にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村

岐阜までのドライブ

28日午前0時から24時間、全国37路線50区間の高速道路の無料化の社会実験が始まりました。
29日、国交省は、対象区間の交通量の平均が1週間前と比べて約79%増加したと発表しました。
沖縄自動車道など4区間では、1キロ以上の渋滞も発生したというニュースです。


無料化に向けての実験が始まった前日、27日の日曜日のことです。

岐阜の実家に向けての、ドライブをしてきました。
最近は一律千円開始時期のような渋滞もないようですし、
何と言っても、圏央道が八王子まで繋がって、首都高を通らずに中央道に出ることが
出来るのは、相当な時間の短縮になっているはずです。

ということで、これは我が家の、安価な日帰り帰省の実験となりまいた。
一時期は、何度か車で帰省したものですが、今回、中央高速道を行くのは11年振りになります。




自宅6:15出発 → 東京外環道  大泉JCT→ 関越道 鶴ヶ島JCT→ 圏央道 八王子JCT


中央道 ー  ※①談合坂SA 8:00出発→ 双葉SA→ ※② 諏訪SA→10:00出発 ー  中央道 土岐JCT


東海環状道  ※③美濃加茂SA13:00 美濃関JCT→関広見出口→ 一般道へ・・・・・着 13:30

何度かのサービスエリアを楽しみました。

双葉のサービスエリアのハーブ公園がとっても素敵でした。正面に富士山が見えるはずなのに、今回は
雲に隠れて全く顔を出す様子もないようなので、写真は無しです。

※①談合坂SA

P談合坂のサービスエリア
このSAはよく来ていますね。べーカリーのサンドイッチで朝食。
駐車場案内係の方が数人で誘導してましたが、直ぐに駐車できました。
ここまで、高速道ガラスキでしたが、休日のSAらしくなってきました。

          談合坂雨が上がる
          雨が上がりそう・・・

                      ツバメの巣
                      ツバメの巣がいくつか見えています。



※②諏訪SA

諏訪湖を見る
  諏訪湖ダ~

                          緊張気味のエル
                           留守番のはずが、連れてきちゃった!緊張気味のエル。


帰路の諏訪湖
ちなみに、帰路の諏訪湖です。下り諏訪SAより少し低いところに上りのSAがあるのです。こちらには天然温泉がある  




※③美濃加茂SA

 美濃加茂SA
初めての“美濃加茂オアシス”で昼食をとることにしました。これまでは「土岐」で出たのに、東海環状線が出来ていました。
スゴ~イ

あっ・・・岐阜弁やわ、みんなーええな~。 


車中のエルは、後部座席には居ないで、運転席と助手席の間に来てしまう。やはり、ここに
エルの特別席をつくらないと・・・ネ。

1人じゃつまんない
             〈1人じゃ、つ・ま・ん・な・い・よー〉
                    <クリックすると「つまんないお顔>が現れます。>
結局、膝の上に来てしまうのですが、あまり動き回ることなく、おとなしくしていました。


でも、さすがに疲れたらしく、翌日は・・・

疲れました。どうにでもしてよ
  ソファーの上でこんな状態でした。 「どうにでもしてよ


高速料金ですが、外環が通常500円のところ、割り引きで350円 
        関越道に入るところから、関広見までが、1850円でした。片道2200円なので、

高速料金は計4400円ということになります。 

散歩みち(東縁コース)の鴨たち

早朝散歩も土、日となりますと、「見沼たんぼの散歩みち」のどのコースにしようかな、
天候も含めてちょっと考えます。

7時~8時代になってしまうと、陽がさしてきて もう暑い。
平日は見ない、犬を連れての散歩する人も多くなるからです。

我が家の愛犬“エルマー”は犬のくせに犬が苦手、
犬とすれ違う時は、(見なかったことにしよう)と言わんばかりに、道の端を
サッサと急ぎ足で耳を立てて、顔は真っ直ぐ前に向けたままで通りぬけようとします。

で、今朝は 朝6時から、陽が昇っても大半が木陰になっていて、道が全天候型道路で
途中雨になってもハネがあがらない「東縁コース」にしました。

東縁散歩コース

人も通らず、鳥のこえだけがしています。

渡り鳥の鴨も少なくなったようですが・・・、

鴨の一家①
いました! 小ガモが4羽、ちっちゃい頭が見えてます。

               ②通りがかり鴨
               通りがかりの鴨が近づくと、親ガモ2羽が警戒して・・・
               攻撃的な鳴きごえをあげながら追い払おうとします。

                                 ③鴨の親子

                            よしよし、これで大丈夫。「もう安心だよ」と

                            泳いでいます。

これらの鴨は、見沼に住み着いた鴨なのでしょうか。それとも渡り鳥ではないカルガモでしょうか。

一ヶ月半ほど前には、まだ鴨が沢山いましたが・・・。

5月、置物かも
えっ 置物なの?

