先だということで、

やはり、奥州だわ・・・と思うことも多い旅でした。    











獨協大学オープンカレッッジ 特別講座のご案内

オープンカレッジ特別講座 「ピアノの詩人F.ショパンの世界」

                              日時/2010年07月24日(土) 13:00~15:00

場所/天野貞祐記念館大講堂


生誕200年記念講演
ピアノの詩人 F.ショパンの世界
曲の根底に流れるF.ショパンの様々な「愛」を弾き歌い、演奏し解説する



受 講:無料 定員500人(当日先着順 事前申込不要)無料
開 場:12時
共 催:草加市
後 援:駐日ポーランド共和国大使館
交 通:東京メトロ日比谷線・半蔵門線直通 東武伊勢崎線
     「松原団地」駅西口徒歩5分
     *車でのご来校はご遠慮ください


【講義概要】
今年、生誕200年のピアノの詩人Fryderyk Chopin(1810-1849)は、フランス人の父とポーランド人の母との間にワルシャワ近郊で生まれた。ショパンは国を出て、時代に翻弄されながらも、祖国を想い、女性を愛し、愛に苦しみ、多くの作品を残した。しかし病に苦しみ、39歳という若さで父の故郷フランスで命を落とした。死後、姉によって心臓だけは故郷ワルシャワに戻され、聖十字架教会に安置されている。ショパンが命を削って残した作品は、気品に満ち、優雅で美しい。作品の多くはピアノ独奏曲であるが、歌曲も残している。声楽家として弾き歌い、演奏と解説を交えながら、ショパンの世界を紐解いてみたい。


【講師紹介】
小泉 由美子
声楽家、獨協大学オープンカレッジ講師、青山学院女子短期大学専任講師。
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。
第23回全日本学生音楽コンクール東日本第2位。二期会会員。
イタリア・ヴィオッティ音楽院に留学(国際ロータリー財団奨学生)。ロニーゴ国際声楽コンクール入選。 ヨーロッパ各地でリサイタルの後に帰国。昨年より独自のスタイルで弾き歌いによるソロ・リサイタルを開催。



問合せ先:獨協大学エクステンションセンター
TEL:048-946-1678

 『とはずがたり』公開講座、7月1日の内容を更新しました。ここ(←クリック)からもお入りいただけます。
プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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