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「たのむの雁」に成長したのでしょうか、それとも私のボケの進行かな。

日が長くなっていますね。もう夕方4時近くなのに、外はお昼状態です。
長時間同じ姿勢が続くと、効率も悪くなるので、階下に来てみると、
エルが独りでソファーで寝ています。

「エル君、散歩行かない?サンポだよ~ サ・ン・ポ」

呼びかけても、エルは無視  ピクリとも動きません。

大きな声で、何度も誘う声が外まで聞こえたらしくて、

庭の手入れをしていた連れ合いが、「いいよ~、ちょっと出掛けようか」と返事を返すと、

エル聞いてる
耳がたちました。


お父さんが行くんだと分かったとたんに飛び起きて、
玄関の方に飛んで行くと、たたきでグルグルまわります。

早く開けてよ、開けて!といわんばかりにはしゃぎます。

お父さんは今日は出張で、ずーっと帰りを待っていたのに、
帰るとすぐに庭に出て、相手をしてくれなかったので、
エルは独りで、部屋にいて、ふて寝をしていたらしいのです。

“エルとお出かけ用のバック”だけを掴んで、外に出ると、
もう車を開けるのを待っていました。

後ろのドアを開けて、「エルの特等席」に上がったなと思ったら、
すかさず下に潜ろうというしぐさ、
狭い隙間をくぐって、前の運転席と助手席の間に割り込もうという魂胆だとわかって、

「ダメダメ」と叫びながら私は前のドアを開けて、隙間を手で蓋しようとするのですが、
その素早さに適うはずもなく、二つの席の間に座ってしまいました。

前にいて、おとなしく座っていれば問題はないのですが、
運転の邪魔もするしで・・・車では後ろの座席と決めているのですが、
スキあらば前にと、知恵をしぼり、負けてしまうことしばしば、

「いいよ、いいよ今日は前で。 そんなに遠くに行くんじゃないから」
お父さんの一言で、ますますはしゃぐエルです。

今日の散歩では、桑の実が黒く熟して、甘さも増していましたよ。

桑の実

「ここ、あした また来ようね」と私、
二人に置いていかれないように、一緒にいっぱい歩きました。
気分も爽快です。

車に帰ってみると、
「あれ ?鍵開いてるよ」「掛けたはずだけどなぁ・・・」「時々、こういうことあるよねぇ」
「ロックに反応してないのか、二度押しになってるのかね」「掛かったかどうか、確かめてから離れないとね」

こんな、やりとりの後、
「あれ?私のバックがないわー」 どこ探してもない!

「バックを持って出たの?その記憶あるの?」
「持って出たのは確かよ。エルを追っかけながら、掴んで出たもん。抱っこするとき
邪魔になるので、腕にかけてエルを抱き上げた記憶ある」

家に着いて、記憶を辿りながら、あちこち探したが、バックは見つからなかった。
あきらめて、家事にとりかかる。

二階の机に、仕事途中のものが広げたままだったと思って、片付けに行くと、
何と、バックが、ちょんと、上にのっかっているではないか。

持って出るのをわすれた携帯が、メール着信を知らせるランプを点灯させていた。
??? 何が起こったのか一瞬理解出来ずに、メールを読む。

娘からだった。

家の戸締まりをして出掛けようとしたら、駐車場の道路際に母親のバックだけがポツンと置かれている。
一体何があったのか・・・携帯に連絡しても、出ない!まただ、あれ程携帯はいつも側に置いててね、
急な連絡しなければならない時に、役にたたないからと、いつも言ってるのに。思ったとおり携帯は
作業用のテーブルにのこしたままだわ。とにかく、待ち合わせの時間があるからでかけなければ・・・。

という訳で、さまざまこれまでの失敗の件にも触れて、
「最近ふたりとも忘れっぽいので心配です。何かあってからじゃ遅いんだから、今以上に気をつけるようにして下さい。YOさんを待たせてしまうので、このまま出掛けます。メール見たら連絡下さい」とあった。

ワ~そうだ、あの時置いたままだったんだワと、やっと思い当たったけれど、
娘の指摘する通りです最近の私たち。「ありがとう。ごめんなさい」と返事をして、

いつの間に、娘と親の目線が逆転しかかってきたのかと、しょんぼりしたけれど、
そうだわ、手をかけるばかりだった娘も、親の心配をする程になったんだと頼もしくも思われました。