                                 5月置物じゃない鴨
                                    じゃないよね。

カルガモは
カルガモ
 コレです。  

今朝の親子鴨が「カルガモ」で、通りがかりのヤツが、違う鴨なのかな・・・??。

鴨が頭上を飛んで行く姿をみると、
身体が太いだけに、羽根を細かく、激しく動かして・・・力入っているなぁという感じです。

あれで、北の国まで渡っていくのですからすごいですよね。

私も、重くなった身体を運ぶ羽根ならぬ“足”を、今日も鍛えております。



埼玉ゆかりの歌人たち

「さいたま市民大学講座」に出席しました。
今回の講師は、歌人の 沖ななも氏でした。
埼玉在住の方で、以前から一度お目に掛かかりたいと思っていました。

現代短歌ですと、「サラダ記念日」の俵万智が一躍有名になりましたが、そのころに
全国短歌大会の選者として他の歌人たちと御一緒にテレビに出演されていました。

沖先生は、昭和20年古河生まれ。昭和30年に浦和市に転居されています。
中学生のころから、現代詩をつくり始め、昭和43年若い人社文学会に参加、昭和46年には
同会より詩集「花の影絵」を刊行しています。

昭和49年には個性の会に入会。短歌を中心とした文学活動を開始。3年後には、「個性」新人賞を受賞されました。
また、私は 特に「式子内親王論」「和泉部論」等の古典研究をされているという経歴に惹かれていました。


その講義の中で、
歌人、加藤克己(大正4年~平成22年)の自宅が今のさいたま市、「埼玉りそな銀行本店」の隣にあって、
そこへ近くに住む歌人近藤芳美が訪ねて、短歌の結社を起こそうという話になった・・・云々ということを
知って、ビックリ!

変な話なのですが、自分がよく知る場所にお住いがあったとか、そこで活躍されていた事実を知った、
それだけで、何だかとても身近な人に思えてしまうのは、私だけでしょうかね。

彼らの短歌をより理解出来たというわけではないのに、解るような気になるから不思議です。

そういえば、もう13年程前になりますが、
埼玉県の「国立女性教育会館」の講堂で、与謝野晶子の六女、藤子さんの講演を聴きに行きました。

女性会館の看板
東武東上線、武蔵嵐山駅から徒歩13分

与謝野晶子には11人のお子さんがいましたが、藤子さんは末っ子になります。

現代の政界で話題になった「たちあがれ日本」の与謝野馨氏には叔母にあたる方ですね。

          与謝野家の人々
            晶子に抱かれているのが藤子

母である与謝野晶子の日常を、懐かしむ思いでやさしく語られました。

文学史の中の与謝野晶子が、身近な1人の女性像として立ち上がってきて
いまだに、その光景が鮮やかに甦ってきます。

その講演がきっかけとなり、後に、ゼミ合宿にも「女性会館棟」を使うことにしましたが、
普通の宿泊も出来ます。

          国立女性教育会館
          お友達どうしでゆっくりするのもいいですね。男性の宿泊も可です。

そして、ここから車で20分ほどの都幾川村に、慈光寺があるのですが、
そのお寺に アララギ派の歌人土屋文明の墓所があることは、案外知られていないようです。

埼玉の生まれでもなく、在住したこともなかったようですが、生前に都幾川村が好きで、よく訪れていた
ということでした。

土屋文明の実地学習ならば、こちらですね。

土屋文明記念館
群馬県にあります「土屋文明記念文学館」

行き方は、

map.gif
ここへは、四万温泉に行った帰りに、偶然見つけて寄ってみました。井出交差点の近くの
お蕎麦屋さんがとっても美味しくて、良かったので、私達夫婦の間ではセットで話題にしています。

「学ぶ」には、ゆかりのある現地に行くこと、体験すること、知るを楽しむこと、
これが、私の持論なのです。

「追っかけ、ミーハー」を自称しています。




古墳のふるさと ー 吉見百穴

今日から娘は出勤です。

我が家に滞在中の義母も、東京での用が済みましたので明日函館に帰ります。

そこで、今日は武蔵嵐山方面に義母をさそって出掛けました。
途中、吉見の、美味しいおうどんのお店「よし味」で昼食をとったのですが、
この近くに吉見百穴(よしみひゃくあな)があることを思い出して、
寄っていくことになりました。

吉見百穴


ここは 歴史の町 古墳時代と、昭和の第2次世界大戦末期とが 同居しているような
史跡のあるところです。

百穴風景


丘陵の斜面に無数の穴が開いた奇観で、百穴として古くから知られていました。
1887年(明治20)からの発掘調査で古墳時代末期の横穴古墳群と判明し、国の史跡に指定。
「ひゃくあな」との名称を持ちますが、現在、穴は219あるということです。
各横穴は3室から成り、棺を納める玄室の広さは3平方mほど。
数カ所の穴には緑色の光りを放つヒカリゴケ(天然記念物)が見られます。

〈地下軍需工場跡〉

軍需工場穴

百穴のある岩山は第2次世界大戦中に地下工場がつくられ、その跡地が残っています。こちらは巨大な洞窟です。
かなり広い地下工場だったようですが、現在は一部のみ公開されています。

中は薄暗くて、照明も少なく不気味な雰囲気。入るとひんやりとしています。

パンフレットの解説によりますと、この地下工場の掘削は、全国から集められた3,000人から
3,500人といわれた朝鮮人労働者により昼夜を通した突貫工事として進められ、ダイナマイトを
使用した人海戦術だったそうです。

重い気持ちのまま、写真を撮っていますと、

「私、光ゴケを見たの初めてよ!すご~いわね」との義母の声がして、救われるような思いがしました。

hikarigoke[1]


 ※詳細は吉見町のホームページをここからご覧ください。

うまいもの三種

若い人が仲間同士で、美味しそうなものを見て

「わー、コレ うまそう!!」

って言っているのを聞いたことありませんか。思わず

うまそう じゃないでしょ! おいしそう でしょ」
って注意したくなります。特に若い女性ですと・・・。

男性が言う分には別に気にならないのですが・・・。「男言葉」と「女言葉」の違いを
意識してきた世代だからでしょうか。

もともと 日本の古語には

うまし【甘し・美し・旨し】という言葉があって
この言葉は、褒め言葉だったのですね。

うまし国そ あきつしま 大和のくには」


そして、「味がよい、おいしい」の意味では ー 同じく万葉集

「飯(いひ)はめど うまくもあらず寝(い)ぬれども 安くもあらず ー」(万葉集 16・3879)

 ・・・・・・・。

 「うん、うまい!」

の一言で、伝わる感覚も 確かにあるかも知れません。

前置きが長くなりましたが、うまいもの三種の紹介です 


           P6170036.jpg
 海苔の佃煮のように見えますが、実はこれ「独活の佃煮」なのです。独活の葉を細かく刻み、調味料を加えて
 じっくり時間をかけて煮込んで、練りあげてあります。義母の手作りです。(訂正・ウドの葉でした)

           P6170038.jpg
 これは「山椒味噌」  これも義母の手作り。 木の芽(葉)を使っているそうです。

           
           P6170040.jpg
 市販の「山椒の実」ですが、料理に使用する場合も、そのまま和え物に加える場合も、
 気に入っている味のものです。


これらは、製法、味付けは様々ですから その人によって「うまい!」の違いはあるかもしれません。

以前「実山椒」を直売所で見つけて購入したことを書きました。

どのように味付けるかは人様々でしょうが、香味野菜系を好む我が家ではこのようにして使います。




レシピ
まず、サッと茹でてアクをとります。


冷凍しておくと、鮮やかな青い実のままで保存でき、多ければ来春まで使えます。

佃煮
 甘みは加えず、醤油と酒を少し加えた味付けで煮ておきます。魚の煮物の時にもこれを使います。
 お茶漬けに、和え物に、サラダに、和風パスタにもあいます。

粉にする(まだ試したことないのですが)
 山椒の実を日陰干しして乾燥させ、ミキサーに。
 粉山椒は鰻料理だけでなくて、振りかけると 美味しくなるもの、多いようです。お好みですが。

山椒味噌
 茹でた山椒の実をすり鉢ですり潰し、味噌と和えます。葉より実の方が香りがたつようです。

   山椒の実が沢山手に入る方は、是非お試し下さい。

 



おいしい! オカワカメ

獨協埼玉中学高等学校のオカワカメ、順調に伸びていっているようです。

ワイヤーにからんで真っ直ぐ伸ばすために、脇から伸びている蔓は切るのだそうで、

「捨てる部分なのですが、どうですかー持って帰ってみませんか?」といただいたそうで・・・

         オカワカメ1
         主に蔓なのですが、ここから葉を摘むと、


         2オカ
         まあまあ、ありますね 

         3オカ
         塩をひとつまみ入れて茹でただけで、

         できあがりゴマドレッシング
         ごまドレッシングで、上に捻りごまをかけていただきました。
         
         写真撮るの忘れた食べてしまった 残ったものを小さな器に入れ直したもの。

   おいしい~ コレ!  食感がいいからかな。

   肉厚のワカメを食べているようです。磯の香りはなく、もう少し柔らかいのにコリコリ感もあるの  

   新種の野菜です。さいたま市でも、色々な料理方法を開発するなどの取り組みをしています。
   
   うん、これならパスタにも合いそうですよ。 ホームページここからオカワカメの様子ご覧下さい。



※6月17日の『とはずがたり』講座内容を更新しました。ここ(←クリック)からも入れます。




山上憶良はエリートだったのね!

娘が退院して、家に居ます。

食事の後そのままリビングに居て、しばらく一緒にテレビを見たり、おしゃべりしています。

                      eru_20100618235000.jpg

エルは、「なんか、いつもと・・ちがうよなぁ・・」というような顔つきで見ています。

娘が会社勤めになってからは特に、こうして昼間も家にいて、夕食も一緒ということが
ほとんどなくなりました。


「そういえばね、昔、あなたがまだ小学生だった頃なんだけど、
 長野から新潟に出て、福井県の方に旅行したこと、覚えてる? 3泊したんだよね」と、私。

「う~ん? よくは覚えていないけど、・・・ところどころの記憶はあるような・・」と、娘。

あれは、小学の高学年のころだったと私は思っていたのですが、
娘は、まだ3年か4年だったと言います。

なぜ、こんな話を持ち出したかといいますと、

その旅行の3日目でしたが、福井にあります「高岡市万葉歴史館」の近くを通ることが分かって、
せっかくの機会、もう来ることはないかも知れないと、予定を変更して見学に行きました。