YOさんに、そろそろ 「たのむの雁」も君が方に と言いかけてみようかしら、と思った今日の出来事でした。

「たのむの雁」のおはなし。

たのむの雁(かり)」という暗号のような言葉が
一つの物語を背景にして、ある意味をもっていた時代がありました。

とはずがたり』の冒頭の場面には
後深草院が主人公である二条の父親に、なにやら耳打ちをします。
それが、「この春よりは、たのむの雁もわが方によ」

その意味は・・・


伊勢物語』十段のお話が元となっていて、十段にある歌
から引かれたものと考えられます。

父大納言の反応の様子からも、また作者でもある二条の書き方からも
たのむの雁」という言葉は、当時 広く 人口に膾炙されていたと私は思います。

伊勢物語』は平安初期に成立していますが、『源氏物語』を初め、多くの古典文学作品に
享受(影響)されてきました。

鎌倉初頭の藤原定家はそれまでの古典作品の書写や校訂を幾度も行っています。
定家自筆本も今に伝えられて、私達も目にすることができます。

伊勢物語』の写本が多いということは、それだけ多くの人に読まれてきたということですね。

とはずがたり』にみられる『伊勢物語』引用については、
他にも多くみられるのですが、

たのむの雁」に関係する『伊勢物語』十段について


この段は、業平とおぼしき「昔男」が、東下りの果てにたどりついたという「武蔵の国、
入間の郡(こおり)、みよしのの里」が舞台です。
本来の場所は不明ですが、川越市あたりともいいます。(えっ、近いじゃありませんか!)

この地に住む母親が、娘の花婿候補にと思って男に歌を詠みかけます。

みよしののたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる
( 三芳野の田の面におりている雁のように、わたしの娘も、ただ一途にあなた様の方に
 慕い寄るといって心をお寄せ申しているようすで鳴いております)

男の返歌は、

わが方によると鳴くなるみよしののたのむの雁をいつか忘れむ
( 私の方に慕い寄ると言って鳴いている三芳野の田の面の雁をいつ忘れることがありましょうか。
 いいえ、忘れることなどありません)
 OKの返事だったのですね。

たのむの雁」とは「田の面」に「頼む」の意をこめたものと考えられます。



従って、
とはずがたり』の場面に戻りますと、後深草院が父親である大納言に耳打ちしたのは、
この春からは私が娘二条の婿となるので、そのつもりでこちらへ寄越すように」という意味だったと分かります。

ところで、『伊勢物語』ですが、江戸期になりますと、絵入り版本が多く出されていますね。

伊勢
<資料は「関西大学図書館電子展示室」による。>

芝川調節池はヨシキリのハーレム♪♪

見沼たんぼを横切る国道463、芝川を渡る念仏橋の横手から、武蔵野線の間に
調節池として機能する親水地域が出来るというニュースを聞きました。
もう3年ほど前だったように記憶していますが・・・。

大型トラックが往来し、芝川土手の一部通行が止められる期間が永くありまして、
隣接する「道草」遊歩道へは時たま行くことがあっても、
これまで頑丈な鉄線が張られている、その一帯の様子を注意して見ることもありませんでした。

先日、久しぶりに「道草」散策コースを歩こうということで出掛けてみた時のことです。

調節池をぐるりと取り巻く小高い土手の上の遊歩道へあがって行けるように、
草を踏み固めた小道が何カ所か出来ているのに気づきました。
その先の杭と杭との鉄線が、人が通れる程度に切断してある。仮りの通路が設けられていたのです。

新しい遊び場を発見した子供の頃のように、胸躍らせながら分け入ると、

土手から見える池
広い芦原と、湿地帯をめぐる道と池とが広がっています。

池1
池は、何か生き物が生息し始めているに違いありません。池の中の何かを見ている人の姿が
3人ほど、小さく見えていました。鴨が点になって浮かんでいます。

鳥の鳴き声が、まるで集く秋の虫の声のような大合奏で驚きました。

ここから一週して帰って来られるのかどうか分からないのですが、まだ完成していない道を、
原野のような風景を楽しみながら、行ける所まで歩いてみることにします。

土手に上がる

雉や雲雀の声は分かるのですが、他のさまざまな鳴き声の中で、

一番多くいる鳥は「ヨシキリ」ですね。一体何羽いるのでしょうか。「蝉しぐれ」ほどの合唱・・・
「葦に斜めに止まって、ギャギャズ、ギャギャズ・・・と鳴くから、子供のころは“ぎゃぎゃず”と
いっていたなぁ・・・」と家人、「この鳴き声ならオオヨシキリだろう、ここにいるのは」とも・・・

オオヨシキリ
オオヨシキリ

人の気配で、近いところのヨシキリも下に下がってしまうので、姿はよく見えません。

P5190046.jpg

丁度飛び立って頭上を高く横切ったヨシキリを見上げたら、ちょっと色が違うような・・・

シベリアヨシキリ
シベリアヨシキリ  こんな色に見えましたが?

鳴き声は聞きとりようで、俳人は「ぎょうぎょうし」と聞こえるところから「行々子」「仰々し」といい、
季語としての季節は夏。


私は、子供の頃に見たとか、鳴く声を聞いたというような記憶はなくて、ヨシキリと聞くと
草野心平の詩の一節、「よしきりの舌にも 春のひかり」の情景が思い浮かべられて・・・
うるさい鳴き方の類の鳥なのでしょうが、大好きですね。

 富士山     作 草野心平
________________________________________

川面に春の光はまぶしくあふれ。
そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ葦の葉もささやき。
よしきりは鳴く。よしきりの舌にも春のひかり。

土堤の下のうまごやしの原に。
自分の顔は両手の中に。
ふりそそぐ春の光にかえってものうく。
眺めていた。

少女たちはうまごやしの花を摘んでは巧みな手さばきで花環をつくる。
それをなわにして縄跳びをする。
花環が円を描くとそのなかに富士がはいる。その度に富士は近づき。
遠くに座る。

耳にはよしきり。
頬にはひかり。



うまごやし もありましたよ!

うまごやし
‘うまごやし’とはシロツメクサのことです。花を摘んで長く編みましたね。

ここは生き物たちにとって、なんとステキな楽園なのでしょう。童謡「赤とんぼ」歌詞の二番に歌われる
「桑の実」も赤くなっています。桑の木が多く見られました。

桑の実
山の畑のくわの実を~こかごに つんだはまぼろしか~♪

歌を歌って手をつないで歩きたい所です・・が、写真を撮っていて遅れるので、エルたちに置いて行かれて、
その度に走っては追いつく私でした。

周囲ぐるりと回ると、約4800歩で、7キロメートルほどになっていましたよ、私の万歩計は

咲いていた草花をスライドショーにしてみました。ここをクリックしてご覧下さい。

日本呪符の系譜ー「おまじないのお札」

昨夜は所属する「日本学研究所」の研究報告会 参加のため、池袋に出掛けました。

研究報告の題目は「日本呪符の系譜―天地瑞祥志・まじない書・道蔵―

専門性が深まると、用語も難解で理解に苦しむのですが、「護符」「呪符」とは簡単に言えば「おまじない
札」という種類に入る物だろうということで、上代を専門とする方の発表でしたが、ちょっと楽しみにして
出掛けました。

といいますのは、私が現在担当している講座の『とはずがたり』の中で、このお札の一種と思われる「牛王(ごおう)札」が大きな意味をもって登場しているからです。

日本の中の系譜としては、古代から現代まで幾つかの系統の「呪符」「護符」が存在している。道教、
密教、神道系それぞれが、時代の中で融合しながら変遷していく課程を、資料として残っている記録から
みていくものでした。

現在でも

所願成就
所願成就符

霊魂邪気符
霊魂邪気符

には、このような図柄がみられます。

神道系、神社に多いお札の中で、現在でも有名なものの一つに
熊野の「牛王符」があります。

熊野本宮大社牛王
熊野本宮大社牛王

図柄には熊野の神鳥である「ヤタガラス」が配されていまして、速玉社、那智社の符にも
形はそれぞれなのですが、おなじく三本足の烏が描かれています。

この熊野牛王符が起請文(きしょうもん)としてつかわれてたという記録が
奈良東大寺に残っています。

鎌倉時代中期の文永3(1266)年のもので、僧侶の間で紛争が起きたとき、
熊野牛王符に誓ってそれを解決したとあります。

『とはずがたり』は日記文学ですが、物語のように構成された作品だと思われるので、そのまま
事実あったことと考えるわけにはいかないのですが、叶わぬ愛の誓い札として登場します。

権威ある僧侶が二条(作者)に心奪われて、仏に仕える身にあるまじき行為をくりかえします。
求愛の手紙ではあるのですが、想いの丈が誓いの文言と共に牛王符の背面に綴られていて
この場面には、霊気が漂うような凄みが感じられるのです。

その効果たるや、やはり「呪符」ならではのものでしょうか。

前述の、「呪符」の系譜については、中国呪符の流れを汲んでいることは明らかで、朝鮮半島
を含む東アジアの符に類似性がみられるということでした。

「呪符」は中国を発祥の地としながら、多くのブァリエーションを生み出し、東アジア一帯で
広く流布していき、それぞれの国、時代独自のものもまた生み出していったということでしょうか。


そんなことを考えながらの帰宅でした。
8時半を過ぎていた頃、池袋から山手線に乗り、つり革につかまって
ぼんやり外を見るともなしに立っていたら、

前に座っていた若者が、いきなり立ち上がってニッコリ
「どうぞ・・・」と席をゆずってくれたのです。

えっエ~~・・・・)