その展示場で、遣唐使船の模型を初めて見たことを思い出したからです。

早速、ホームページを開いてみました。

高岡市万葉歴史館

そうそう、ここでした。左下の駐車場に車を止めて、中に入りました。

        遣唐使船

この遣唐使船は六分の一の模型です。

そして、何より驚いたのは、この船に同行し唐に留学したのが、あの万葉歌人山上憶良
だったということです。

山上憶良の歌は、いわば庶民派で、親しみやすく、今でも引用されやすいものですから、

留学するようなエリートというイメージは全くありませんでした。


 憶良らは今はまからむ子泣くらむそれその母もわを待つらむそ
 (憶良めはもうこれでおいとましましょう。我が家では子どもが泣いているでしょう。
   それにその母も私の帰りを待っていることでしょう。)

 瓜食(は)めば子供思ほゆ、栗食(は)めばまして偲(しの)はゆ、何処(いづく)
 より来りしものそ、眼交(まな かひ)にもとな懸りて、安眠し寝さぬ
 
 (瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べると一層愛しく思われる。子どもは一体
  どこから来たのだろうか。目の前に子どもの姿がちらついて、私を安眠させてくれない。)

 反歌 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
 (高価な銀も金も美しい玉もどうして子どもというすばらしい宝物にまさるだろうか、決してまさるはずがない)

 「貧窮問答歌」で、

 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ 斯(か)くばかり
 術無きものか 世間(よのなか)の道 世の中を憂しとやさしとおもへども飛びたちかねつ
 鳥にしあらねば

(鞭を持った里長の呼ぶ声が寝室にまで聞こえてくる。世間を生きてゆくということはこれほど
 どうしようもないものなのだろうか。この世の中をつらく身も痩せるように耐え難く思うけれども、
 飛んで行ってしまうこともできない。鳥ではないのだから・・・。)

と詠んでいます。その貧しさが察せられて今に生きる私達の胸をも打ちませんか。


このような社会派歌人の山上憶良が遣唐使に同行して唐に留学していたというのは、

ちょっと合わないように感じてつくづくとその船を見たものです。







ブルガリアでベストセラーになった『とはずがたり』

                          ブルガリア語訳

日本の古典文学は外国でも翻訳され紹介されていますが、『とはずがたり』は1981年にブルガリアで
ベストセラーになっています。そのいきさつを翻訳者であるツベタナ・クリステワ氏が語られています。

『とはずがたり』という作品を知る上でも大変興味深いお話なので、ここに転記してみます。

                         『有鄰』第448号 平成17年3月10日(有鄰堂)より



私が、1993年に1年間の研究のため、ブルガリアのソフィア大学から京都の国際日本文化研究センターに来てから12年の月日が流れました。 1年の滞在のはずでしたが、仙台、名古屋、東京の大学で日本文化の教育に携わる仕事を経て、2年前の春、日本人学生に日本古典文学の魅力を伝えたいという長年の夢が叶い、ICU(国際基督教大学)で日本文学を教えています
この12年の間、十二単の多様なかさね色のように、喜びの日々もあれば、「むばたまの闇」のような絶望の瞬間もありました。 しかし、どんなに辛い時でも、頼りになってくれたのは日本の古典文学です。 その「言の葉」には莫大なエネルギーが潜んでいます。

初恋の作品は『とはずがたり』でした。 作品にも、人間と同じようにそれぞれ違う運命があるのかな、と考えさせられるほど、不思議な運命を持っている仮名日記です。 作者・後深草院二条(久我雅忠女[こがまさただのむすめ]とも)の人生の35年間を照らし出したこの回想記は、描写された期間の長さをはじめとして、あらゆる意味でユニークな作品です。

『伊勢物語』の「或る男」や光源氏などにみられるように、王朝文化において、一人の男が数人の女と恋の契りを交わすことは普通でしたが、『とはずがたり』の女主人公(作者)は、同時に数人の男と関係を持った、例外の女です。 しかし、「問わずに」語り続ける彼女の声をよく聞くと、頼りになってくれる、たった一人の男を求めていたのではないかと思われます。 そして、自分にとってそんな男になるはずだった後深草院はあまりにも期待はずれだったので、「死ぬばかり悲しき」気持ちが募っていったことは容易に想像されます。

『とはずがたり』の最後に二条は、自分の日記が「後の形見とまでは、おぼえ侍らぬ」と書いていますが、その言葉には正反対の意味、「なからん後の形見になってほしい」という意味が籠められているに違いありません。 しかし、『とはずがたり』は、長年にわたって、誰にも知られず、誰からも「問われない」存在となってしまいました。

1305、6年に書かれたと思われるこの作品の写本が1940年に発見され、10年後にようやく出版されて公開されましたが、その後も、社会や文学などの規準から大分逸脱している『とはずがたり』の運命は、決して簡単ではありませんでした。

私が『とはずがたり』に出会ったのは大学時代でした。 モスクワ大学に日本文学を勉強しに行った私は、現代文学を専攻するつもりでした。 古典は興味がなかったのです。 しかし、ある日、突然、古典文学の先生から「あなたにぴったりのテーマと作品がありますよ。」と声をかけられ、研究室に行くと、『とはずがたり』のことを教えていただいたのです。

大学卒業後、日本の大学に留学したのは1980年でした。 そのとき、『とはずがたり』を勉強していることを言うと、「やめた方がいい。 源氏にしなさい。」というアドバイスを度々いただき、冷たい水を浴びせられたかのような気持ちになりました。 どうやら当時、『とはずがたり』はまだあまり人気がなかったようです。 悔しくて、空しくて、二条ではなく、私自身が無視されているかのような感じでした。 もちろん、熱心な支持者もいました。 そのうちの一人、当時、国文学研究資料館教授の福田秀一先生のご指導のもとに、大学時代に始めた翻訳の仕事を進めることができました。

1年間の留学を終えてブルガリアに戻った私を待ち受けていたのは、孤独でした。 日本学科もまだなく、古典文学どころか現代文学の翻訳も二つしかなかったのです。 そこで、『とはずがたり』を日本古典文学の紹介の出発点にすることを誓いました。

翻訳のサンプルを持って最も大きな出版社を訪ねると、編集者はサンプルを見ようともせずに、「現代文学ならいいけど、古典文学は、売れるはずはない。」と言いました。 問わずに流れ出した涙を抑えながら、外に飛び出すと、私たちの話を黙って聞いていた見知らぬ女性が追いかけてきて、サンプルを読んでみたいと言ってくれました。 その女性は別の出版社の編集者でした。 サンプルを渡してから2日後の朝、電話があり、「昔の日本人が書いたものだと思えないほど、今のブルガリア人の読者に感動を与えられる作品です。」と。 その言葉は、一生忘れられません。

その年、1981年の終わりに出版されたブルガリア語訳『とはずがたり』の読者の数は、私の予想、いや期待さえはるかに超えました。 4万部という、当時の900万人弱の人口にしてみれば、けっこう多い発行部数でしたが、信じられないほど短い期間に売り切れました。 ちなみに、当時、翻訳家に印税はありませんでした。 もらったのは僅かな原稿料だけです。 でも、幸せでした。 『とはずがたり』が認められたのですから!

タイミングも、成功の理由の一つだったに違いありません。 当時のブルガリアは、ある意味で、鎖国状態でした。 信頼できないメディアの代わりに、翻訳の本などが「外」の世界についての情報のチャンネルになっていたのです。

初めてのものは最もインパクトが強いからでしょうか、『とはずがたり』は、さまざまな人の間で話題になりました。 もちろん、反応は、ナイーブなコメントから深い分析まで、読者の教育や知識などに対応して、違ってはいましたが、すべての読者に二つの共通点がありました。 そしてその二つが私の研究の刺激にも目的にもなりました。

まず、誰からも決まって最初に聞かされた言葉は、「あなたの二条に感動した。」ということでした。 感動しすぎて『とはずがたり』の続きを書いた人さえいました。

もう一つは、絶え間なく流れる涙と、どんなに濡れても濡れきらない袖に対しての驚きでした。 「昔の日本人は、どうしてあれほど泣いていたのでしょう。 それに、あの袖は、タオルのような生地ででもできていたのでしょうか。」と度々聞かされ、友人たちからは、挨拶代わりに、「今日のあなたの袖は、涙に濡れているのでしょうか。」と(ユーモアーですよ)言われたりしました。

                                     

関東も 梅雨入り 

予想通り、今日から“梅雨入り”のようです。

週刊天気予報を見ると、傘マークが続くようなので、先週末の暑い日に
布団を干したり、衣裳の入れ替えをやっておいて よかった

早朝、雨足の激しくないころを見計らって散歩に行きました。
お気に入りの赤いレインシューズ、8年前に東京へ通うのに買ったものですが
多分その用途としては一度も履かなかったのでは・・・。街歩きに雨靴は必要ないですものね。

近辺移動や買い物には車でしたし、
この靴、あまり出し入れしない高い所の靴箱に仕舞われて、
忘れられかけていました。

私の足にフィットして、軽くて歩きやすい

楽しい朝の散歩になりました


昼になって、雨の中 娘が退院しました。

明後日には函館から義母が出てきて暫く滞在します。

息子夫妻も、妹と祖母に逢いにやってきますし、家の中を少し整理したのですが、

部屋の家具の配置替えなどは、時間をみて ひとりでやるのは無理  

今の家屋は、家族だけの生活には使い勝手がよくて、便利なのですが、
人が集まる場合を考慮していないので、窮屈ですね。

大広間で、仮の仕切りを使っての住み分けた昔の家具類です。

几帳2

平安から鎌倉時代の貴族の生活様式など、参考にならないでしょうかね。

でも、

几帳

こんな組み立て式、移動式の 軽い仕切りは目隠しとしても便利だし、何かに応用できそうですよね。


再現遣唐使船-上海万博へ

6月13日の朝刊に載った「再現された遣唐使船」です。

新聞遣唐使船

7~8世紀にかけて、日本から中国へと派遣された遣唐使をのせた船を現代に甦らせたものです。

再現船は全長32メートル、幅9.6メートル、排水量164トンで学説に基づき忠実に再現されて
いるそうです。手こぎの帆船でしたが、この再現船はエンジンで自走できるようになっています。