優先席の前に立っていたのでしたが、席を譲られるなんて、思ってもいなくて、

「ありがとうございます」と答えて、せっかくの行為をお受けしたのですが、

ああ、そうなんだもうそんな年にみえるのかな 
いやいや、年寄りだからじゃなくって、息子が母親を労る気持なのかも・・・

と、初体験に 頭の中は一杯になり、「呪符」のことは何処へやら・・・


身につけていた万歩計は一万三千歩を越していましたし、確かに疲れた一日でした。
イケメンの若者に優しくされたのは、もしかして・・私に「護符」が付いたのかも・・・



『とはずがたり』講座5月20日を更新しました
ここ(←クリックで)から入れます。

「後朝(きぬぎぬ)」に「片敷く」というと・・・。

今朝の散歩時は晴れていました。
富士山こそ見えませんでしたが、日よけの帽子も必要でしたし・・・。

二匹の小型犬を連れて散歩している方と、久しぶりにすれ違いました。
ここのところずーと逢わなかったので、何だか懐かしくなって近づいていくと、

犬とも1P5050020
向こうも立ち止まって、盛んにしっぽを振ってくれました。

ところが、もう一方のワンちゃんは、もう忘れてしまったのか、写真がいやなのか、

犬とも2
あれあれ?脇の草原の方へそれて行ってしまいました。
嫌われたのかな、それとも恥ずかしかったのかしら・・・。

午後には雨になるという天気予報が当たるとは思えないような、天候でしたが・・・
陽が差しているうちから、ポチポチ落ちてきて、予報通り、午後からはそのまま雨の日になりました。

真夏日だった昨日の新聞のコラム「天声人語」は「後朝(きぬぎぬ)」の話から始まっていて、
「後朝」の思いを和歌を引いて示してありましたけれど・・・

明けぬれば 暮るるものとは 知りながらなほ恨めしき 朝ぼらけかな

夕方が近づくにつれて、雨が強くなるような日は、恋人を待つ側の女性にとっては、
長雨《眺めとの掛詞》の日はさぞ恨めしく、心さみしい気持になったことだろうと思われます。

後朝(きぬぎぬ)とは、男女が共寝をした翌朝の別れのことです。
王朝時代の結婚生活は男性が女性の所へ逢いに行く“通い婚”でした。

一夫多妻なので、三晩連続通って、正式の結婚と認められた後でも、
男性に気に入った女性が出来ると、そちらへ出掛けていきます。待つ身は物思いも
さぞ絶えなかったことでしょう。

「きぬぎぬ」は、「衣衣」からきています。男女が共寝をするときは、お互いの着物を脱ぎ
重ねたもので、二枚の着物の「片方(一枚)だけを敷く」ことを「片敷く」といいます。

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き ひとりかも寝む
(こおろぎが鳴く、霜の降る寒い夜、閨のむしろに衣を敷いて、わたしはひとりさびしく寝るのであろうか)

※「きりぎりす」というのは、今のコオロギのことです。昔から秋を代表する虫として、詩や歌の中に
 詠まれました。 

この二首の和歌は『小倉百人一首』のなかにある歌で、親しまれてきました。

和歌には衣に纏わる表現が多く、縁語や掛詞からも当時の生活形態などを推測できて興味深いものです。

title[1]
かるた「百人一首」の一部







農産物直売所の野菜たち

新聞によりますと、現在「農産物直売所」は全国に約1万3千あり、
年間1兆円の売り上げがあるということです。

そういえば、我が家の裏手にあるJAにも、「産地直売所」の大きな看板が掲げられたのは
3年程前だったでしょうか。
このところの直売所人気、午前中の入荷時間には大変混雑するようになりました。

先日、友人からトマトを1箱いただきました。
トマトって、みんな同じような赤い顔をしているのに、お味はそれぞれなんですよね。
種類もあるのでしょうが、やはり産地によって違いもあるのでしょうか。
この送っていただいたトマトが、とっても美味しくて大喜びです。

とまと

そのまま、かぶりつきたいところですが、
せめて口に入る大きさに切っておいて(トマトの汁を垂らして汚しそうだし)
家事の合間にもちょくちょくいただきました!

昔(子供の頃)のトマトは、今ほど美味しくはなかったですよね。
少なくとも、子供が好きな味ではなかった。
もっとも、「あの青臭さのあるトマトじゃなけりゃね」と
懐かしがる方もいらっしゃるようですけれど。

食事の時に、スライスしたトマトに、プランタンでもりもりと成長したパセリを
小さく手でちぎってのせて、出しました。

「何も味付けしないでいいよ。美味しいトマトはね。そのままが一番なんだ」
と家人は言います。パセリの緑がトマトの色を引き立てて、
野菜の色って、本当にきれいだとつくづくと見入りました。