上載の写真は万博会場の中央を流れる黄浦江を航行しているもの、中国で健造されて、いったん
日本に運ばれた後、5月8日に大阪港を出航しました。

大阪出発

このプロジェクトの親善大使を務めるのは俳優の渡辺謙だそうですが、この再現船製作は中国が中心なのでしょうか。


今年日本では「平城遷都1300年」ですね。

平城京跡で展示舟
平城京跡に展示されている「遣唐使船」です。


遣唐使は200年以上にわたり、当時の先進国であった中国(唐)の文化や制度、そして仏教の
日本への伝播に大いに貢献しました。

親善大使渡辺氏も述べるように
私たちの先祖は命の危険を冒して中国との文化交流を進めたものなのですね。


『古今和歌集』 巻九・羇旅(きりょ)・四〇六

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
(大空を振り仰いで見てみると、月がみえているが、ああ、この月はその昔、故郷である日本の春日
 にある三笠の山に出たあの月と同じなのだなぁ)

詞書は「もろこしにて月を見てよみける」  安倍仲麿の歌です。

安倍仲麿(698-770)は遣唐留学生として、養老元(717)年に入唐し、玄宗皇帝に仕え、朝衡(ちょうこう)と呼ばれ
ていました。歌には帰国の途に就く際、唐土明州の海辺で唐の人々が送別の宴をしてくれた時に詠んだという左注が
あるのですが、実際には海難にあい帰国は果たせませんでした。唐において客死した人です。

現代ではイギリス、アメリカ、ヨーロッパへ留学するのですが、当時の留学先は中国だったのですね。

言うまでもなく、この和歌は「百人一首」7番にある歌です。





歴史を残すー民間信仰

娘の術後は順調に回復し、この分ならば予定通り明後日退院できそうです。

施術の夕方には、うつらうつらと眠り始めたので、邪魔にならないように
そっと帰ろうとすると、目を閉じたまま 寝言のように 小さな声で、

「もう少し居て・・・怖かった・・の・・」と。

「じゃ、お母さんはここに居るわ。よく眠むった方がいいのよ。面会時間が終わったら声をかけないで、
そっと帰るからね」というと、寄せていた眉が次第にもどって、穏やかな表情になりました。寝たようです。

寝顔を見ていると、小さいころのことを思い出します。側にいてこんなにゆっくりと娘の顔を見ているなんて
何年ぶりでしょう。

そして、この先何年か過ぎたら、何時かはベットに寝ている娘と、付きそう母が交替するような時が来るだろう・・・
そんなことも思いながら面会時間終了、帰宅を促すアナウンスがあるまで側にいました。

翌日の面会時間には点滴もはずされていて、もう起きあがれるようになっています。
手術に向けて担当医から説明があった通りの状態で回復に向かっていることが分かって安堵しました。

現代は、医学に疎い私のような者にも詳細な情報を得ることが出来る時代です。ましてや、身近な実例を
聞かせていただけますと、何の不安もなくて冷静に対処することができました。ありがたいことです。

今、まだ宮崎県にひろがりつつある口蹄疫に関するニュースを聞きながら、
自然災害でも人災であっても然り、生きている者の宿命として、襲いかかるさまざまな‘災い’に
昔の人たちはどう判断し、対処してきたのかしらと改めて思いました。

やたら各地にお参りに出掛けて、お札などを頂いて帰っていた私の祖母の姿が思い浮かびます。



我が家から2分ほどのところにある庚申塔です。

     庚申塔

「宝永八」の年号が読めます。江戸中期からのものなのですね。

庚申塔の建立が広くおこなわれるようになるのは、江戸時代初期頃からといわれています。

この信仰は、中国の道教の守庚申に由来する禁忌で、わが国に伝来したのは飛鳥時代とも
奈良時代ともいわれ、定かではないのですが、『枕草子』九十五段(三巻本の本文による)に

庚申(かうじん)せさせたまふとて、内(うち)の大臣(おほい)どの、いみじう心
まうけせさせたまへり

(庚申待ちをなされるというので、内大臣伊周(これちか)様がとても趣向をこらし、お心づかいをなさっていた。)

とあり、宮中で「庚申御遊び」する様子をうかがうことが出来ます。

これは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)が寝ている間に天帝にその人間の悪事を
報告しに行くのを防ぐために、一晩中起きていて災いが身に降りかかることを防ぐものなのです。

宮中では管弦を奏したり、和歌を詠んだり、碁や双六に興じて、睡らずに三尸虫を体内に閉じこめて
庚申の夜が明けるのを待ちました。

明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信として、庚申塔や庚申塚の撤去を進めたのですが、
寺社の境内や私有地に移転されたものや、交通量の少ない道脇に建っていたものはそのまま
守られたようです。