お隣さんにもと、お持ちしたら、留守のようだったので、袋の中にメモを入れました。
「おいしいトマトのお裾分けです」

翌朝、顔を合わせると「ありがとう!うちの子たちトマト大好きなんですよ」と若いお母さん
の笑顔です。


産地直売所からの野菜たちは、鮮度や味などのめんでは満足度が高い反面
スーパーのように少量で買うことがありません。
この量で、このお値段ならすごい安いと思うこともあって、つい買って帰るのですが・・・、
新鮮なうちが美味しいので、分け合うことも多くなりました。

近年では少なくなった「お裾分け」ですが、
「頂き物」だけでなくて、行楽で出掛けた先の「道の駅」で買ったものもあって
多くなったように思います。

高速料金の安い土日には、逆に「道の駅」を巡りながら目的地に向かったほうが、渋滞もなくて
楽しいドライブになることでしょう。

杉戸直売所
杉戸

道の駅庄和
庄和

道の駅ごか
ごか

埼玉東部地区、新4号バイパスの 下りには、それぞれに工夫をこらした、楽しい「道の駅」が
幾つもあります。同じような地域ですが、それぞれの野菜直売所に、目玉としている
「野菜たち」が並んでいて、それを見つけるのも楽しみのひとつです。

日曜に、園芸店「美野里」に出掛けました。イングリッシュガーデンのようなお庭が(と言っても、イギリスに
行ったことなのですが・・)とっても素敵です。
そこにも、「朝とりたての野菜」販売が始まっていました。

みのり


全体としての絵にもなり、「野菜たち」が加わったことで、癒しの空間が深まったように感じました。
「野菜たち」には、身体にいいだけではなくて、不思議な力があるようです。

実野里のホームページはこちらから

新緑の美しい中で・・・・

今朝の散歩道です。
萌黄の桜
桜並木はすっかり萌黄(もえぎ)色、一色になりました。

もう5月ですし、このような若葉は「青葉」というのがふさわしいのかもしれません。

あらたうと 青葉若葉の 日の光  松尾芭蕉が、日光でよんでいる句です。
これは、陰暦の4月1日のことでした。

萌黄は黄緑色で、は緑色と考えれば
いいのでしょうか。
古来、色の名を染料となる草木の名で呼ぶことが多かったために、
緑色を青と言い、緑色の葉が「青葉」となるわけです。


ところで、「萌黄」は古来からの「色」の呼称で、「もえぎ」とか「もよぎ」と読みます。
広辞苑には、「萌黄、萌葱 とも書き、①葱の萌え出る色を連想させる、青と黄との間の色。もよぎ」
とあります。

「そうか、葱なのか・・・」私としては、萌えだした草花の葉の色であったり、木々の新緑の
イメージだったので・・・。「チョットね・・イヤダナ」と思ってしまった。(葱さんゴメンナサイ。)



日本では、平安期に入ると衣服に四季折々の色を応用した「襲(かさね)色目」が生まれました。
その中に「萌黄(葱)」が出てきます。
女子の着た衣だけでなく、男子の直衣(のうし)や狩衣(かりぎぬ)の、表と裏の配色などに用いられました。

春には、かさね色目として「紅梅」「山吹」「桃」「白藤」といった呼び名がついた配色の衣装を着るのがきまりだったようです。なんと自然でしかも優雅なことでしょう。もっとも、活動的とは決して思えないデザインですね。

一部貴族の世界の話ですが・・・。

平安時代の十二単
平安期の十二単衣の色目
鎌倉時代の十二単
鎌倉期の十二単衣の色目

時代により変化がみられます。
うちき姿
十二単衣の正装ではなく、公家女性の平常服「うちき姿」



平安期から鎌倉期の衣装や沓(くつ)を推測できる、本物の姿を、展示館ではなくて、
ここ見沼で、間近に見る機会を得ました!

そうなんです。現代でも、神社での儀式の服装にみることができるんですよね。

5月4日 氷川女体神社の「祇園磐船竜神祭」のことでした。
(→次に続く

女体神社  祇園磐船竜神祭(ぎおんいわふねりゅうじんさい)

5月4日、13:30より氷川女体(にょたい)神社の「竜神祭」がある
というので、出かけてみました。

大宮にあります関東一宮の氷川神社は男体宮、
その対としての女体宮がここ緑区にある氷川女体神社だそうです。

その昔見沼は 大宮の男神と、こちらの女神が往来する水路であり、
神沼であったといいます。その頃は 神を船で送る「御船祭」がとり
行われていたのですが、

江戸中期の見沼干拓によって、神を送ることが出来なくなり、替って
沼の神を祭る「磐船竜神祭」がとり行われるようになったということで
した。



  エル
「エッ、僕は行けないの??」

人が多く出るかもしれないので、エルは家に置いて出かけました。

  出発1

豊かな樹林に囲まれた台地の上に社殿があります。左横の札所前に禰宜、
巫女姿の方が集まっておられました。


   



  社殿に拝
一人一人が榊を手に、社殿を拝した後、見沼に面した社頭の祭祀場へ向か
います。

  石段を下りて

27段の石段を下りて

  代用水を渡る

代用水に架かる橋を渡ります。

  禰宜3代

ここで、禰宜三代お揃いなので、その衣裳を拝見。左の男性は中央の女性の
息子さんと見受けます。

お二人の装束、そして履物は「浅沓(あさぐつ)」で、平安期の行事時に同じ。

右側のお孫さんらしき若い女性は巫女姿で、白地の小忌衣(おみごろも)と緋の
袴です。

  詔に従

  <降神の儀>

続いて、舞が奉納されます。

  舞姫1

  舞姫①


  舞姫③

  舞姫2

  舞姫②



雅楽に合わせて舞う姿が、一生懸命で、可愛くて・・・感動しました。
涙が出そうなくらいでした。

必ずや、竜神を慰めたことでしょう。

その後に「見沼竜神祭り保存会」による、見沼通船堀舟歌や和太鼓です。




急いで帰宅すると、

  2エル
置いてけぼりのエルは、ちょっと 拗ねているようでした。


母の日が 企画展「遺跡から見る奈良・平安時代のさいたま」の最終日

このところ一気に気温があがり、好天が続きます。たまの雨天も、花の水やりの頻度緩和の
ために歓迎といったところ、木々の緑も花々も目を見張る勢いでその美しさを更新しています。
桜のあとの、これもまた春(初夏?)爛漫といったところですね。

今年は、4月半ばに雪が降って、気温の高低が極端な春でした。
冬物を片付けるタイミングが計れないのをいいことに、家の中の整理も何もせずにいましたが、
ここのところ、衣類だけでなく、布団から毛布から暖房器具までドット気になりはじめました。
仕舞うためには洗濯、清掃も欠かせない訳で、ドタバタ、ドタバタと動き回っておりました。

そこに突然宅配便が届いて、
わぁ~ なんと嬉しいこと、母の日のプレゼントでした♪♪

母の日・花
chiiちゃん、ありがとう。さっそく、窓辺に飾りました。


その後、大宮駅近くの氷川神社、第二鳥居の近くまで、出掛けました。
さいたま市民大学 文学コース「古典和歌と現代短歌」講座の受講が決まり、その会場の下見です。

氷川神社の長い参道は 当に‘文化と歴史’の漂う落ち着いた道で、テレビ、新聞で何度も取り上げられて
いるように、雰囲気のあるところです。

そして、ここで私は思わぬ幸運に巡り会うことになりました。
講座会場に隣接しているのが「さいたま市立博物館」で、
今日は、第21回企画展開催の最終日だったのです。


IMG_20100510062612.jpg


今年の初め頃、どこかでチラッとこのポスターを目にしたのですが、場所も期間もその詳細について
確認しないまま失念していました。


早速、入ってみました。入館は無料でした。・・・・色々なことが分かり、繋がって確証できました。

詳しくは改めてまとめてみたいと思うのですが、
幸運にも偶然の出会いによって「資料集」まで入手することが出来ました。

興奮冷めやらずでしたが、帰宅後は、茹でておいた竹の子’を使った料理や、整理の為に切った山椒の枝から
‘木の芽’を摘みとったりと---忙しく去っていく季節を逃さぬように、やり残した家事を楽しみました。

夜10時過ぎに、階下で物音が・・・

リビングのテーブルに、帰宅した娘が置いたプレゼントがありました。

母の日ケーキ
どうも、ありがとうね




5月6日(木)獨協大学オーップンカレッジ「とはずがたりを読む」の講義内容を追加しました。
左のカテゴリー『古典文学講座』(5)の上をクリックし、順次 下へスクロールして、ご覧下さい。











連休の最後は“みさきリゾート”へ

5日のこどもの日、昨日から自動車道はユーターンの‘ 上り’ が渋滞になっています。
朝8時前に家を出て、常磐自動車道で福島に向かいました。目指すは いわき市小浜、
0泊2食のロングスティー‘プチ旅’です。
‘下り’なので当然ですが、高速道は がら空きでした。海水浴シーズンでなければ
めったに渋滞しない常磐道ではあるのですが・・・。

今回は、「いわき湯本IC」で降りて海水浴場、ひばり街道、塩屋崎灯台と海の風景を
楽しみ、魚市場で買い物を済ませて11時過ぎに“みさきプレステージリゾート”にチェックイン、
12時からの昼食に間に合わせなければなりません。 ここのランチバイキングは美味しいですよ。