長い年月の間、生きた人々の思いを受け止めてきた碑には、歴史の重みがあり、
迷信如何の問題ではなくて、粗略に扱えない大きな財産となっているのではないでしょうか。


もう一つ

天神様
新興住宅地として開発が進む中に残されている祠です。

天神様」と墨書きされた札は新しいものですが、開発が進んでも残そうと
計画中なのではないかなと思いました。

天神様」と聞くと、菅原道真を祀る学問の神様が一般的なのですが、
元々は火雷天神、天から降りてきた雷の神とされていました。雷は雨とともに起こり、
雨は農作物の成育に欠かせないことから農耕の神ですよね。

さて、どちらでしょうか。新たな散歩道コースで出会いました。
今後を見守り(見守っていただき?)たいと思っています。

子育て本

           本

本の表紙です。タイトルでお分かりと思いますが、教育関係の「子育て本」と言われる類です。
6月7日が発売日でしたが、書店への発送、荷解きなどで店頭に並んだのは平均的に9日だった
ようです。

書店
新越谷駅の構内にある「旭書店」です。

私がこの本について、ここに挙げます理由は、以下の2点にありまして、

先ずは、私が17年間 非常勤講師として勤務した私立中学高等学校の教育方針が、この本から
伝わること。私も又教師の基本姿勢として、こうあろうと努めた内容であると、読んで確信した
からです。

二つめには、この本の著者が私の夫だからです。「な~んダ~」という声が聞こえてきそうですね・・
恐縮です  

仕事がら学校説明会だけでなくて、色々な場で教育についてお話しする機会が多いのですが、
たまたま講演を聴きに来ていた出版関係の方の目(耳かな)にとまったらしく、本にすることを薦められました。

「現場の仕事が忙しくて、それどころじゃない」とか「教育評論家になるつもりはない」とか
なかなか腰を上げようとしなかったのですが、

本にしてまとめることで「学校説明会」では伝えきれない内容を、望む方にはお伝えすることが
出来ること、この本の印税を奨学金に充てることを思いついてからは積極的に書き始めました。

長引くこの不況の中、私立では、親の事情により 突然授業料が払えない状況に追い込まれる
生徒が目立つようになりました。

そうなったら公立に転校すればいいとお思いの方もあるでしょう。しかし、当の本人の立場
になって考えたら、このまま本校に留まって卒業できた方がよいのは言うまでもありません。

教育的配慮をするにも先ずは基金が必要で、本校独自の奨学金制度を立ち上げることが
ここのところの懸案事項でした。その一役を担えれば というものです。

『13歳からの 心を強くする 子育て』 柳町道廣著

本の内容に関しては こちら(←ダブルクリック)をご覧下さい。 (「かんき出版社」のホームページ)

娘の手術の日

手術の為に、昨日から入院している娘からメールが入りました。
「手術の時間が予定より早くなりました。8時半に病院に来られる?」

火の元OK、留守電セット、持っていく荷物を確認して、あっ、そうそう・・
「エル~、ちょっとおいで!」

エル

「じゃ、お母さん行ってくるからね。留守番たのんだわね」

雰囲気で何となく分かるようで、神妙に聞いています。

「分かった、ウチのことは任せてよ」と言っているかの表情に、
何となく今日のエルは頼もしげでした。


今年3月初旬、子宮頸癌の検診を受けた際に、嚢腫が出来ていて、大きくなっていることが分かりました。
今日はその除去手術を受ける日です。

知識のない病名や、症状を聞くと、本当に驚いて、
〈一体どうしてウチの娘が・・・どうなるのかしら・・・〉〉
不安なものですが、病院での説明をよく聞いた上で、その病状について自分でも調べたり、
知人に話してみたりしているうちに、よくあるものらしい、
「あの人の場合は云々・・・こんな人の話も聞いたわよ・・・」と

こんな、身近で、具体的な情報を得られることが、一番うれしく、安心できます。

内視鏡手術をする病院を紹介されて、それから新たに何度かの検査を受け
手続きと、順番待ちで、執刀は6月10日と決まっていました。

手術室に入ってから2時間、ちょっと時間がかかったようです。
その間は、やはり心配しましたが、

担当医の先生に呼ばれて、除去した異物を手に、無事手術が終わったことを
告げられて、説明を受けたときには、執刀して下さった先生が神様のように
思われました。私より若い女医さんでした。

さらに、小1時間すぎて、移動ペットに横たわり、管を幾つか着けられた姿で
病室に娘が戻って来ました。麻酔からまだ醒めていない様子です。

痛々しい姿ですが、何人かの看護師さんがついて、後の様子を看てくださっているうちにと、
一旦、家に帰ることにしました。

エル2
家のことを済ませて、再び病院に行こうとした時のエルの様子です。

「お父さんが帰って来るまで、待っててね。エルはいいこだから・・ネ!」

「・・・・・・」   (反応なしデス)


花は菖蒲か、紫陽花か

街路樹の足許もとを飾るように、今まだ五月サツキの花は咲いているのですが、
季節の花を見たくて、日曜日に埼玉県ときがわ町まで出掛けました。

菖蒲園の見処は、近距離にも何カ所かあるのですが、
山を背景にして、脇を川が流れる場所に咲く風情が気に入っていて
今年の菖蒲は“ときがわ”でと決めていたのです。

ところが、

菖蒲畑
よく咲いている場所で、こんな状態でした。

数年前に、隠れ里のようなこの場所を見つけた時は、人もあまり来ていなくて、
川の見下ろせる場所に設けられた椅子に座って、せせらぎと鳥の声を聞きながら、
花を観賞できたのですが、