ランチバイキング
一部を撮影。連れ合いに「写真ばかり撮るのはやめなさい。他の業者の偵察と思われるよ」と注意されて・・・

部屋に入ったらいいでしょ・・と、

部屋1

部屋2こんな感じです。なぜか、いつも同じ部屋です。窓から見えるのは、

昼間
太平洋です。同じ3階に大浴場もあるので、

風呂
浴衣に着替えたら、何度でも入りに行くのに便利です。昼間なので、ほとんど貸し切り状態ですね。

一泊する場合は、3時以降のチェックインとなるので、観光地巡りをすませます。


常磐自動車道「いわき勿来IC」で降りると、歌枕(古歌に詠みこまれた名所)勿来の関跡を訪ねることが出来ます。

勿来の関所跡
今を去る1500年余り以前に設置されたと言われる“勿来の関”は同じく福島県にある“白河の関”と
山形県の“鼠ヶ関”(江戸時代には念珠関と言った)で、奥羽三古関の一つ、都から陸奥国に通じる
東山道の要衝に設けられた関所として史上名高いところです。

この馬上の人物は陸奥守 源 義家。「後三年の役」のとき平定のため奥州に下向する途中ここに
さしかかると、折しも山桜が春風に舞いながら武将の鉄衣にもかかってくる、その美しさに

吹く風を 勿来の関と 思へども 道もせに散る 山桜かな

(「なこそのせき」という名は「来るな」の意味をもつように、吹く風も「勿来の関」には来ないと
思っていたが、このように風が吹いて花を散らして、道も狭くなるほどにいっぱいに散る山桜であるなぁ)

と、駒をとどめて詠んだと伝わるところから、建てられた像です。

この和歌は勅撰和歌集である『千載和歌集』(1187年)に載せられ、勿来関の名を今の世に
伝えています。

 こ(来)」は、陳述の副詞+終助詞の形で禁止の意を表し、「なこそ」が
「来るな」の意味にもなることから、言葉の意味だけが一人歩きをして、
この地を訪れることのなかった人たちにも多く歌われました。歌枕を詠み込むのも、和歌の技巧の一つです。

『蜻蛉日記』(975年)では“藤原兼家”が作者“道綱の母”への求婚の歌に、

逢坂の 関やなになり 近けれど 越えわびぬれば なげきてぞふる
(逢坂の関は、いったいなんなのでしょう。すぐ近くにありながら、関所を越えられないようにあなたに逢う
こともできず、ずっと嘆き暮らしているのですよ)

その返事の歌は

越えわぶる 逢坂よりも 音に聞く 勿来をかたき 関と知らなむ
(あなたがお嘆きになっている逢坂よりも、噂に聞く勿来のほうが、もっと越えにくい堅い関だとご承知
いただきたいものですわ。わたしの所は、その勿来の関でございます)

こんなやりとりを繰り返した末に、結婚をしています。

 

さて、今回は 0泊ですから、宿の近くを散策して、

磯



6時から夕食でした。

夕食1
夕食2
次々と、コースで運ばれてくるのですが、ランチバイキングで食べ過ぎの私は・・・食べ切れません。
連れ合いは帰りの運転があるので、夕食では飲めません。そこが、残念なところですね。


夜、8時にチェックアウト、同じ部屋の窓から見ると、霧が立ちこめていてなんとも幻想的です。


夜



すっかり“馴染み客”になったようで、帰りにはお土産まで渡され、お見送りをされて帰宅の途に
つきました。けれど、何度も湯を楽しんだ私はすっかり寝込んでしまい、家の近くまでそのまんま、
☆霧の夜のドライブ?? どう~だったのか? 

「ゴメンナサイ」
「いつものことだから、平気だよ」
「・・・・・」

夕食3
お腹一杯で食べられなかった「ニョッキのクラタン」、写真だけは撮りました。

気になるお値段ですが、一人 8,350円、食事だけとしてもお値打ちではないかと思います。翌日仕事がある
場合お薦めです。
IMG_20100509042925.jpg
おしながき】 クリックすると、大きくなって、読むことができますよ


10時前に到着、エルは今夜は帰って来ないと思っていたらしく、玄関を開けると、大はしゃぎして飛び出してきました。







写真で巡る-見沼お散歩コース

どこに出掛けても混んでいるようですね、この連休~
今日は、いつものお散歩コースを、時間をかけて巡ることにしました。
まずは、牡丹が見頃の“総持院”に寄り道です。

総持院の牡丹園
まだ蕾もありますが、全体としては見頃でした。
牡丹1
牡丹2
牡丹3

側の竹林は、佇んでいるだけで癒されます。

竹林
緑のトラスト保全第一号地、斜面林。最も見沼らしさを残している埼玉の原風景の一つです。

東縁の見沼代用水沿いの木々も日に日に緑を増していきます。

藤
藤の蔓が木にからんで、花を咲かせています。

小川には、色々な生き物もいました。
小川
鴨、亀、一番今活発なのが、鯉です。
鯉1
鯉2
鯉3
散歩中遭遇した 鯉の産卵 です。バチャバチャと水飛沫が上がります。
見沼自然公園もまわって、よく歩きました。エルも、せっせ、せっせと歩いて、

える
「のどが渇いたよ!」水分補給中

鯉のぼり
帰宅すると、隣の はるくんの「鯉のぼり」が 風のない五月晴れに、お昼寝してるようでした。

黄モッコウ薔薇と山吹の花

薔薇では開花の一番早い、黄色のモッコウバラが壁面を覆いはじめました。

黄もっこう

前を通った若い方が、「これ、山吹ですか・・・??」

なるほど、八重山吹の花と似てますね!

4月15日八重山吹
黄色の濃さが違うのですが・・・

でも、“山吹の花”といえば、もともとは「一重の花」だったのでは?
この季節に山に自生する「一重山吹の花」は、可憐で、淋しげですが、風情があるものです。
「八重咲き山吹」はちょっと華やか、可愛い花なのですけれど・・・園芸種のようで・・・。

埼玉の越生(おごせ)町にある“山吹の里”では、丁度今 山吹の花が見頃だとのニュース
がありました。「山吹伝説」の伝承地の一つ。復元された水車小屋や山吹が多く植えられた
歴史公園です。

yamabuki000.jpg

越生町は太田道灌(江戸城や川越城、岩槻城などの築城で有名)ゆかりの地です。

室町時代の武将太田道灌が、鷹狩りの途中 にわか雨にあい、近くの農家に寄って蓑(雨具)を
求めました。家から出てきた若い女性が何も申し上げず、一枝のヤマブキを差し出したといいます。

七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき

山吹を差し出された道灌にはその意味が分かりませんでした。
“みの”は「実の」と「蓑」を掛けた言葉だったのですが、その時の彼には理解できなかったのです。

この古歌は、実は『後拾遺和歌集』(1086年)にみられる兼明親王(醍醐天皇の皇子)の歌です。

ななへやへ はなはさけども 山ふきの みのひとつだに なきぞあやしき

で、5句めは 「かなしき」ではなくて「あやしき」となっています。

『雲玉集』(1514年)にも平安時代のこの歌が採られていますが、やはり「あやしき」で、もとの歌は「あやしき」だったようです。

古語の「あやし」とは、ここでは「不思議だ」という意味でしょう。
「小倉の山荘で、参上した御ともの者たちが帰る時に雨なので蓑をお借りしたいと申し出たときに、
 山吹を出されて、」という詞書(ことばがき)があります。
こんなに盛んに咲いている山吹の花だけれど、この花は実を全くつけないのは不思議なことだ」の意となります。



太田道灌の「山吹伝説」は、江戸時代の武将論『常山紀談』(じょうざんきだん)に書かれた
エピソードですが、農家の若い娘はこの古歌で、突然現れた訪問者の所望に答えたと伝えます。
「ヤマブキを差し出された道灌はその意味が分からなかったことを恥じ、以後いっそう勉学に励んだ」
というものです。

貧しい農家の娘は、「蓑」さえなくてお貸し出来ないことを「悲し」としたことになります。
その意味が分からず憤慨した武将太田道灌、
「ヤマブキの一枝」のわけを知って 恥じ入るさまが目にみえるようなお話です。

問題になるのは「七重八重」なのですが・・・私はこう解釈しています。

八重咲きの山吹 というのではなくて、山里に自生する 一重山吹 の花なのですが、
「七重八重・・」というのは、七重、とか八重という言葉に「数多く重なっている」という意味があることから、
数多く重なるように咲く山吹の花 こんなに花は咲くのに 実は一つもつけない山吹の花
ということではないでしょうか。

一重山吹は、数年おきに結実するそうですが、
結実しないという八重山吹は、自然には滅多に見ない花です。・・・それに、


雨の中、山吹の里の とある農家に雨宿りをした勇壮な武将の所望に、貧しくとも賢そうな少女は黙して
そっと一輪のヤマブキをさしだす・・そんな情景にあうのは“八重山吹”ではなくて、
一重のあの清楚な“一重山吹”だからです。

プロフィール

Keiko

Author:Keiko
写真:【 唱歌:「案山子」の立つ見沼氷川公園】

こんにちは! 日本古典文学
研究に従事しているものです。
子育てがほぼ終了という頃に
大学院に入学、現在は 古典
文学講座の講師をしています。

こちらには 自然と文化と歴史
を感じながら‘知るを楽しむ’
日常を記しています。         
     

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