“村おこし”の一環でしょうか、人集めの企画に力が入って
大勢の見物客が次から次へと訪れて、屋台まで沢山出ていて、大変な賑わいです。

主役の花菖蒲がこんな状態なのに・・・・

入場料も、駐車料金も取らずに、花づくりグループの方達と町の職員とおぼしき方達が
一生懸命に接待なさっている姿に好感はもちましたが・・・・
以前のひっそりとした菖蒲園を思い描いて、やってきたので、

ほんとうにガッカリでした。

和太鼓だ、お囃子だとますます賑やかになってきましたので、
逃げるようにその場を離れたのですが、

欲求不満の状態のままに、直売所めぐりをして
庭に植える花や、山椒の実を買ってきました。

山椒の実
2、3分ゆでた状態です。

夕方から東京で仕事があって、時間がないので、こうしてあく抜きをしたら
一旦冷凍しておきます。
じゃないと、野菜庫に入れておいても、他の野菜達に紛れて忘れられ
鮮度が落ちたころに「あれ??」ってなことになりかねません。

今年は家の山椒の木にも少し実がつきました。
山椒の木

来年からは期待できるかも知れません。


紫陽花の花も、色とりどりに咲き始めていますね。
今度は、おうちで、近所で、お出かけの場所でと、生活の場で楽しむことができそうです。

あじさい
去年の「母の日プレゼント」の紫陽花。6月2日撮 

最近の文化学習事情

毎月第一土曜日の「英会話サークル」に出席するのを楽しみにしています。
ご指導願う先生は埼玉大学の教授、女性、私より少しだけお若い方
その生活スタイルがとても魅力的です。

入会させていただいてから今年で3年目に入るのですが、
英語力の方はなかなか・・・・。上がらずです。

このサークルはもう10年以上続いているそうで、みなさんなかなかの実力

今日のヒヤリングも私だけが聞き取れず、黒板の前で立ち往生!
先生が解答を書き込んだノートを渡してくださいました。

私が入会した頃は、毎回20名を越える方が出席していたのですが、
最近はめっきり少なくなって、
この状況ですと、今後の運営も厳しいものになりそうです。

喫茶店で、ネイティブを囲んで英会話の学習をする「英会話喫茶」も
参加者が少なくなってしまって、昨年末になくなってしまいました。

この不況で、文化だ、学習だなんて言ってる場合じゃないという
・・・・ところなのでしょうか。

小学校での英語学習が必修になるようですが、

「英語学校」は運営が厳しくなってきているそうで・・・・

大人のばあいは・・・「英語」だけなのでしょうかね



市民大学の「文学コース」は受講希望者が多くて、毎回抽選です。

今回の「古典和歌と現代短歌」の講座には100名程の受講生が
毎回熱心で、会場には熱気が溢れていますね~

大宮氷川神社P5230004
大宮氷川神社の参道です。第二鳥居のそばの「大宮図書館」内視聴覚教室が会場です。

大宮駅から徒歩で18分、喧噪な繁華街を通ってここまで来ますと
まるで別世界、タイムスリップしたかのようですよ。

図書館内の催し物会場では、毎回「書道展」「絵手紙展」「写真展」などが開催されているようで、
日頃、各分野で励まれている方達の発表の場になっています。

玄人肌なんて言うのは失礼かも知れませんが・・・文化度は高いし、情熱が伝わってきます


氷川だんご
終了後のお楽しみに、こんなのも・・・

だんご
昔ながらの味で、気に入っていま~す

『とはずがたり』読者の方との楽しいおしゃべり

古典文学講座『とはずがたり』更新しました。 ここ(←クリック)からお入り下さい。

なお、左のカテゴリ古典文学講座『とはずがたり』をクリックして
いただきますと、これまでの『とはずがたり』講座内容が(下へスクロールにより)
初回から続いてご覧いただけます。


とはずがたり 
新潮日本古典集成『とはずがたり』 新潮社刊

古典文学作品の中でも『とはずがたり』を知っていると聞くことはあまりないですね。
でも、「読んだことあるわよ」とおっしゃる方と、これまで3人出会いました。

皆さん異口同音に「あれは面白いわね、古典だからちゃんと読んでるかと聞かれると困るけれど・・・」
とおしゃる。3人とも女性の方でした。

発見されたのが遅くて、『源氏物語』ほど日本古典文学の市民権は得ていないけれど、
日記文学=自分自身の半生に基づく物語、という面からも
歴史とからめて読んでいけるので、興味深く、面白く読むことが出来ます。

今日は、“サレーヌ フェイシャルサロン”の店長が、ご自分の本を見せてくださいました。

「昔読んでた本なの。最近また少しづつ読んでるんだけど、注を見ながら、なかなか
進まないの。でも、面白いですよね~」

旧知の友とお話しでもするかのように、ついおしゃべりしてしまって、

私にとって、楽しいひとときでした。

続きを読む

プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

カレンダー
05 | 2010/06 | 07
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
私へのメールはこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
日本ブログ村 ランキング
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR